コロコロのアート 見て歩記&調べ歩記

美術鑑賞を通して感じたこと、考えたこと、調べたことを、過去と繋げて追記したりして変化を楽しむブログ 一枚の絵を深堀したり・・・ 

■ラスコー展:②感想:1章を見ればラスコー洞窟情報はほぼバッチリ  

■ラスコー展:①なぜ壁画を描いたのか?(見学前の仮説)の続きです。

ラスコー洞窟、クロマニョン人について、見る前に抱く疑問。クロマニョン人ってどんな人? ラスコーはどこあるの? 日本はその時代、どんなだったの? それらは1章を見れは、ほぼ理解できます。

 

 

 ■見る前から膨大な疑問が・・・

見学するにあたって、基礎知識なさすぎるなぁ・・・・なんにもわかってないなぁ。ということを目の当たりにしながらの見学が始まりました。

 

クロマニョン人って進化においてはどんな人?

クロマニョン人って、進化の流れの中ではどういう位置づけの人? 遠い昔、中学の歴史で人類の祖先の進化で、北京原人ネアンデルタール人クロマニョン人・・・後、もう一つ、たしか4種類だった気がしたけど・・・思いながら、それぞれの順番も、あやふやです。そして「原人」と「猿人」という分け方もしていた気がする。人になる前の毛がもじゃもじゃの人たちが猿人だっけ?・・・・ クロマニョン人ってもじゃもじゃの人たちだっけ? 

そしていつぞやのニュースでは、新たな人類の祖先となる人種がみつかったなんて話も聞いた気がするし・・・ 私たちが習った進化の分類は、すでに遠い過去のお話になっているのかもしれない・・・

 

なんだか国家試験を、受けた時のこと思い出されました(笑) 設問、もしくは選択肢の中にクロマニョン人というワードが出てきたとします。なんとなくの理解で答えることはできるけども、ちゃんと全体の流れの中での位置づけを理解していないと、意味がない。でも、その背後にある歴史の流れから理解しようとしたら、膨大な知識と時間が必要。人類の発端にまで遡ってたら大変・・・・ そうか、だから、国立科学博物館には地球館で学べるようになっているのか・・・ ⇒【*1

 

 

 

クロマニョン人」を進化の過程の位置づけで理解しないと、芸術との関係も見えてこないはず・・・

 

  ⇒【参考】第1回 人類進化の「常識」を覆した“小さな巨人”、フローレス原人

         | ナショナルジオグラフィック日本版サイト

 

 

 

〇古代の時代感覚

それと、この時代のスパン、時代の流れというのは、近代や中世の歴史の時間感覚と全く違っていて、物差しのスケールが違いすぎます。鎌倉、室町、江戸・・・ 江戸といったってたった400年。

この古代は「〇万年」という単位の変化の話です。1000年が、100年ぐらい匹敵すると考えればいいのでしょうか? 年末に東博の常設展で縄文のあたりの展示を見学しました。見ていて年代スケールの違いを感じさせられました。この時代は時間感覚のとらえ方が違いすぎる・・・ その違いを感覚的につかめていない・・・・

 

クロマニョン人に対する縄文時代というのは、どれくらいの関係に位置するのか。自分で理解するための年表を自作しないと、全体像を把握できなさそう・・・ それをすると思うと気が遠くなる・・・ そんなことも、足を遠のかせていた原因だったのかもしれません。

 

 

◆ヨーロッパの石器時代の壁画、日本の旧石器時代縄文時代 

そしたら、ちゃんとこんな年表が用意されていました。 

ネアンデルタールクロマニョン人が記され、

ラスコー周辺の壁画と、その時代の前後関係も示されています。

そして日本はそのころ、どんな時代だったのか・・・

高松塚古墳との時代関係は?

など、頭に浮かんでいた疑問をこの表が一気に解決してくれました。

しかも、等間隔ピッチの年代スケール。それによって時代感覚の齟齬もなくなります

 

◆ラスコー壁画が描かれていた頃 日本は?

 

 

◆ラスコーの地理

ラスコーがどかさえもわかりませんでしたが・・・・

 

   ↓ フランスの        ↓ セヴェール渓谷沿い

  

  ↑ドルドーニュ県

 

フランスのセヴェール渓谷沿いにさまざまな時代の洞窟が発見されています。ラスコーはそのうちの一つ。これは、「渓谷=水」ということで、川沿いに文明が発達したように、古代においても水の周りに人が集まったということの現れではと思われました。ラスコーの同時代だけでなく、時代を経た壁画もあるそうです。

 

 

▼ラスコーの壁画のある地域

風光明媚で、ワインやトリュフなどの産地でもあるそうです。

 

                       

以上のようなことを、見学後調べるのって、どれだけ時間がかかることか・・・・と思っていたのですが、冒頭、1章の展示で解決してしまいました。

 

 

■疑問の解答は会場内に・・・

事前に浮かんでいた疑問冒頭でほとんど解説がされたのですが、他の疑問についても、全てしかるべきところで、要所、要所に解説されていました。「これがわからないと、全体の把握できないよ~」と思っていたことが、過不足なくいい感じで、すべて網羅されて終わるのです。

 

展示を見終わると同時に、最初に抱いた疑問がすべて解決できてしまったというのは、あっぱれな展示でした。表は、等間隔のスケールじゃないと時代感覚がずれちゃうから・・・と思っていたら望むような年表が作成されていたし、ヨーロッパと日本との時代をつなぐ橋渡しもして欲しいと思ったら、それが提示されていました。さらに、ただ知ってるというだけの「高松塚古墳」との時代関係についても・・・答えててくれていました。見たあとに、自分で調べたら、どれだけ時間がかかるだろう思っていた復習を、すべてここで網羅していただけた感じでした。

 

 

◆毛むくじゃらはいつから?

クロマニョン人って毛むくじゃらだっけ? そうじゃないとしたら、いつから毛がなくなったの?そんな疑問にも、5章から6章へのつなぎのコーナーで、人形を使って答えてくれていました。

 

ハイデルベルク人 

ハイデルベルク人(ハイデルベルクじん)とは - コトバンク

 

こちらが新たに発見された人種でしょうか?

このあたりが、けむくじゃらだったわけですね。 

 

 

ネアンデルタール人

 

 

クロマニョン人

  

 

 このあたりは、もしかすると学説など玉石混合状態なのかもしれません。

 

 

■展示構成

展示は下記のような6章からなります。

 

第1章 衝撃の発見、壁画の危機、そして閉鎖

第2章 よみがえるラスコー洞窟.

第3章 洞窟に残されていた画材、道具、ランプの謎.

第4章 ラスコー洞窟への招待.

第5章 ラスコーの壁画研究.

第6章 クロマニョン人の世界:芸術はいつ生まれたのか.

 

 

冒頭で、基礎知識を習得しつつ・・・・1章で気になったところを。

 

■ 第1章 衝撃の発見、壁画の危機、そして閉鎖

〇 発見の経緯

地元の少年が遊んでいたところ、洞窟の入り口となる割れ目(松の根元の割れ目)に何かを落としてしまいました。それをとるために中に入ったら、見事な壁画があったそうです。その隙間もわずかな隙間で、子供だからこそ入れる隙間だったようです。 

その後、洞窟はそのままだったのですが、何年かして、あの時の話を思い出して、あの洞窟の絵はどうなっているか・・・と見に行って、大発見となった。というような話が書かれていたのか、ビデオで見たのか、講演会で聞いたのか・・・・ ところが、調べてみても、出てこないので、勝手にイマジネーションしてしまったのか・・・・(笑)

 

【修正】2017.2.14

発見の経緯は、こちらの情報を読んだあとのうろ覚えの情報でした。

 ⇒驚きの演出!国立科学博物館の「ラスコー展」がすごい - いまトピ

発見されたのは1940年9月8日。きっかけは一人の少年と一匹の犬によってでした。その日モンティニャック村のマルセル・ラヴィタ少年の飼い犬が穴に落ちてしまいました4日後友人たちと穴を広げてみると…そこがラスコー洞窟への入り口だったのです。

 

世界遺産 ラスコー展(国立科学博物館) - 東京でカラヴァッジョ 日記(2017.2.22)

   発見の経緯が詳細に記載されています。展示に解説があったようです。

 

〇ラスコー洞窟の変遷

 ▼ こんな感じで松の根で洞窟の穴がふさがれていました

 

隙間にモノが落ちて、少年たちが取りに入り込める絶妙な穴

 

 

▼その前は、石で密封され太古の空気が缶詰にされた状態

 

▼それ以前は洞窟の入り口は開いていて出入り自由

 

こんな自然のエアパック環境が、横穴式住居の入り口が塞がれることで、そのままの状態が保たれ、今に伝えられたのでした。

 

 

クロマニョン人はほら穴のどこで暮らす?

この穴は深くて、古代人は、暗い穴ぐらの中で暮らしていたと、私たちは考えてしまいがちです。しかし、そんなことないんですよ~ という解説パネルがこれ。

 

↑ 確かに危険な動物から逃れるため、安全のために、洞窟の奥の暗がりで、楚々と過ごしていた。って思っていました。しかし、考えてみたら何を好き好んで、生活のために暗がりの奥に行かなければならないのか・・・(笑)

昼間は明るい安全な場所をみつけてそちらで団らん(?)の時間を・・・・ 夜は、洞窟に入りますが、そんなに奥にまではいらなくても、入り口付近で過ごせばいいということだったと言われ、なんだか目から鱗でした。勝手な先入観を持ってとらえていたな・・・と。

 

そして、この一枚のパネルは、その後の展示を理解するうえで、重要なヒントになってきます。

 

 

〇子供の目が発見を促す 

この洞窟を子供が発見したという話を聞いて思いだされたのが、アフリカで初めてダイヤモンドが発見された時の話です。この時も、子供が川で美しい小石をみつけたことに端を発しました。このダイアモンドは「我発見せり」という意味のギリシャ「ユーレカ」と名付けられています。子供の純真無垢な目と、好奇心の心が、こうした大発見をもたらすのかなと思われます。

 

 

ところで、これ、入り口に展示されていたのですが、何をしているシーンに見えますか?

私はてっきり、「耳かき」かと思ってしまいました。

クロマニョン人は、親子で耳かきをしていた!

 

かと思っていたら、顔にペインティングをしているとのこと。

顔にペインティング・・・・ というところからも、すでに芸術性の発端が見えているのかもしれません。しかし、クロマニョン人は、どれくらいの期間、生きていたのでしょうか? 4万数千~1万4500年と2万5千年ぐらいの期間を生きたわけです。(下記パネル参照)その中で沸々と熟成されて、芸術への目が紡ぎ出さと発展したのではないか・・・と思っています。

 

 

〇ラスコーの壁画が描かれた時代

 

 

 

〇ラスコー壁画発見から閉鎖へ

 発見されてから、専門家の調査が入る前に民間が観光のために階段を作り、洞窟内の移動がしやすいように、足場の整備をしてしまったそうです。その後、立ち入りを制限して調査をしたようですが、時すでにおそし。洞窟内の床面に残されたものなど、保護されていないものもあるのではないでしょうか? 

 

その後、足場、電気、空調などが整備が考古学者の監督なしに行われてしまいました。それによって危機状態となります。カビの発生、人の呼吸によるバクテリア、藻類、菌類の増殖、炭酸塩の分解で破壊のリスクにさされます。1963年、とうとう閉鎖となりました。

 

 

高松塚古墳の状況

ちなみに高松塚古墳も同様の状況がおきてしまいました。ラスコーに学ぶことはできなかったのでしょうか・・・ まだ、情報共有などの整備が整っていない時代だったのか・・・  という疑問がおこります。

 

高松塚古墳について調べてみると、原因の調査結果と今後の展望などが報告されていました。 ⇒高松塚古墳壁画劣化原因調査検討会報告書の概要 - 文化庁

 

いろいろな要因が絡んでいたことがわかります。また、地域も違えば環境も違う。条件も変わるということで、参考にしかならないことも伺えます。が、ラスコーも高松塚古墳も保存という意識が、未熟だったことも原因のようにも感じられます。

 

 

■「ラスコー3」の来日

ということで、ラスコー洞窟は、原則非公開です。それを補うために、現地ではラスコー2が制作されました。さらに今回の企画展のように、国際巡回展用に、「ラスコ-3」という精密な複製バージョンが作られ、世界中を駆け巡っています。

 

複製を見る前に、1/10模型による展示が2章で行われていますので、後述します⇒(

 

 

■関連 

 

*1:

展示 ≫ シアター36○ :: 国立科学博物館 National Museum of Nature and Science,Tokyo

↑海部さん自身が監修した映画『人類の旅』。「シアター36○」といってプラネタリウムの技術を用いた全天球型スクリーンの映画だ。視界すべてどころか、自分が立っている足場を除いて全球が映像に覆われるので、迫力・臨場感があり、画面が大きく動くと無重力感をいだく
ーーーーーーーーーーーーーーー