本日(1/28)より「レオナルド・ダ・ヴィンチ 美と知の迷宮」が公開されました。レオナルドは多才で、絵画以外にも様々なジャンルで功績を残しました。軍事学、天文学、航空力学、解剖学、建築学・・・・その中の「解剖学」と「建築学」に着目して、映画を解き剖いて(ひらいて)みたいと思います。(【試写会感想】の続きです)
- 1.絵画がどこか似てる・・・・
- 2.リカちゃん人形の頭蓋骨模型と同じ!?
- 3.建築と解剖を結びつける
- 4.ウィトルウィウルス的人体図のもとは建築論
- 5.自然に学んだレオナルド・ダ・ヴィンチ
- 6.名プロデューサーの裏で支えた人の存在
- 7.レオナルド・ダ・ヴィンチの根源は解剖学だったのでは?
- 8.「美」に迷い「知」に迷う・・・「迷宮」に迷い込んで「考える」
- ■レオナルド・ダ・ヴィンチの脳内
- 【追記】(2017.01.30) ■女性像の制作年と解剖手稿の年代
- ■参考サイト
- ■関連サイト
- 〇追記(2017.01.30) ■女性像の制作年と解剖手稿の年代
- ■脚注
1.絵画がどこか似てる・・・・
映画で、レオナルドが描いた女性像が次々に紹介されていきます。私にとっては、初見の絵ばかりだったのですが、漠然と見ていていると、どことなく、みんな似ている・・・・ そう思って見ていました。
▼「チェチリア・ガッレラーニ」 ▼「ラ・ベル・フェロニエール」
髪型のせいかもしれませんが、どことなく似ている気が・・
▼モナリザ ▼イザベラ・デステの肖像
モナリザのモデルという話を耳にしたことが
↑ モナリザはレオナルドの骨格と一致するという話も聞きます
▼新発見された素描
『ほつれ髪の女性』 1508年
どこがどうというわけではないけど、なんとな~く似ている気が・・・
そして、トークショーの中で、池上先生よりこんな発言がありました。
「人物だけは判で押したように一緒。
背景だけが全部違う・・・・」
やっぱり・・・・ 顔がなんだか、みんな似てる気がしたのよね~
そして、もう終わってしまいましたが、21-21で行われていた「デザインの解剖展」のリカちゃん人形のことが頭に浮かびました。⇒【*1】
2.リカちゃん人形の頭蓋骨模型と同じ!?
▼リカちゃん人形はこんな感じで、頭蓋骨の模型が作られていて
▲ 重ねるとこんな感じに
リカちゃん人形制作にあたって、頭蓋骨モデルまで作られていたことに驚きました。それと同様に、レオナルド・ダ・ヴィンチも、絵を描くにあたって、人体の探求により、解剖をしていました。人間の骨格まで把握した上で、描いていたため、表情だけでなく、その中身、頭蓋骨を見て描いていたのではないかと想像しました。骨格は人によってそれぞれ違います。しかし、レオナルドは、まだそんなにたくさんの解剖はできていなかったはず。
人間の頭は、頭蓋骨でできていることを解剖によって知り、8個の骨でできているという共通点があるということを知っていたはず。人は、表面上違う表情をしていても、基本的な骨格の形態は同じ。そんなとらえ方をしたため、上記のように、顔が判で押したような同じ顔になったのではと? と想像しました。(絵画が描かれた年代と、解剖をしていた時期の擦り合わせは、していませんが、解剖前でも、骨格を見るという視点で描いていたのでは? とこじつけています。(笑))⇒【*2】
たまたま、試写会の朝、「ドクターG」という番組を見ていたら同じような言葉を耳にしていました。医師が診察の際に、表情を見ながら、「『〇〇筋』の緊張はなし」とチェックをしているのです。医師は、診察において表面の表情というよりも、顔の下の「筋肉」や「骨」を観察していて、変化の有無を見ているらしいことが伺えました。これはレオナルドの目線と同じなのではと思ったのです。
3.建築と解剖を結びつける
レオナルド・ダ・ヴィンチの、建築への功績は建物だけではなく、建築パースなど設計図の描き方にまで及びました。それは、「絵を完成させる」ことよりも、建築技術の完成を優先させたと読み取れると言います。(パースもレオナルドが作っていたとは初耳!)
そして建築を生命体ととらえ、解剖と結びつけていたと言います。
建物の柱は骨格であり、柱を囲む壁は筋肉(?) 外壁は表皮、そして、建物内を移動するための動線は、血流。そんなふうになぞらえることができるかもしれません。
4.ウィトルウィウルス的人体図のもとは建築論
そして、有名なウィトルウィウス的人体図。これは人体の比率についての解説であり、プロポーション、人体がいかに調和がとれているかを示した図だと思っていました。
しかし、この元になっていたのが、古代ローマ時代の建築家ウィトルウィウルスの『建築論』の記述だったことを知りました。
建築理論を人体にあてはめ、それを解剖によって確認していたことが伺え、まさに、建築と人体解剖の融合を見ていたのでした。
5.自然に学んだレオナルド・ダ・ヴィンチ
「ダメな画家は、画家に学ぶ
優れた画家は、自然に学ぶ」
レオナルドの有名な言葉です。彼の発明の大元は、自然の観察からもたらされていました。今の自然科学の原理原則に基づいています。「知」が今のように分化していく前の時代なので、網羅される範囲は、機械工学、航空学、物理学、天文学、気象学、地質学・・・・と多才な才能を発揮することができました。次から次に沸き起こる興味とあふれんばかりのアイデアは、ひとところに留まることを許しません。絵画だけにとどまってはいられなかったのでしょう。自ら描き上げることはせず、思いついたことを弟子に託して、常に新しいチャレンジを繰り返し続けていました。それらは、今の時代にも通用するものも含む自然科学の原理原則にのっとった成果物だったのです。
6.名プロデューサーの裏で支えた人の存在
才能ある人は、名プロデューサーです。琳派の本阿弥光悦もそうでした。
回りの人を上手に盛り立て活用しています。レオナルドの功績もまた、その裏で彼が思うに任せて自由に羽ばたける環境を支えた弟子たちの力があったことを映画では伝えてくれています。意志をひきつぎ形にした弟子たちの力なくしては、レオナルドは存在しえなかったのかもしれません。
7.レオナルド・ダ・ヴィンチの根源は解剖学だったのでは?
これまでレオナルドの根源的なものは、「自然科学」だとずっと思ってきました。しかし、今回この映画を見て認識を改めました。レオナルド・ダ・ヴィンチの根源的なものは「解剖学」だったのではと・・・・
レオナルドのあふれる才能、多才な成果物は、すべてレオナルドの脳から生み出されています。そんな「脳」がどんな構造で、どんな働きをしているのか。それを解明するのが「解剖学」です。自分自身が「考える」「生み出す」という行為を「解剖」を通して理解し、その結果、自然科学の法則を目に見える形として残したのがレオナルド・ダ・ヴィンチだったのでは?
私自身も解剖学を学び、解剖も経験しました。そこからたくさんの学びを得て、それが今に生きていることを、ちょうど感じていたところでした。⇒【*3】
8.「美」に迷い「知」に迷う・・・「迷宮」に迷い込んで「考える」
「美とは何か・・・・」「知とは何か・・・・」それをこの映画から考えさせられます。考えれば考えるほど、迷宮に迷い込んでいきます。その「考える」という行為とは一体何なのでしょう・・・ それは、心(心臓)で考えているわけではありません。まぎれもない「脳」という臓器の、細胞から発せられた電気信号による情報のやりとりにすぎないのです。この仕組みは誰もが共通しています。しかしそこから生み出されるものは違ってくるのはなぜなのでしょうか? 解剖とは「解き剖く(ひらく)こと」レオナルドは、自分の「知」、自分が考え出すことについて、自分の脳を、どこまで解き剖いていたのでしょうか?
「脳」で「考える」ということを意識させられる映画でした。
そして、「生きている」とはどういうことなのか。「生きるとは何か?」 それは常に考え続けることであること。それを自然科学の原則にそって示してくれたのが、レオナルド・ダ・ヴィンチ。そしてそうした彼の思考の根幹を支えていたのが、レオナルドの「脳」だったという新たな認識にたどりついた映画でした。
*以上、1月14日に行われました「レオナルド・ダ・ヴィンチ 美と知の迷宮」の試写会を見てのレポートです。
■レオナルド・ダ・ヴィンチの脳内
ちなみにレオナルドの脳内を脳内メーカーで結果は・・・・
「悩」・・・いつも何か課題をみつけては悩んでた?
「欲」・・・権力者にとり上げられ、登用されたいという有名欲があった
「友」・・・工房の弟子などに支えられた
「遊」・・・結局、好きなことをして謳歌した遊び人だったかも・・・
なんとなく、あたっていると言えば、当たってる? (笑)
ちなみに 脳内構成ワードは
「金」「欲」「H」「嘘」「友」「遊」「働」「食」「善」「秘」「愛」「犬」
「悩」「休」「悪」「私」「迷」「学」「負」「泣」「服」「寂」「楽」「変」「逃」
注:脳内メーカーは占いでも診断でも無く、あくまでお遊びのジョークツールです。脳内メーカーには字画などの占い的要素や、統計学などの学術的要素などの根拠は一切無く、入力された文字列からランダムに結果を弾き出しているに過ぎません。名前を入力するだけで頭の中が分かるほど人間は単純では無いです。 (ツール作成者談)
【追記】(2017.01.30) ■女性像の制作年と解剖手稿の年代
解剖手稿と絵画の年代を調べてみました。
◆解剖手稿年代
(wikipedhiaより)
1510年~1511年 パドヴァ大学解剖学教授とレオナルドは共同研究を行む。
200枚以上の紙にドローイングに剖学に関する覚書を記すが存命中に、手記は発行されていない。
レオナルドの死後、手稿を受け継いだ弟子のフランチェスコ・メルツィが出版を試みるが、
言及範囲の広さと独特の筆記法のために、メルツィの存命中には出版できない。
死後50年以上放置。
ということで、レオナルドの解剖実施年は、1510年~1511年と理解。
◆絵画制昨年
1485年 『ウィトルウィウス的人体図』
1490年頃 『白貂を抱く貴婦人』 「チェチリア・ガッレラーニ」
1496年 - 1497年頃 『ミラノの貴婦人の肖像』「ラ・ベル・フェロニエール」(諸説あり)
1499年 - 1500年 イザベラサラ
1508年 『ほつれ髪の女性』
1510年頃 子宮内の胎児が描かれた手稿
◆絵画への解剖の影響
以上から、解剖をする前の作品であったことがわかりました。解剖したことによる直接的な影響ではなかったようです。似たように見えたのは、衣装、髪型、身につけているアクセサリーによるところが大きかったのかもしれません(笑)
そして改めて見てみると、『白貂を抱く貴婦人』チェチリア・ガッレラーニの肩の部分に注目をすると、この肩や肉付きは、解剖をわかっている人の描き方とは思えません(笑)
また、白貂(テン)と手の関係に違和感が感じられます。これは、モデルがテンを抱いてもじっとはしておらず難しいことから、ネコなどを抱いた状態でスケッチしたものをベースにして、テンを加えているということらしいのです。
もし、そうだったとしても、この手の表情は、美術解剖をわかっている人が描いた手として、どうなのかな? という疑問が出てきてしまいました。
◆レオナルド伝説は、数限りなく存在する
また、調べみてわかったのですが、このモデルが誰なのかということについても、いろいろな説があるようです。また、そもそもこの作品が、レオナルドのものであるのかということについても、いろいろ見解があることがわかりました。
池上先生の言葉。
レオナルド・ダ・ヴィンチについては、
研究者の数だけ、いろいろな説があります。
私たちは、この映画によって、レオナルドの「美と知の迷宮」の入り口に立たされたのだということを改めて実感しました。自分がひっかかた部分を、掘り下げていく。自分の「脳」を使って・・・・(笑)
■参考サイト
*face book
ドキュメンタリー映画『レオナルド・ダ・ヴィンチ 美と知の迷宮』
↑ 試写会でおこなわれたトークの様子や、絵の解説、他の方のレビューなどが
順次、紹介されています。
*トークショーレポート
*登場する名画の見どころ
*映画全貌について詳しいサイト
〇映画「レオナルド・ダ・ヴィンチ 美と知の迷宮」 | 弐代目・青い日記帳
〇アートファン必見!「レオナルド・ダ・ヴィンチ 美と知の迷宮」は
映画で見るダヴィンチの展覧会でした!【試写会レビュー・感想】 - あいむあらいぶ
〇映画「レオナルド・ダ・ヴィンチ 美と知の迷宮」 | Blog | Pen Online
〇CINEMAウォッチ「レオナルド・ダ・ヴィンチ 美と知の迷宮」 美術検定オフィシャルブログ~アートは一日にして成らず
〇レオナルド・ダ・ヴィンチ 美と知の迷宮|学び!とシネマ|まなびと|日文の教育読み物|日本文教出版
■関連サイト
〇「映画」関連
■「レオナルド・ダ・ヴィンチ 美と知の迷宮」 ②レオナルドの根源は「解剖学」にあり!? ← ここ
■【試写会感想】「レオナルド・ダ・ヴィンチ 美と知の迷宮」 ①再現ドラマから浮かびあがるレオナルドの姿 ←前
〇「解剖」関連
〇「思考」「知」「考える」「生きる」
〇追記(2017.01.30) ■女性像の制作年と解剖手稿の年代
解剖手稿と絵画の年代を調べてみました。
◆解剖手稿年代
(wikipedhiaより)
1510年~1511年 パドヴァ大学解剖学教授とレオナルドは共同研究を行む。
200枚以上の紙にドローイングに剖学に関する覚書を記すが存命中に、手記は発行されていない。
レオナルドの死後、手稿を受け継いだ弟子のフランチェスコ・メルツィが出版を試みるが、
言及範囲の広さと独特の筆記法のために、メルツィの存命中には出版できない。
死後50年以上放置。
ということで、レオナルドの解剖実施年は、1510年~1511年と理解。
◆絵画制昨年
1485年 『ウィトルウィウス的人体図』
1490年頃 『白貂を抱く貴婦人』 「チェチリア・ガッレラーニ」
1496年 - 1497年頃 『ミラノの貴婦人の肖像』「ラ・ベル・フェロニエール」(諸説あり)
1499年 - 1500年 イザベラサラ
1508年 『ほつれ髪の女性』
1510年頃 子宮内の胎児が描かれた手稿
◆絵画への解剖の影響
以上から、解剖をする前の作品であったことがわかりました。解剖したことによる直接的な影響ではなかったようです。似たように見えたのは、衣装、髪型、身につけているアクセサリーによるところが大きかったのかもしれません(笑)
そして改めて見てみると、『白貂を抱く貴婦人』チェチリア・ガッレラーニの肩の部分に注目をすると、この肩や肉付きは、解剖をわかっている人の描き方とは思えません(笑)
また、白貂(テン)と手の関係に違和感が感じられます。これは、モデルがテンを抱いてもじっとはしておらず難しいことから、ネコなどを抱いた状態でスケッチしたものをベースにして、テンを加えているということらしいのです。
もし、そうだったとしても、この手の表情は、美術解剖をわかっている人が描いた手として、どうなのかな? という疑問が出てきてしまいました。
◆レオナルド伝説は、数限りなく存在する
また、調べみてわかったのですが、このモデルが誰なのかということについても、いろいろな説があるようです。また、そもそもこの作品が、レオナルドのものであるのかということについても、いろいろ見解があることがわかりました。
池上先生の言葉。
レオナルド・ダ・ヴィンチについては、
研究者の数だけ、いろいろな説があります。
私たちは、この映画によって、レオナルドの「美と知の迷宮」の入り口に立たされたのだということを改めて実感しました。自分がひっかかた部分を、掘り下げていく。自分の「脳」を使って・・・・(笑)
■脚注
*1:■デザインの解剖展:感想 「解剖」って? 「デザインの解剖」「美術解剖」「医学の解剖」
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*2: 〇追記(2017.01.30) ■女性像の制作年と解剖手稿の年代
↑ 女性像の描かれた年代と解剖が行われた時期から、絵画への影響についての考察
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*3: ■解剖実習前の戸惑い(学生時代のレポート)
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