コロコロのアート 見て歩記&調べ歩記

美術鑑賞を通して感じたこと、考えたこと、調べたことを、過去と繋げて追記したりして変化を楽しむブログ 一枚の絵を深堀したり・・・ 

■ラスコー展:⑥感想:第7章 8章 クロマニョン人って? どこから来た? その時日本は?

■ラスコー展:⑤感想:5章・6章 「ラスコーの研究」と「芸術の始まり」 の続きです。7章はクロマニョン人の正体や、彼らがどこから来たのか。謎のクロマニョン人の正体を説きあかします。そして最後の8章では、ヨーロッパでクロマニョン人が活躍時代、日本の祖先は何をしていたのか? そんな疑問に答えてくれます。

 

 

  

■7章 クロマニョン人の正体:彼らはどこから来たのか

これまでの展示を見て、クロマニョン人ってすごいんだね・・・・ だったら、私たち「ホモ・サピエンス」と「クロマニョン人」とは、どういう関係にあるんだろう・・・・ 道具に装飾をしたり、装飾品を身につけたりして、今と同じような文化をすでに持っているように見える「クロマニョン人」です。しかし「科学的な分類」という面からはどういう位置づけの人なんだろう・・・・ という疑問を感じ初めていました。

 

そこはさすが、科学博物館! その答えを、ちゃんと7章で用意してくれていました。最新の研究に基づいて、謎に包まれたクロマニョン人の正体を解き明かしてくれるのがこのコーナです。

 

  

〇形態学・遺伝学から最新のクロマニョン人の研究

   

 

 

               ↑ 注目

ネアンデルタール人ホモサピエンスは、交雑していた! そして今尚、我々アジアとヨーロッパのホモサピエンスの血には、1.5%のネアンデルタール人のDNAが混ざっているといういうのです。進化の過程というのは、いきなり切り替わるわけではないということがわかります。交わり合いながら、適者生存のルールが働きネアンデルタール人の血が次第に薄くなりながらも、今も残っているということのようです。

  

 

クロマニョン人の素性(化石人骨から)

・頭骨のかたちは私たちのものと同じ

DNAも共通

・彼らは私たちと同じホモ・サピエンスだということが判明。

 

 

ホモサピエンスのはじまりは?

では、ホモ・サピエンスは、いつ頃、どこではじまったのでしょうか?

「20万~10万年前頃、アフリカで進化した」ことが明らかになっています。

 

 

クロマニョン人って何? どこから来たの?

これは、青山ブックセンターセミナーで海部先生が、解説されたお話です。

 

ホモサピエンスは、アフリカで発祥し、その後、全世界に大移動しました。そのうち、ヨーロッパに移って、洞窟に絵画を描いたり、道具を作ったりしたグループを、私たちはクロマニョン人と呼んでいます。」

 

この解説が、妙に私にはツボでした。「私たちはそう呼んでいる」という説明をしていただけることが、その後の理解をとてもスムーズにします。まず、この表現から、まだクロマニョン人について、一致したコンセンサスが得られていないのだろうという想像ができます。実際にクロマニョン人を調べてみると、またまた、こんな感じでした。クロマニョン人 - Wikipedia

 

結局、いろいろな説があって、共通認識はされていないのだということがわかります。そんな中(いろいろ解釈はあるけども)私たちはこう考えて話を進めていきます」と、最初にお断りをされていると、ラジャー! とすんなりその後の話に入っていくことができます。

 

 

このあとのお話は、展示と、青山の講座、下記のラジオ放送の内容をシャッフルして紹介します。(↓ これ面白いです ラスコーに興味のある方はぜひご視聴を!)

「クロマニョン人が残した『ラスコー洞窟の壁画』は何を伝えているのか?」

   海部陽介&橋本麻里【音声配信】1月19日(木)放送分

   (TBSラジオ「荻上チキ・Session-22」平日22時〜)

   |TBSラジオAM954+FM90.5~聞けば、見えてくる~

 

 

クロマニョン人ネアンデルタール人の違い

クロマニョン人:骨・象牙・角を有効利用してクリエイティブにいろいろなものを作った

ネアンデルタール人:骨・象牙・角を上手に使えない  

          原人は骨で石器のようなものを使った。

 

「石器があるのに、わざわざ骨を使って同じような石器を作っても意味がない。どうせ作るなら、細長い骨の特徴を生かした針をのようなものを作ったクロマニョン人みたいに、石器からは作ることが難しいものを作り出すのがクリエイティビティ― クロマニョン人は、素材の特徴を見抜いて加工していた。」海部先生談。

 

そうそう、そうなんですよ~ 洞窟の絵も岩の硬さなどちゃんと把握して、その特徴に合わせて、線刻したり、いきなり着色したりして、描き分けていたの見てきました。

 

石器時代というのは260万年前(かなり昔、これまた時代スケールが変わります)

 

クロマニョン人の登場によって、生活だけでなく、美術的表現 より高度な生活文化が繰り広げられました。クロマニョン人と、ネアンデルタール人の違いについて、ネアンデルタール人は、洞窟の奥には入らなかった。絵も描かなかったそうです。

 

クロマニョン人=すごい! ってことはよ~くわかりました。だけど、ネアンデルタール人とはいったいどこが違うの~? って思い始めていました。すると、ラスコー展関係のことを調べると、海部先生はちゃんと、そこかしこに言い残して置き土産のように爪痕をのこされています(笑) ちょっとだけですが、クロマニョン人と、ネアンデルタール人との違いが見えてきました。今までクロマニョン人という「点」でしか見ていませんでしたが、ネアンデルタール人からの流れがすこしだけ見えるようになってきました。

 

 

クロマニョン人のクリエイティビティーはどこから?

クロマニョン人の話は、ヨーロッパの話です。他の地域はどうなっていたのでしょうか? 特に我々アジアの祖先、日本の祖先は?(←そうそう、そこも知りたかったところです)

 

ホモサピエンスの起源は、アフリカから誕生したことが判明しました。そして、5万年前以降に、世界に大拡散していきました。(これは確実みたいです) 

 

その時、ヨーロッパに行って洞窟に絵を描いたのがクロマニョン人

他に、東に行くものあれば、アジアに行き、あるいは、寒いシベリアへ行くものも・・・ 

さらに海を越えてアメリカ大陸に渡ったホモサピエンス

一方、熱帯雨林へ行くものがいれば、またある者は、海越えてオーストラリアへ 

日本へはアジアから海を渡ってやってきたわけです。

 

 

ホモ・サピエンスの到来

 

      

上記の図のように、アフリカで発祥したホモサピエンスは、全世界へ向けたチャレンジによって拡散していきました。このチャレンジこそがクリエイティビティ―だと海部先生はおっしゃっています。前向きなチャレンジング。それは、新しい場所へ、新しいことを、他とは違うことをしたい。そういう気持ちが、海を越えさせ、寒さに耐え、熱さにも耐える進化を遂げたということらしいです。

 

海を越えるための航海術や、釣り針の発見。それは、アフリカで生まれたホモサピエンスが持っていたチャレンジ精神によって、世界へ広がっていくことができたと・・・

 

ところがこれにはいろいろな説があって、追い出されてそこにいることができなくなり、しかたがなく、島流しのようにたどりついたという説もあるそうです。しかし、爆発的なクリエイティビティーが創造されたこの時期のことを考えると、みんながみんな追い出されたとは思えないと・・・・(海部先生談)

 

わたしたちのDNAの中には、新たな場所へ新しいことを他の人とは違うことをしたい。というチャレンジャーな遺伝子が組み込まれている。それが引き継がれて、今を生きていると思えば、きっと何かにチャレンジしたい。そして行動に移すというプログラムが組まれている。そう思える気がしてきます。

 

その一方で、「しない遺伝子」というのもあるようです。日本の祖先は海を渡ってきました。しかしクロマニョン人は、海を渡りませんでした。あの地中海ですら渡らなかったそうです。これは、できなかったのかできるけどしなかったのか・・・・ 

 

なんだか、我々の生き方を示唆しているようにも思えてきます。好奇心に駆られ、新しいものを見たい、何かを作り出したい。というもともと備わっていた資質があります。「できることにチャレンジしていく」 その一方で、やろうと思えばできるのに、あえて「やらない」という選択もある。そこにもしかしたら、種族に特化した特徴になりうるのか・・・・ と考えられますが、そのあたりは、わからないらしいです。

 

ただ「できるけどしない」という選択もあったのではと海部先生。集団による違いという解像度の高い議論は、まだされていないとのことでした。

 

  

〇日本へはどのようにやってきたのか 

 

日本人は世界で初めて航海をしたと言われています。日本は海に囲まれた国。当然、渡ってこないとこの地に上陸はできません。

 

「日本人が初めて海を渡った」それは、昨年末、国立博物館の常設展の縄文時代あたりを見ていて知り、驚いたことでした。それまでは江戸時代の日本人って、すごい! って思っていたのですが、石器時代の日本人も、すごかったんだ・・・世界初とは、思っていませんでした。そしてその話が、今、ホモサピエンスが世界のあちこちに移動した中に一つの流れであるという位置づけが見えました。

 

2万年前の日本は氷河期でナウマンゾウがいました。

3万8千年前に日本に、対馬海峡を越えてやってきたホモサピエンスが、日本人の祖先なのです。

 

最初の日本人は沖縄に海を超えてやってきた航海者だった  と海部先生は語ります。

 

 

日本で、ラスコーにあるような描写や壁画があったかどうかは謎。芸術はみつかっていないと言います。しかし、それは残っていないのか、あるいは、できるけどやらなかっただけなのか・・・・

 

クロマニョン人。確かにすごいです!  でも海越えてません・・ 目の前のにある地中海には出ていかなかった・・・(絵は描けたけど)  アジアには、アジアの海を渡るという独特の創造を持ったホモサピエンスが、われわれの祖先としてやってきたのです。

 

国の周りを海に囲まれているから、海を利用したり、海洋技術にすぐれているのかと思っていました。しかし、我々の祖先の、ホモサピエンスは、その中でも、海に出ようという勇気をもって飛び出した人たち。もともと海とのかかわりかたに長けた遺伝子を持っていて、たどり着く航海の技術があり、それを磨いて身につけた?(もともと持っていたから海に出よと思えたのかも?)さらにそこに住み着いて、海の近くで暮らすことで、技術や道具を進化させていった? ということだったのでしょうか? 海を見ると血が騒ぐのは、我々の祖先の海へ出るチャレンジ精神だからでしょうか? (私は、どちらかというと山派なので、別のホモサピエンスの血が濃いのかも?  (笑))

 

▲そして、苦難を伴う航海にチャレンジしたのは、男性だけではありません。女性も一緒に渡ったとあります。この時代、男女平等で、同じように役割をはたしていたんだ・・・・ あるいは、男性だけでは喧嘩になるので、その仲介役に女性の力が必要だったんだ・・・と思っていたら・・・ 

 

男性だけで渡ったら子孫繁栄ができないから・・・・ 

 

種の維持については、これまで作品の中に存在するのを見ていましたが、行動でもそれを体現しています。これは本能で、人類に組み込まれたメッセージなのだと改めて感じさせられました。

 

 

クロマニョン人時代の日本列島 

 

アフリカから移動し、ヨーロッパに行ったホモサピエンスは、芸術活動をしました。しかし、日本に渡ったホモサピエンスは、芸術活動をしていませんでした。(残念!)

 

しかし、本当は芸術活動をしていたけども、酸性土壌の日本では残っていないのかもという推察もされています。世界から賞賛されている日本の芸術です。器用でモノづくりに長けて、世界をリードした時期もある日本です。新しいものを作り出す創造性はあってしかるべきではないかと思いたいです。(笑) その証拠がいくつか出ているようです。

 

 

 

■8章 クロマニョン人がいた時代の日本列島

 

上記の表を比べると、ヨーロッパでは作られていたけど、日本では作られていないもの。その逆もあります。日本は航海落とし穴による狩猟などが世界にさきがけていたようです。動物と対峙せず、穴を掘って落として、狩猟をするという発想が、そこはかとなく日本人ぽいと感じてしまいました(笑)

 

 

そして、縄文時代が幕開けするのでした。

縄文時代って、クロマニョン人のいた時代と比べたらどれくらい離れているんだろう・・・・ そんな疑問にも最後にしっかり締めてくれました。

 

 

■芸術はいつどこで誕生したか?

最後に、この展示で最初に掲げられていた大命題 

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「芸術のはじまり」を受けて

 

「芸術はいつ、どこで誕生したか」(第7章で展示)

 

 

ヨーロッパにおける芸術はクロマニョン人が始まり。

そのクロマニョン人は、アフリカから移民しました。

 

クロマニョン人の芸術の根源はどこにあるのか・・・

 ①アフリカで進化

 ②ヨーロッパに移民後進化

さて、どちらでしょう?

 

今、世界の芸術の創造能力はすべての集団に備わっています。

ということは、①のアフリカで発祥したホモサピエンスに、もともと芸術創造の芽があった。そして、アフリカから全世界に渡ったホモサピエンスの末裔の今の私たちが、芸術創造の力を持ちえたと考えるのが、辻褄があうとのことでした。

 

アフリカで発祥したホモサピエンス。そのDNAが時間をかけて全世界に散らばり、その後、脈々とその遺伝子を受け継いで今に至ったということのようです。

 

 

中締め

ラスコー展、全体を見てやっと、人類のあゆみの軌跡がうっすら見えてきて、その中のクロマニョン人というものが、すこしずつわかりかけてきました。

 

当初、展示を見ながら、クロマニョン人って、絵を描いたり、道具を作ったり、飾りを身につけたり、すごいんだね~ って思っていました。しかし、人類の進化の流れの中ではどういう位置づけなのか。それを理解しないと、どれだけすごいのかは、真にわからないよな・・・って思うようになっていました。人類の進化を知りたい・・・・と。

 

すると、海部先生にインタビューをしたこんなサイトがをみつけました。

  

〇人類の進化を知る映像が「シアター360」で

第1回 人類進化の「常識」を覆した“小さな巨人”、フローレス原人 | ナショナルジオグラフィック日本版サイトより

アジアを舞台に人類進化・拡散史の解明に挑む海部陽介先生。最新の研究成果、小型の人類「フローレス原人」のを伺うにあたり、ある程度、人類進化の通説を復習しておいたほうが、論争の争点がより的確に見えるだろう。ということで、海部氏が監修した映画『人類の旅』を見たそう。これは常設展、地球館の「シアター36○」というプラネタリウムの技術を用いた全天球型スクリーンの映画。これについて調べてみたら・・・

 

◆「シアター36○

「シアター36○」とは、2005年「愛・地球博」の長久手日本館で人気を博した「地球の部屋」国立科学博物館に移設され、「THEATER36○(シアター・サン・ロク・マル)」として生まれ変わりました。直径12.8m(実際の地球の100万分の1の大きさ)のドームの内側すべてがスクリーンになっていて、その中のブリッジに立ち、映像をご覧いただけます。360°全方位に映像が映し出され、独特の浮遊感などが味わえる世界初のシアターです

 

 

これ、知ってます。愛知博の時に、見た記憶がよみがえりました。球体ドームにブリッジがかかり、そこに立って鑑賞すると独特の浮遊感がありました。その映像を、海部先生が監修していらしたとは妙なつながりです。

 

〇進化の知識は世代で違う 最新情報を知ろう

最新の人類の進化の話は、学校教育を受けた年代で違うと言います。この進化の話は、90年代から研究されてわかったこと。したがって、60年代に生まれた人が中学、高校で受けた授業の内容と進化の話は、全く違う内容となるので、全体を把握することが大事だと指摘されており、まさにそれと同じことを最初に感じて、見学すすめるうちにその思いが募っていきました。 

 

常設展の地球館に行って、全体像、確認した方がいいな・・・・と思っていたら、「360」というシアターがあって、ラスコー展の期間中、連動して海部先生が監修された「人類の旅ーホモ・サピエンス(新人)の拡散と創造の歩み–」が上映されていて、しかもそれは、愛・地球博で見たものと同じらしいのです。さらに、明日、最終日は閉館が20:00までで、19:00~は、愛・地球博で上映されていた「青の輝き」 、「緑のささやき」、「生命(いのち)のきらめき」の3作が上映されるということを知ってしまいました。これはまたとない機会・・・・ 

 

ちなみに4月、7月、9月にも「人類の旅」の上映はあるようなので、その時にするか、明日行くか、悩んでいるところです。

 

ということで、一旦中締めして、そのあと続くかどうか・・・

 

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