コロコロのアート 見て歩記&調べ歩記

美術鑑賞を通して感じたこと、考えたこと、調べたことを、過去と繋げて追記したりして変化を楽しむブログ 一枚の絵を深堀したり・・・ 

■①出雲大社を知識ゼロから理解 疑問を紐解きながら

 縁結びの神様として知られる出雲大社。しかし、出雲大社のこと、全く理解できてません。何がわからないのかもわからない知識0状態から、どう理解していけばいいのか。沸きおこる疑問とともに紐解いていきます。

 

 

出雲大社って?

出雲大社は、縁結びの神様と言われていますが、どのような由来があるのでしょうか? それ以前にわからないことがいっぱいです。

出雲大社は何を(誰を)祀っているのか
〇神話のことがわからない
大国主命ってよく耳にするけどどういう神? 天照大御神とはどういう関係?
因幡の白兎ってどんな話? 出雲大社とどう関係してるの?
出雲大社伊勢神宮の違いは?
〇大社と神宮の違いは?
〇神社とお寺の違いもよくわかりません

様々な疑問の中でも、一番、謎に感じていること。それは神無月に、全国の神々はなぜ出雲大社に集まるのか?同じ神社の系列の伊勢神宮は、皇室の祖先、天照大御神が祀られているのだから、伊勢神宮には集まりそうなのに・・・

私が持っているイメージは「出雲大社」<「伊勢神宮」。伊勢神宮の方が格上だと思うので、伊勢神宮でなく、出雲大社に集うというのが不思議でした。また天照大御神出雲大社に出向くのでしょうか? 

まず、ここを理解できないと、予習をしようとしても、先に進めませんでした。 

 

■神話の世界ってどうなってるの?

神話にはいろいろな神が出てきます。それらの神の関係は、どうなっているのでしょうか・・・・ まず、最初に伊勢神宮の「天照大御神」と出雲大社の「大国主命」の関係がわかる系譜図がないか、ずっと探していました。しかし、これというものがみつかりません。

書籍もあたってみたのですが、一部が系譜になっているものはあります。しかし全体を網羅しているものがみつかりません。

 

出雲大社にせっかく行くので、予習をしてみました。ところが、神様たちは、漢字の羅列、さらに読み仮名がふられ、目がちらついて、全く頭に入ってきません。漢字だけも読みにくいのですが、平仮名だけも非常に読みにくいです。それぞれの神の関係性のわかる系譜図だけでも手元にあれば、少しは理解ができると思うのですが・・・・

おそらく、自分の見やすいと思える系譜図がみつかるまでは、神話の世界を理解するのは無理と、半分あきらめモード。そんな時は、無理に理解しようとしないことにしています。

時間とともに、いろいろな方面から、基礎知識が蓄積されれば、期が熟すように、理解できるようになると思うからです。また、現地に行くことによって、理解が進むことも期待できます。それからゆっくりでもいいかな・・・と。

 

 

■神話の話は、どこでどうつながってる?

神話の世界が、全くわからないと言っても、これまで聞きかじった話や、美術展や旅先で触れて、調べたりしたことがあります。それらは部分的な話に留まっていますが、神話全体の中では、どんな位置づけとなるのか、どんなふうにつながっているのか。追々、理解していけたらと思い、神話に関して知ってワードを、以下にリストアップしてみました。 

 

天照大御神」 「天岩戸」 「伊勢神宮」 「三種の神器」  
大国主命」  「因幡の白兎」「ヤマタノオロチ

木花咲耶姫」 「ニニギ」 「海幸彦」 「山幸彦」  

  ⇒『HAPPYな日本美術:小林古径《不尽》 母なる山に抱かれて』

     小林古径が描いた富士山の背景に神話があることを知る


豊玉姫」・・・・瀬戸内の島、豊島や男木島に祀られている神 

 

 

■神話を理解するための参考情報

神話を大まかに把握するのに役立った動画

www.youtube.com

 

いろいろ、系譜図を探す中で、こちらの家系図がわかりやすかったです。

  ⇒神様の家系図

 

出雲大社には散策ルートがあるの?

2019年8月末に、出雲大社に初めて訪れました。そして10月に2回目。訪れる前に、下調べをしようとしたのですが、出雲大社の話を見ても全くといっていいくらい情報が頭に入ってこないのです。

基礎知識が全くないと、解説を見ても、何もわかりません。そこで、真っ新の何も知らない状態で訪れたら、何が目に入ってくるのかを試してみることにしました。

そして2度目の再訪。建物の概要はわかってきましたが、まだまだ、神話や出雲大社に関する知識がありません。ボランティアガイドがあることがわかったので、参加してみることにしました。

 

出雲大社はどんなところ?

こちらが現地に行って撮影した看板です。

行く前にも境内図など見ていました。しかし初めて行くところでいつも感じることが、地図と現実の距離感、スケール感は、全く違います。また、建物などの名称も、実際に行かないと、頭に入ってきません。

どこをどのように回わるか事前に理解しようとしても、よくわからないのです。

とにかく、現地に行って体感してみること。最初は、気の向くまま、感じるままに歩いてみることにしました。

そこで何に目が止まるのかが、ポイントで、自分の興味の対象が明確になります。よくわからない状態なのに気になったということは、あとで調べたら、面白いことが見えてきたりします。

 

〇参拝ルート

出雲大社をどのように参拝したらいいかは、出雲大社のHPでも紹介されています。下記が推奨ルートです。

・御本殿前の八足門(やつあしもん)にて御本殿をお参り。
・御本殿周辺の垣(瑞垣―みずがき)を左回り(時計と反対回り)
・各御社殿をお参り下さい。拝礼作法は、すべて「2礼4拍手1礼」

 

つまり、大しめ縄のある「拝殿」をお参りしたあと、御本殿前の「八足門」で御本殿をお参り。そして左周り(時計と反対)で、瑞垣を回わるというルートです。

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「左回り」することががポイントです。

 

 こちらのマップがわかりやすいです。

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 引用:出雲大社境内略図 (掲載許可済)

 

〇初めての参拝の注意

こちらは、何も考えず、記の向くままに歩いたルートです。

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参拝を終えて初めて訪れた時の、注意しなければいけないと思ったこと。

・拝殿のしめ縄を見て、大しめ縄を見たと思わないこと。
・神楽殿にもあるので、見忘れないように
・本殿の周辺を回るのは、時計と反対周り
・駐車場から参拝すると、神楽殿だけ引き返えさない
・ 古代歴史博物館へは近道があるが、駐車場からだと見逃しやすい
大国主命の像が参拝ルートから少しはずれているので見逃さない

 

 

■参道の4つの鳥居はどこにある?

 出雲大社境内へつながる参道には、四つの鳥居があります。その場所は下記のとおりです。これらをすべて通ると、ご利益があるとか・・・・???

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出雲大社案内図

 

第一の鳥居は、神門通りの先にあるので、このマップの範囲外になります。地図の端に記載しました。

4つの鳥居は、それぞれ素材が違います。「鉄筋コンクリート製」「木製」「鉄製」「銅製」 これらすべての鳥居をくぐり出雲大社にお参りをすると願い事がかなうと言われているようです。

ところが、多くの人は、2つ目の「勢留の鳥居」のところからスタートすることが多くなります。

 

〇第1の鳥居:宇迦橋の大鳥居  

神門通りのスタート地点に立つ鳥居。大正4年(1915)大正天皇の即位を記念して建てられました。1914年(大正3年)神門通りが新たな参道として整備された彩の役割もあります。

 

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現地解説


材質: 鉄筋コンクリート
高さ:23,5m(出雲大社本殿より少し低い 当時は日本一)
額面:畳6畳(下記の出雲大社と書かれた部分)

 

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宇迦橋の大鳥へのアクセス

出雲大社の境内から離れているため、第一の鳥居からスタートするのがちょっと難しい位置になります。

出雲大社駅から:観光を兼ねつつ旧大社駅に立ち寄ってから向かうと、その途中で、宇迦橋の鳥居を通ることができます。

・JR出雲駅からバス:出雲大社駅までバスで行ってしまうと、バス車内でスルーしてしまうので、一つ前の「正門前」駅で下車して歩きます。

・車の場合は、どこの駐車場に止めるかによって、歩く距離と時間が変わるので、スケジュールに合わせて・・・

 

〇第2の鳥居:勢溜の鳥居

参道の入り口。
木製の鳥居の劣化により建て替えが行われました。2019年10月2日竣工。以前は木でしたが、錆に強い金属となりました。出雲大社の正門で、人の勢いたまるところという意味で「勢溜(せいだまり)」と呼ばれます。ここが参拝の入り口となります。

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勢溜の鳥居から先が出雲大社の正式な境内です。

ここは、出雲駅伝のスタート地点。毎年体育の日に行われ、全国ニュースで中継されることもありますと解説がありました。

 

 

〇第3の鳥居:松の参道の鳥居

造営されたのは、1978年(昭和53年)8月

松に隠れて、最初に訪れた時は、鳥居があることなど、全く気付きませんでした。中央は通ることができません。

昔は、中央は神様の通り道とされ、神職や皇族の方だけが通行。
今は松の根の保護という理由で、端を歩くことになっているとの解説。
(この看板には、諸事情を考慮しつつ、深い意味が込められているようです。)

行きは左側、帰りは右側を歩くのが習慣らしいです。

松並木は、江戸時代の初めに整備され、植え替え補植も行ないながら維持され、日本の名松100選にも選ばれています。古い木は、推定350~400年ぐらいです。

 

 

〇第4の鳥居:銅の鳥居

参道を抜けたところに、銅鳥居があります。緑青色に輝いています。

ちなみに、この銅鳥居、触りながら回ると「金まわりが良くなる」という話がまことしやかに言われているそうです。ガイドの方からもそのようなお話をされることもあるとか。しかし、これはおもしろおかし話であると出雲大社のHPでキッパリ!説明されています。

言い伝えには、民間が創作してしまうものもあるのだなぁ・・・・と。

 

 

■4つの鳥居を全てぐるとご利益があるってほんと?

〇いろいろな伝承を持っている出雲大社

4つの鳥居をすべてくぐると、御利益があると一部で言われているようです。出雲大社には、民間伝承のようなものがいくつかあることが、わかりました。(銅お鳥居を触りながら回ると「金まわりが良くなる」「注連縄にお賽銭を投げささると縁起がいい」など)

もしかしたら、4つをくぐる話も、そのたぐいのお話ではないかという気がしてきました。

 

〇鳥居はいつ作られたの?

鳥居ができた年を追ってみると

第1の鳥居、宇迦門の鳥居 1915年(大正3年)
第2の鳥居 勢留の鳥居  1968年(昭和43年)
第3の鳥居 鉄の鳥居   1978年(昭和53年)
第4の鳥居 銅の鳥居   1666年(寛文6年・江戸中期)

第4の鳥居が一番古くて江戸時代中期に作られました。その他の鳥居は大正以降とかなり時代が下ります。さらに第2、第3の鳥居については、昭和の時代に作られていたというのは、イメージと違って意外でした。

 

〇4つの鳥居をくぐるとご利益 いつから言われ始めた?

「4つの鳥居をくぐるとご利益がある」と言われるには、4つの鳥居がそろった、昭和53年以後のお話になります。

てっきり、出雲大社が建てられた古代から、鳥居が存在していると思っていました。さすがに古代といわなくても、今の本殿が建った江戸時代前期1667年のあとぐらいから言われていると話と勝手に思っていました。昭和の話だったのか・・・・

(第一の宇迦橋の鳥居がコンクリート製と聞いた時にも、あれ?と思いました。昔、コンクリートなんてないのに・・・・ この鳥居が建設されたのは大正期だとわかり納得。出雲大社って意外に新しいものもあるんだなと。しかし、他の鳥居はもっと新しく、昭和だったことは、この時は知りませんでした。悠久の時間に包まれていると思っていた出雲大社の姿が、少しずつ認識が変わってきました。)

4つそろったのは昭和。しかも戦後・・・・ そういうことだったのか・・・と認識を新たにしました。

 

〇素材が違う4つの鳥居に意味はある?

4つの鳥居があって、それぞれ素材が違う。これは、出雲大社だけの特徴ですと言われると、ありがたいものになりますし、意味があると思ってしまいます。それぞれの素材が違うということが強調されて語られているように感じました。

適材適所、素材の性質によって、それを使う意味や謂れがあり、そこにあるべくしてあるのだろうと想像していました。素材と場所との関係は、追々、理解していこうと・・・・

ところが・・・・ 第二の勢留の鳥居が、2019年、耐久性を考慮し、木製から金属に変えて建て替えが行われたことを知りました。4つの鳥居の素材が違うのは、それぞれ意味があるからだと思っていたので、そんなに簡単に素材を変えてしまうの?とちょっとびっくりしていました。

古事記を起源とする古い歴史を持つ出雲大社。そこには、長年伝えられてきた、謂れがあるはず。鳥居の素材も、長い年月の中で培われてきた理由があると思っていました。

耐久性を理由に、現代になって簡単に素材を変更してしまっていいのかという疑問がありました。古い建物は、木という素材の特性を日本の風土といかに折り合いをつけいくかを模索してきた歴史があるはず。その最たるものが遷宮という考え方なわけだし・・・ 

そんな出雲大社の正面の顔ともいえる鳥居を、木は耐久性が悪いからといって、金属に変えてしまうのは、出雲大社の歴史を冒とくすることにならない? とまで思っていたのです。

その一方で、素材について、そんなに重みのある話ではないのかもと感じ始めました。「4つの鳥居、4つの違う素材」をことさらに強調することに、疑問も感じていました。素材が違うのは、たまたまのことなのでは?

 

〇鳥居は誰が建てるの? 素材はどう決めるの?

鳥居はいつ頃からあったのでしょか? 素材は歴史に基づいて選んでいるわけではなさそうと感じ始めました。

また、鳥居は、寄進によって建てられていることがわかりました。出雲大社側の意向によって設置されているものと思っていました。寄進といっても、元出雲大社関係者や篤志家の方など、しかるべき面々の方々です)鳥居の素材については、あまり意味がないらしく、奉納者の意向なども影響しているようです。

鳥居の素材の意義や決め方

鳥居の素材自体にあまり意義はなく、おおむね鳥居を寄付して下さった方(奉納者)の意向や、その神社に踏襲されている仕来り(しきたり)で決まるようです。

引用:出雲大社(IZUMO-OYASHIRO)・松並木の参道の鳥居(SAN-NO-TORI) | 出雲大社-御朱印

 

〇ご利益の話

出雲大社には4つの鳥居があって、それぞれ素材が違う。それが、出雲大社だけの特徴ですと言われると、そこに何か意味があると思ってしまいます。たまたまのことでも、他の神社にその特徴が存在しなければ、差別化、特殊性を増します。

4人の寄進者が現れて鳥居を建てました。奉納した方の好み(?)がそれぞれ違った。ということが素材の違う4つの鳥居が誕生した背景なのだと、私は理解しました。

神社の謂れも、作られたものがある。

4つの鳥居があって、それぞれ素材が違うことについて。出雲大社のHPでは、語られていませんでした。また鳥居の解説は、銅鳥居しかされていません。勢留の鳥居や、宇迦橋の鳥居については触れられていないのです。

出雲観光ガイドの「出雲大社参拝ルート」は、勢留の鳥居からを、正門から正式な参拝ルートとしての紹介しています。⇒https://www.izumo-kankou.gr.jp/676(宇迦橋の鳥居は、参考紹介のような扱いに感じました。)

これらのことも「4つの素材の違う鳥居」に何か違和感を感じる一因だったかもしれません。

 

【参考】出雲大社は怨霊の神社?出雲大社紫野協会)
出雲大社は怨霊を鎮める神社」という説について、井沢元彦氏の「逆説の日本史」によるものと考えられるという見解が示されていました。

研究者によるいろいろな言説もあれば、出雲大社側の話もあり、そして民間が広めたデマ(?)もあることがわかりました。何が正解なのかはわかりませんが、言われたままを受け取るのではなく、自分でも調べて考えることに意味があると思いたいです。

 

 

■有名な大しめ縄、どれが本物? 

出雲大社と言えば、大しめ縄。出雲大社に関する知識がなくても、ここに大しめ縄があることは、だれでも知っています。大しめ縄にどんな由来や意味があるかは置いておいて、まずは、目にしてその大きさを実感することに。

参道を直進し、第4の鳥居をくぐると、目の前に登場します。

〇拝殿

これが、あの有名なしめ縄なのか・・・・ なんだか、思ったほど、大きくない気がする・・・・

 

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そんなことを思いながら、横から、下から眺めて写真を撮影しました。

その後ろには、八足門があり、そこでお参りをして帰ってしまう人もいるようです。

 

建設年:1963年新築 戦後最大の木造建築
高さ:12.9m
様式:大社造りと切妻造の折衷様式。
利用:ご祈祷 奉納行事など
注目:しめ縄が一般の神社と左右逆

 

〇もっと大きなしめ縄がある! 

実はこちら、よくテレビや写真で目にする大しめ縄ではないのです。お馴染みの大しめ縄は、楽殿(←ここ注意!!)にあります。これを見て、出雲大社の大しめ縄を見た、と勘違いをする観光客は、意外に多いらしいです。また、ここを本殿と間違えて、帰ってしまう人もいるそう。本殿はその先にあります。

 

ここで、推奨されている観光ルートをもう一度確認。

 

〇参拝ルート

大しめ縄のある「拝殿」をお参りしたあと、御本殿前の「八足門」で御本殿をお参り。そして左周り(時計と反対)で、瑞垣を回ります。「左回り」がポイントです。下記順路参考

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出雲大社案内看板

 

拝殿で、帰ってしまわないこと。その後ろに回り、御本殿前の八足門(やつあしもん)にて正面から御本殿をお参りします。
御本殿周辺の垣(瑞垣―みずがき)を左回り(時計と反対回り)に進み各御社殿をお参りします。

 

基本の周り方をすれば、一周をしたところで、楽殿の方向へと、自然の流れで向うことができます。この先の楽殿こそが、出雲大社でよく目にする大しめ縄のある場所です。

 

〇宝物殿で知識の補給

始めて訪れた時、流れで、八足門から右回りで参拝してしまいました。一周すると、宝物殿に遭遇しました。何もわからず見ていても、埒が明かない状況となっていたので、これは、天の計らいと思い、宝物殿に入りました。

それまでは雲をつかむようで、わからない状態でしたが、少しは理解できるようになってきました。自分としては、望ましい回り方ではなかったけども、ベストなタイミング宝物館に出会えてよかったと思いました。

宝物殿を出ると、一通り出雲大社も見終わった気分。引き返してお昼にしようと思っていました。しかし、向こうの方に何か建物があり気になります。そこは、社の敷地からははずれているような場所で、メインの建物とは違うようです。結婚式場のようでもありますが、とりあえず見ておこうか‥‥ そんな軽い気持ちで向かいました。すると・・・ 

 

〇神楽殿

本命登場! といった威容を放つ建物・・・・

そして、それは、それは、大きなしめ縄が現れたのです。
 
もう、圧巻です。
 
拝殿で見た時に、小さい・・・・と思ってしまうのも納得。危うくこれを見ずに帰ってしまうところでした。あとで、ここに本命があったことを知ったら・・・・ ここまで、来ていてと悔やまれたことでしょう。大きな落胆に包まれていたはず。
 
ちなみに大きさの比較
「拝殿」の注連縄: 長さ  6.5m 重さ 1t
「神楽殿」の注連縄:長さ13.6m 重さ 5.2t 
長さは倍以上、重さは5倍です。
 

〇 注連縄にお賽銭を投げささるとご利益があるってホント?

以前、この注連縄に賽銭を投げてささると、たくさんの人が、下から投げていたらしいです。神聖な注連縄に投げ入れるというのは、神様に対して失礼ということで、今は網を張って禁止しているそうです。
 
観光地などで、池など水がたまるところにコインというのは、世界中、共通した習慣のような気がします。以前、竹生島で、土器(かわらけ)に願い事を書き、鳥居へ投げ鳥居を通れば、願いがかなうというのを目にしていましたが、ひょっとして・・・と思ってしまいました。でも神社側で土器を提供しています。なんだか、今後、この手の話、疑ってしまいそう・・・・(笑)
 

〇大しめ縄、どっちが本物?

ところで、本物を神楽殿で見ることができてよかったと思ったのですが、楽殿ができたのは、昭和58年(1981年)祭典、祈願、結婚式などが行われる場所としてできたことがわかりました。出雲大社の歴史からすると比較的新しい建物です。というか、拝殿のあとにできたことになります。

以前から、多くの人の中にある、出雲大社の大しめ縄のイメージは、1981年より前、拝殿のしめ縄のことだったのでしょうか?

 

拝殿は、昭和34年5月に竣功されました。(これも昭和の建物だったのかぁ・・・・ 出雲大社の鳥居や建物って意外に新しいものが多いんだな)と思ったら、昭和28年5月に、古い拝殿が不慮の火で焼亡し再建されたと言います。
 
では、その前の建物は、いつ頃に建てられたのでしょうか? 
室町時代の1519年造営! やっと歴史を感じる時代観となりました。
 
昭和34年に再建されると、テレビなどで紹介され、大きなインパクトを与えたのだと思います。その後のテレビの普及とともに、出雲大社の大しめ縄の迫力が全国的に知られるようになっていったのでは?と思いました。
当時、拝殿の大しめ縄でも、相当大きなインパクトがあったはず。さらに、昭和58年、神楽殿の新たな大しめ縄にとって代わっていったのかもしれません。
 
どちらが本物? と思ってしまいましたが、大きさで判断するか、建物の歴史で見るかによっても違います。神楽殿の大しめ縄を見忘れても、室町からの歴史の流れをくむしめ縄を見れたと思えば・・・・
 
ところで、拝殿に大しめ縄が設置されたのは、設立当初からのことなのでしょうか、何かのきっかけがあってのことなのか。また追々、調べてみることにします。
 
 
【追記】2020.01.11 神楽殿は1879年(明治12年)に建設
楽殿をwikiphedhiaで調べてみると、1879年(明治12年)に出雲大社教創始の際に、大国主神を祀ったことに由来するとありました。明治期から、大注連縄は、あったもよう。最初からこのサイズっだったのでしょうか?
 
 

出雲大社の大しめ縄は、最大級。日本一は?

出雲大社の大しめ縄。てっきり日本一の大きさだと思っていました。ところが、その表現が「国内最大級」「日本最大級」「日本一」と表現されています。では、日本一は、どこなんだろう・・・・ 調べた方がいらっしゃいました。

何を基準にするか、つまり長さなのか、重さなのか、太さなのか・・・・ それによっていくつもの日本一がありそうです。

 

大しめ縄が交換される様子が紹介されていました。 

 
現在のしめ縄の奉納には、クレーンを使ったりした大がかりな現場。神楽殿は明治時代に立てられた建物です。しめ縄の大きさは、次第に大きくなっていったのかもしれません。
ツボだったのが、役目を終えたしめ縄は、森に安置され(場所は非公開)土に還るというところ。人知れず朽ち、森の生物に還元されていく様子が目に浮かびました。
 
 

■初めて出雲大社 参拝の注意点

せっかく出雲大社にわざわざ行ったのに、大しめ縄を見ずに帰ってしまった。きっとそんな方も多いだろうなという気がしたので、ボランディアさんに伺ってみました。
 
よくあるケースを紹介します。
*「拝殿」のしめ縄を見てそのまま帰ってしまうケース。
  このしめ縄を見たら、大しめ縄だと思ってしまうパターン
  拝殿を本殿だと思って帰ってしまうケースも
 
*「神楽殿」だけを見て、本殿を見ずに帰ってしまうケース。
車を利用したり、観光バスを利用されたかたが陥るパターン。
 
西側の駐車場やバス停で降りると、そのまま道なりに歩くと「神楽殿」になります。出雲大社全体の広さや建物を把握していないと、神楽殿が、出雲大社そのものだと思ってしまうそう。本殿のある敷地にもいかず、帰ってしまうケースもあるそうです。
 
くれぐれもご注意あれ!  最初のスタートは、境内の最南端「勢溜の鳥居」からです。
 
*「巨大御柱」発掘のあとの見落とし
八足門前に、巨大御柱が発掘された跡に赤い丸印がされています。最初に訪れた時には全く気づきませんでした。2度目の時に確認と思っていました。特に位置は調べなくても、2度目だし、目に入るだろうと思っていました。
しかし、見事に気づかずスルーされていました。人が多いと気づきにくいこともあるかもしれません。
 
 

〇旅先でアンテナにひっかかるもの

今回、宝物殿を出たあと「そろそろ疲れてきたし、お昼にしようかな?」「でも、向こう側には何がありそう」「境内の外みたいだけど、せっかくだから、あっちも行ってみよう」そんな選択をしたことが、大しめ縄との出会いを引き寄せてくれたのだと思います。
 
下調べをせずに訪れたとき、旅先で、何が自分の中に飛び込んでくるのか。運もあります。でも、自分のアンテナが神楽殿の方向に向いて、そこに何かありそうと思えたことに、大きな意味があったと思うのです。
そして、その時に「行く」と選択したことによって、縁を呼び寄せたり、遠ざけたりします。
それは、その日の天候や、旅行の行程、時間的なゆとり、身体的な余裕など様々な条件が絡んで、そこに時間を割くかどうかの判断を、無意識のうちにしています。何を拾い上げて、何を切り捨てるのか。そこに旅の出会いを、方向づけているのだと思いました。
 

〇旅先での出会いは、縁が取り持つ?

今回の大しめ縄とは、ご縁があったのだと思います。また本殿の回りを周回するルートも、最後に宝物殿と遭遇し立ち寄ることができ、出雲大社を理解するのに大きく役立ちました。

推奨どうおり、左回りをして先に宝物殿を見ていたら・・・ 理解には至らなかった気がします。反対周りをしたのも何かのご縁だったのかもしれません。
 
参拝ル―トのサイン標識があれば、見逃して残念な思いをする人を減らせるのにと思うこともあります。しかし、旅先で出会えることには、ご縁によって、コントロールされているものという考えがありました。
そんな縁に、自分の注意力や感性も加わって、出会えること、出会えないことが決まります。
取りこぼしてしまうことも多々あります。残念ですが、それは、その時の自分の容量が足りないため、受け入れが整っていないから、縁が結ばれないのだと思うようになりました。
 
取りこぼしが多くなると、逆に再訪の機会につながります。あとで何で、ここに気づけなかったのか・・・・そんなことを探るのも面白いです。初見の時、自分の目線は、どういうものをどう追いかけるのか、無意識の傾向があります。それを意識しておくと、役立つことも・・・・ 
 
だれもが知っている大しめ縄、ちゃんと本物(どちらが本物?)とご対面できるかどうかは、大国主命が決めているのかもしれません。
 

 

出雲大社の「下り参道」の意味は?

出雲大社の参道は、全国でも珍しい下り参道だそうです。

〇帰りの参道の登りに興味

始めて出雲大社に訪れた時は、下り参道と言われていることは知りませんでした。しかし、傾斜を感じたのは、帰りの登り道でした。だらだらとした登坂がきつく、最後、急になっていました。来る時は気づいませんでしたが、ここにきつい傾斜があったことを意識させられていました。

急な勾配を登りつめようとしたあたりから、鳥居の先端が見えだしました。その鳥居が次第に大きくなって、その先の世界が、劇的に目の前に登場し、一望できるようになります。参拝後に見る世界が一変させられたように感じたのです。

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長い一直線の上り坂を少々疲れを伴いながら、鳥居にたどり着いた時、急に広がったのががこの景色です。

お参りをしたあとに見た景色・・・・ これまで見ていた世界とは全く違う様相でした。(お天気の変化などが影響しているのかもしれませんが)これがご利益というものなのかな?漠然と感じさせられていました。

さらに進み、鳥居を出ると、神門通りから一直線に伸びる道の先にも鳥居があることに気づきました。

今立っているこの場所を頂点として、これまで歩いてきた道と、これから歩いていく道を示唆的に示されたように感じられました。そしてまだ、まだ、見たことない新しい世界が広がっていること。同じ景色も、見え方はこんなに変わる。そんなお告げをいただいたように思ったのです。

 

〇参道の勾配は意図されたもの? 自然によるもの?

しかし、どこかこの感覚に、人為的なものを感じていました。参道を登りったところで、何か悟りやご利益を感じるように、意図的に土地を造成をして作ったものではないか?

信仰を確実なものにするため、他の神社との差別化を図る。そのための大プロジェクトが、出雲大社では行われたのではないかと。

地勢までも変えて、参拝者に何かを感じ取らせ、信仰を促し、国の統一をはかる。そんな出雲大社の秘密をみつけたようで、ワクワクしてきました。

一方で、そんなことは全くなくて、もともとの地形を生かしただけなのかもしれないとも思ったり・・・・

 

参拝後、私の視界が広がったのは、人為的な誘導があって導かれたことだったのか?もともとこの土地が持っている地勢から感じさせられたことなのか。そこのところを、知りたいという興味が生まれてきました。次に訪れた時には、確認してみようと思っていました。 

 

〇ひっかかりを感じた理由は?

勢留の鳥居から神門通りを見た時、人の手によってつくられていると感じたからです。

鳥居の向こうに広がる山々の神々しさとは対照的に、直線的に伸びる道路が幾何学的で人工的に思えました。この景色には、なんらかのテクニックによる視覚効果が加わえられている気がしました。(見た目と実際の距離感の違いとか、両端の道幅を変えていたり、傾斜も、何か視覚に影響していそう)

 

出雲大社駅から歩いていて最初に目についたのが、歩道に縁石がないことでした。さすが出雲大社のお膝元、バリアフリーを考えられた町づくりをしているのだと思いました。(これは「シェアドスペース」(歩車共存型道路)という考え方でした。)また歩道が広め。電柱がないことは後から知りました。これらの道路整備が、遷宮の時に行われていたという予備知識が頭の隅にありました。

それらによって、この通りは最近、大きく変化しています。そんな変革を繰り返してきた場所であることを、感じとらせたのだと思います。

 

参道は(その他も)時代によって変化します。今の技術によって変えることができることがある一方、昔は昔の技術があって整備されているはずです。その中で、信仰を集めるために、地勢までも変える大プロジェクトが行われていたかもしれません。出雲大社であれば、そんなことまで行っていても、おかしくないと考えていたように思います。

  

〇傾斜は地形によるもの

この地形は、もともとの地形なのか。造られたものなのか‥‥そこの部分を知りたいと思っていました。

2度目に訪問した際、ボランティアツアーでわかりました。

出雲大社は、下り参道であることが、めずらしいと解説がありました。神社のお参り経験があまりないと、下り参道が珍しいと言われても、あまりピンときていませんでした。私は帰りの参道の登りの方が気になっていました。

考えてみると、通常、階段を上がった先に神社は祀られています。神社は小高い山の上などにあるので、無意識のうちに上った先に位置していたかもしれません。 

この「珍しい」下り参道という状況はどのようにしてできたのでしょう・・・・

・人為的にこの地形を作った
・下った先に社がある、めずらしい地形の場所を意図的選んで建てた
・たまたま、建てた場所の地形が下り参道で、後付けで意味を持たせた

いろいろ、想像していたのですが、ここは、もともとの地形だったということが、わかりました。しかし、下りであることに、どんな意味があるのかがイマイチわかりません。

 

〇地形は、変化していないのか?

またこの周辺の地形というのは、出雲大社が立てられた時代から、変わっていないでしょうか?江戸時代など、神門通りなどは、もしかしたら、傾斜を持たせて開発しているとも考えられます。

出雲大社の立地、地形は、昔から同じなのか‥‥ そのあたりの疑問から、出雲大社への興味が少し沸いてきました。

 

【追記】2020.01.21   以下、出雲大社周辺の地形に関する資料

〇江戸時代初期の八雲山と出雲大社

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江戸時代初期の八雲山と出雲大社 古代歴史博物館展示パネル

 

〇寛文の造営前の近郊図

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寛文の造営直前に描かれた「紙本著色杵築大社近郷絵図」(北島建孝氏所蔵)

引用:島根県:島根県 : 遷宮の源流

   (トップ / 県政・統計 / 政策・財政 / 広聴・広報 / シマネスク / 2013年 / 87)

    出雲大社の時代変遷

 

〇建物の変化  

鎌倉時代 宝治2年の造営時

f:id:korokoroblog:20200122002607j:plain出雲大社并神郷図の部分拡大図

鎌倉時代の杵築大社(現在の出雲大社)とその周辺を描いた絵図。

画面中心付近の大社の朱塗りの神殿は、宝治2年の造営のものといわれ、他の建物よりもひときわ高くそびえています。

 

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(左)慶長期(1609年)の出雲大社復元
(右)1744年(延享元年)の復元

 

出雲大社の歴史

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古代歴史博物館展示パネル

 

〇ファーストインプレッションは大事

何も知らずに訪れて、参拝をして、勢溜の鳥居に戻ったら、雨はあがり、鳥居の向こうには別世界が広がっていました。何か神々しさを感じさせられました。

しかしそれは、意図的にもたらされたことだったのかも・・・ 物事には、必ず意味や理由があり、それを感じさせる背景が存在していると思って生きてきたことを感じていました。

ハッとさせられ世界が違って見えたこと。しかし、それはもしかしたら何等かの仕組みによって誘導された結果だったのかもしれない。自分自身が感じとったと思っているけども、何かに操作されて感じたことなのかも。

自分で感じたことにまで、疑問を感じてしまうことに、おかしくなりました。

(宗教って人を信じさせるために、様々な心理的な技術が長い年月をへて蓄積されていろのかも…とか思っているわけです。現皇后様が神事に対して意味が見いだせないために悩んでいるという話を聞いたことがありましたが、その感覚がちょっとわかる気がしました。)

何かにつけ、意味を見出そうとする傾向があると「下り坂がめずらしい」とだけ解説されても、納得できません。その理由がわからないと・・・・

出雲大社紫野教会では、意味はないだろうと言われていました。

勢溜から参道を進むと、少し下っていきます。神社では珍しい下り参道ですが、勢溜が高い位置にあるためで、何か深い意味があるとかはないと思います。

引用:出雲大社境内案内(その1)---出雲大社紫野教会

 

下り参道が珍しいということが、どこか意味ありげに語られているだけのこと?と思ってしまうのでした。

 

珍しい下り参道を持つ社殿は、他にはどんなところがあるのでしょうか。そこに何か共通点はあるのでしょうか?

【参考】

日本三大下り宮とは?階段の下に社殿がある珍しい神社【群馬・宮崎・熊本】|TapTrip
下り参道は、何を意味するのか?出雲大社の本当の参道とは?
【ダンサー(高低差ファン)必見!!】 大社の頂上【高低差のまち出雲市大社町】 | 山陰百貨店―日常を観光する―

 

今後、神話、神道を理解する上で、それらの意味のところでで躓きそうな予感・・・・ 

 

〇今の参道は、明治になってから

出雲大社の現在の参道ができたのは、明治期になってからのことだとわかりました。1912年の国鉄大社駅の開業によって、人が参拝するために、駅から直線の参道を通して、利便性を計ったのだそう。

出雲大社の周辺は、過去には、荒れ地だったそうで、そこを耕して田んぼが広がり、邸宅を構えていてたそう。下り参道と、第一の鳥居から、勢留の鳥居を一直線にしたのは、江戸末期から明治にかけてと、結構、新しい時代のことだということがわかりました。

 

ブラタモリでも取り上げられていたそうです。

rengacity.sakuraweb.com

かつての参道が紹介されています。

この地形は、砂丘による高低差と解説がありました。


メインストリートの変遷が紹介されています。

 〇衰退した出雲大社の参詣道を見事に復活させた、出雲市と地域住民の再生戦略 | 住まいの「本当」と「今」を伝える情報サイト【LIFULL HOME'S PRESS】

神門通りのリニューアルについて

 

 

■神門通り

国鉄利用参拝者向けに作られ、時代に合わせて変革

国鉄大社駅から出雲大社への参詣道として整備されたのが「神門通り」。戦後は沿道も旅館でにぎわっていましたが、自動車の普及などで寂しい通りに。遷宮をきっかけに整備をすすめました。

宇迦橋の大鳥居から出雲大社の正門まで続く、約700mの表参道。
名物の出雲そばやぜんざい、お土産屋さんが連なります。

第二の勢留の鳥居を背に振り返ると、一直線に伸びる通りの先に、第一の鳥居、宇迦橋が見えます。
 この参道の途中に、一畑電車出雲大社駅があります。

 

追記:2020.02.19

この道路の道幅。勢留の鳥居の道幅が明らかに広く、第一の鳥居側は、狭くなっていると昨年の夏に訪れた時に感じました。これは、何等かの効果を狙い意図をもって作られている!と直観が働きました。

その理由を考えてみたのですが、より遠近感を感じさせる効果があります。それは、絵画の構図のテクニックでもあり、こういう形で生かされているのだと理解していました。そして、長い参道の道のりを経て参拝することで、ご利益を得るといった心理的効果にもつながっているのでは?と。

 

参道のリニューアル計画プランを見ていたら、その理由がわかりました。

参考:Engineer-Architects Association/エンジニア・アーキテクト協会 > SERIAL > 09|出雲大社参道 神門通り

沿道建物のいくつかは、あえてセットバックし、神門通りと雰囲気を合わせて外構を石畳で整備してくれた。こうなると、どこまでが道路でどこから民地なのか判然としない。歩行者は自然と建物に吸い込まれる。そんなセットバック部に椅子やテーブルを出すと、オープンカフェさながらの光景が出来上がる。

 また、交差点の交通量の多さを回避するための道路拡張の必要もあったと言います。

道幅が違う!ここにはきっと何か理由があると感じた直観の裏に秘められていた計画。そうした現代の技術的なものと、その先に広がる出雲の山々や神話の世界を感じさせる空の対比に、神話の空想の世界と現実。今と過去の同居を感じさせられ、形容しがたい感覚を抱いていたのでした。

 

 

 

〇2013年 遷宮を期にリニューアル

神門通りでは、電柱を廃止し、電線の地中化工事を行いました。そのため視界の通りがよくなっています。また、道路の幅もひろがりました。

また、車道と歩道の間にある縁石がないことも特徴です。

 

レンガの敷く向きで、車道と歩行者の歩道の識別をしているのかと思ったら、車と人が境界を融通しあっているようです。 

 

 沿道の松は篤志家により寄付されました。

 

〇歩み

・明治45年:国鉄大社駅が開業。出雲大社への参詣道として「神門通り」を整備。
・戦後~昭和30年代:沿道には旅館街が形成され大賑わう
モータリゼーションの進展
・平成3年:JR大社線廃止 人通りはほとんどなくなり、“寂しい”通りに。
・平成25年:60年に一度の出雲大社御本殿の大遷宮

この一大行事に合わせ「神門通り」の再生プロジェクトが行われました。
道路幅員構成の見直し、石畳舗装化、官民一体となった沿道の町並みの景観作り、にぎわい作りの取り組みを、地域をあげて進めています。

 

〇有名ミュージシャンの実家の旅館

「駅」「いのちの歌」などで有名な、シンガーソングライターの御実家の旅館だそうです。ボランティアツアーでも紹介され有名な話のようです。創業140年。数々の名曲が、ここでの暮らしがあって、生まれたかと思うと・・・・

 

ライブカメラ

通りの様子をライブカメラで見ることができます。

www.kankou-shimane.com

 

出雲大社を理解するための入口に立っての感想

何にもわからない・・・からスタートした出雲大社ですが、わからないなりに出雲大社に対して抱いていたイメージがあります。それは「古代から長きに渡る歴史と信仰に基づき、今に伝えらてきた建物」という理解でした。

ところが、鳥居や建物、境内に置かれた様々な像は、昭和の時代に新たに作られているものもいくつかあり、当初持っていたイメージとの違いに、戸惑いを感じていました。

今、ここにあるということの重み。長い歴史を背負い、維持管理されながら存在し続けた時間を、現地に行けば、肌で感じることができる場所。出雲大社は、悠久の時間に包まれた場所。そんなイメージを抱いていました。

しかし、時代の変化によって変わるものもあれば、変わらないものがあります。変わらないものの一つが本殿だと理解しました。

ところが、この本殿でさえも、今あるのは、1744年(延享元年)江戸時代に再建されたものだったのです。古代歴史博物館には、それ以前の模型が復元されていました。

 

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(左)慶長期(1609年)の出雲大社復元
(右)1744年(延享元年)の復元

 

平安時代出雲大社

 

出雲大社は、昔のままの状態で引き継がれ、残っているわけではない。という、基本的なことをやっと理解できました。

 

出雲大社に訪れ、ここはどういうことなんだろう?という疑問を中心に、少しずつ、ひも解いている途中です。

もしかしたら、神話や神道の世界は、なぜ?と思ってはいけない一面もあるように感じることも・・・ しかし、そうではない部分もあるようにも感じられます。

このあとも、それぞれの場所で感じた疑問を元に紐解いていきます。

 

 

■参考

Engineer-Architects Association/エンジニア・アーキテクト協会 > SERIAL > 09|出雲大社参道 神門通り

2017年 最優秀賞 神門通り | 土木学会デザイン賞

衰退した出雲大社の参詣道を見事に復活させた、出雲市と地域住民の再生戦略 | 住まいの「本当」と「今」を伝える情報サイト【LIFULL HOME'S PRESS】

 

出雲大社建造の謎
寺社建築と文化財の探訪<TIAS> 出雲大社の起源 不思議な平面
出雲大社 - 全国史跡巡りと地形地図

 

出雲大社関連(ブログ内)