コロコロのアート 見て歩記&調べ歩記

美術鑑賞を通して感じたこと、考えたこと、調べたことを、過去と繋げて追記したりして変化を楽しむブログ 一枚の絵を深堀したり・・・ 

■ウォーナーの謎のリスト:つれずれに思うことをランダムにメモ 

 憲法記念の日、鎌倉で「ウォーナーの謎のリスト」の上映会が行われました。日本の文化財を爆撃から守ったと言われるアメリカ人 ウォーナー。151の日本の文化財がリストでまとめられました。それを巡ってさまざまな人たちへのインタビューによるドキュメンタリー映画です。

それに対して思ったことをメモ。

 

 

 

■ウォーナーって知ってますか?

友人から、今度、鎌倉で「日本の文化財を爆撃から守ったリストを作った外国人がいて、その人の映画の上映会があるのだけど行く?」と誘いがありました。これからいろいろな文化財を見る時の参考になるかもしれないし…

その話を聞いた瞬間、頭に浮かんだこと‥‥ その話、聞いたことある! でもそのリストってウソだって話になったはず、何かで見たよなぁ… 歴史には、そういうことって、往々にしてありがち。いろんなしがらみがあって、そういうことにしておこうみたいな‥‥ 

言っていいか迷いながらも「その話、嘘だって話があるらしいですよ」と伝えていました。映画は、そういう「事実があった」ということを前提に制作されたのだろうか? どういう視点で作られたのか見てみたいという興味もあって、参加することにしました。

 

 

■ご挨拶

ざっと、映画に関する説明がされました。あらすじをサイトより引用。

【あらすじ】

   世界一の本の街神田古書店街。古書店の数はおよそ180店。 

実はこの街の靖国通り沿いの一画は、第2次世界大戦中空襲を受けなかった。そこには、親日家のロシア人セルゲイ・エリセーエフが関与、マッカーサー空爆をしないよう進言をしたと作家司馬遼太郎は自書「街道がゆく」の中で書いている。それは真実なのか?追求して行くと、同じように文化財を戦禍から救った英雄として称えられているアメリカ人ラングドン・ウォーナーに行き着く。彼は太平洋戦争当時、空爆すべきでない地名のリスト、「ウォーナー・リスト」を作成し、米政府に進言、京都や奈良を始め多くの日本文化を救ったとされている。しかし、京都が救われたのは、原爆投下第一号の候補地だったからという資料が浮かび上がる。原爆投下の委員長であったヘンリー・スティムソンが頑に反対をしたからというのである。果たしてそれは本当なのか?そしてまた、ウォーナーは、朝河貫一と一緒に第2次世界大戦回避のためルーズベルト天皇をも動かしたという。しかし、その努力は実らず日本は太平洋戦争に突入してしまう。戦争回避の舞台裏。米国に残る新資料と証言によって今まで語られることのなかった事実を伝える。さらに「ウォーナー・リスト」によって救われたとされる国宝を始めとする数々の文化財。それらを見つめ「戦争と平和」を改めて問い直す。

 

開演のご挨拶のあと、最後の一言が印象的でした。「いろいろな方からのインタビューで構成されていますが、このリストの存在そのものが、本当かどうかわかっていません。それぞれの話の真偽もわかりません。そういう視点で御覧ください‥‥」

 

さすが‥‥  一方的な押し付けをしていない。おそらく様々な情報を提示し、判断は、個々にゆだねるということなのでしょう。往々にして、自分の主張を貫きがち。ウォーナーのリストは存在し日本の文化財を守ったという前提のもと、進むのかと思っていたので、いい意味で裏切られました。

 

■予告編、ダイジェストによる概要

 

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■とりとめなく感想を羅列 

映画の中に出てくる映像、音楽・・・・ これまで見聞きしてきたことが、フラッシュバックのように重なってよぎっていました。

〇ブルーノタウトが浮かぶ

来日目的の不透明さ。日本文化のよさを外国人の立場で取り上げた。ドイツの建築家、ブルーノタウトとどこか重ねて見ていました。日本へ来日した本当の目的は何か? タウトも疑問視されています。その事実がゆがめられ、亡命説があったり、諜報活動説も。しかしタウトの行動を丁寧に追えば、その事実は考えられないそう。

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wikiphedhiaより

日本人が気づいていない日本文化のすばらしさを発見し世界に伝えてくれたのがタウト。日本はそれを海外に向けてアピールに利用した? 日本人だって日本のよさぐらい、タウトにいわれなくったってとっくにわかっている。でも外国人であるタウトが見出し、世界に広める方が、戦略的に効果ありと考え、タウトに肩を持たせた。タウトを海外向け広報として利用した?

 

占領下、ウォーナーというアメリカ人によって、われわれの文化は守られた。ありがたや・・・ありがたや というアメリカに対する媚びへつらいがあっても、時代の背景としてはおかしくないだろうし。あるいは、アメリカ側が恩着せに利用した? 全滅させず、救ってやったんだぞ! しかし、どっちもどっち、お互いの思惑と駆け引きが、入り混じった状態?

 

〇ウォーナーの性格 メアリ―カサットに共通

ウォーナーの人となりについて、わがまま、自己中といった側面が語られています。敦煌の壁画を略奪し、もっともらしい持論を展開。一方、日本を愛し守ろうとしていたとも。人は多面体。いろいろな顔を持つのだということ。そのいずれもが真実なのだと思います。

入口は諜報活動だったかもしれません。しかしそこで活動するうちに、ミイラとりがミイラになることだってあると思うのです。

天心は彼を排除しました。組織をまとめる立場として当然の行動。やんちゃなヤツほどかわいい。天心は跡継ぎににとまで考えていました。憎い憎いは可愛いの裏返し。 

特に「和を持って尊しとなす」日本人にとって、規律を乱すものに対して、示しをつけるのは当然。しかし心の奥では‥‥利休に切腹を命じた秀吉と同じ気持ちだったかもしれません。

古くから、日本は共同体。みんなで作り上げる。天心がウォーナーの銅像を建てたと言います。それは、ウォーナーへの愛があるからにほかなりません。でなきゃ、銅像なんて建てるわけがありありません。本音と建て前。そうせざる得ない状況だったということだったのだと思います。

 

同じ人物なのに、それを語る人によって、人物像が変わります。それは、語る人が、その人をどうとらえているか。好意的か、そうでないか。それも大きく影響しているはず。好意的であれば、好意的な情報が選択的に集まります。逆の場合も同様。自分の見ている方向の情報がより集まりやすい。したがって、自分の考える方向によりFIXされ強固なものになって伝わる。学者の言説は、個のフィルターがかけられたもの。いつの頃からかそう思って見るようになりました。

 

メアリ―カサットの人間像を調べた時に感じたこと。それはそればいろいろ出てきました。カサットに母性愛があると思っている人には、耳を覆いたくなるような発言をカサットはしています。

 

カサットを好意的に捉えていると、そこは拾えない? 人は、自分の求める情報ばかりが目につきます。もしかすると、聞きたくないものは、ないものとして捨てられていることだってあるかもしれません。

 

〇思い出は確かなのか?

ウォーナーを知る人が語るウォーナー像は正しいのか。思い出はすり替わるし、書き換えられてしまうことがあります。それは意図的なものではなく、無意識にそうなってしまうことが‥‥ こうあって欲しい、こうだったら・・・ がいつの間にか現実だったように。

 

これは自分で経験したことなのですが、あの時のあのことは、こういうことだったと自分の記憶として残されていました。ところが、いろんなものを整理していた時に、当時の日記が出てきました。その事実が、記憶とは全く違っていたということを経験しました。他にもそういうことがいっぱいありました。

 

昔の話のインタビューから得られる情報。それが事実を語っているとは限らないこともあるのです。インタビューによって語られる記憶も、書き換えられていることがある。そんなことを思いながら見ていました。

 

監督は、講演会で、そのことについても、想定されており言及されていました。「インタビューの言葉も、そのまま信じてはいけない」と。

 

 

〇BGM ベートベン「月光」

上官が、本が好きで、神田の古本屋談義に花が咲く。最後に本が読みたい。生きて帰れたら‥‥ 途中、挿入曲でベートーベンの月光が流れていました。

『月光の夏』を思い出しました。これも戦時中の話。上野の音楽学校、ピアノ科の学生。特攻する前にグランドピアノで、最後のピアノを弾きたい。その希望を叶えるためにはるばる尋ねる。音楽教師は、兵士が戻ってきたら再度、弾けるようにとピアノを守る。その後、これまで秘密にされていた「振武寮」の存在が明らかに‥‥

www.youtube.com

 

「永遠の0」でも。自分の命を託し、後世につなぐシーンが。残されたものの使命・・・ 生きて帰ったら古本屋を始めて欲しいと、上官は託して・・・ 残されたものの使命。「戦場のピアニスト」もフラッシュバック。

 

 

〇神田の古本屋が戦禍からまぬかれた

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映画パンフレットより

上の下の図の赤のベルト部分が、狙われていなかったというのです。

これについてはちょっと信じがたいと思いました。当時の焼夷弾の命中精度はどの程度だったのでしょうか? このように、神田古本屋一帯だけを残す技術はあったのか?

 ⇒低空飛行によって命中率を上げたらしい

では、その後の火災の広がりの予測は?  落下地点、一点だけで留めることができたのか? その日の天候、風向きによっても燃え広がり方は違うはず。古本屋の一帯だけが焼け残った。これは、別の要因があったのではと思われます。

技術的な部分で、納得できる説明が欲しいと思いました。もしかしたら、何らかの、防火効果を有するものが、書店の回りにはあったのか?(干渉地帯とか?)

 

作家の逢坂剛氏もにわかに信じがたい。作られた美談のようだと語っています。しかし爆撃からはずべき地点のリストが作成されていたことも明かになっていて、 その背景で活動した人々の動きを、関係者のインタビュー、研究者の解説で浮かび上がらせました。

その掘り下げ力には、ただただ感心するばかり。真実は何か。そこに迫りたいという、とりつかれたような執念にも思えました。演出が入ることもなく、ただ淡々と語る研究者、関係者の言葉をつなぎながら、このリストに向けられる様々な視線を突き刺していきます。その一方で、紡ぎながら包んでいくようでもありました。

 

■世界中の書庫に眠る真理

世界各国に静かに眠る膨大な書籍。そこに埋もれている真理を引き出す。世界を回り、そこから選び取られた事象。調べる対象というのは、仮説に沿って選択するため、必然的にフィルターがかかります。自分の仮説を固める内容が多くなりがちに。しかし、否定的な意見もまんべんなく網羅して、偏りを感じさせない証言者の選択だと思いました。

映画パンフより

 

〇反対意見の先鋒者の名がない

会場から質問が。『日本の古都はなぜ空襲を免れた』の著者、吉田守男氏へのインタビューがなかった。協力者リストにも名前がないのはなぜか?  

その答えは、すでに亡くなられていたので、インタビューしたくてもできなかった。そのお弟子さんにあたる方に、インタビューの申し入れもしたけども断られたと語られていました。

また、吉田氏は研究者で、資料による研究。この映画はドキュメンタリーなので、話しを聞いていない人を協力者として載せる必要はないと考えている。吉田氏の著書は読んでおり、いろいろな調査をされている。しかし、ウォーナーがリストを作成する前に、すでに日本の文化財保護のリストの下地を作っていた。これについては、いっさい触れられていない。そのことについては、どう解釈するのか、お弟子さんに聞いてみたかったのだけど‥‥ といったことを話されていました。

 

〇仮説にとらわれとりこぼされる情報

ここに、仮説によって漏れる情報があることを示唆していると思われました。吉田守男氏の著書を読まずに語るのは憚られますが、アマゾンのレビューなどを見ると、相当な調査が行われたことが伺われます。それによって多くの人に説得力をもたらしたようです。

しかし、膨大な資料を集めても、自身の仮説に沿ったものに集中すると、とりこぼしの情報もでてくるのではと思いました。

 

〇インタビューを避ける関係者

帰りに友人と「なぜ、お弟子さんはインタビューを受けなかったのかしら?」という話になりました。お弟子さんは、師匠の研究に、情報の収集漏れがあることに気づいている。金高監督が引っ張り上げてきた、リスト作成前のウォーナーについての調査はしていなかった。たくさんの情報を集めたけど、それでも漏れがあったことを認めているのでは? それを指摘されるのを避けた?とか‥‥

自分たちは研究者。ところが、映画監督にその漏れた部分を拾われてしまった。そんな忸怩たる思いもあったのでは? なんてことを想像していたのでした。

 

〇情報はだれでもアクセスできるのか

監督は、日本に来る前のウォーナーがすでにリストを作っていたこと、そこを拾っていたのか? ということをおっしゃっていました。その情報は誰もが簡単に収集できる内容だったのか? 情報収集力の差についても感じさせれていました。どこまでアクセスできるのか‥‥

 

過去にこんな経験をしました。

ブルーノタウトの言葉に疑問を感じて何年か追いかけていたのですが、現在のブルーノタウトの研究は、誤訳の多い『日本 タウトの日記』などが中心に研究がされて今日に至っているのが現状。それは、翻訳者による意図的な誤訳が行われていたこともわかっています。そのことを研究者の太田隆士先生によって明らかされました。

原著と翻訳の検証。ところが、原著は行方不明。現在は、ドイツのどかの博物館に保存。それを見るためには、特別申請をし、原作の本文をその場で見て、誤訳であることを確認されたそうです。

調査は、誰でもアクセスできるものと、そうでないものある。そしてそれを読み解く語学力を併せ持ち、内容を把握できる知識がなければ、真実にには迫れないという限界を感じたのでした。

  ⇒〇ブルーノタウトと音楽家

 

金高監督は、そこのところは調べているのか‥‥ と、軽くおっしゃっていましたが、ダイジェストの動画の中にあった「世界中の書庫に眠る真理」の文字に、思うところがありました。

知りたいという欲求を、どれだけの人が、そこにアクセスすることができて、読み解くことができるのか‥‥ 自身の経験から、能力の限界というものにぶつかっていました。

「翻訳が間違っているのではないか」という仮説を立てることはできても、それを確認するために必要な語学力、理解力、距離をものともしない行動力、それらにまつわる手続き。実際にブルーノタウトを調べていた時に感じさせらていた限界。

この映画の背後で調べられている情報量やそれに伴う時間を想像しただけで、気が遠くなる思いがしたのでした。

 

監督は語ります。「ウォーナーについて、まだまだ、調べきれていない。インタビューの掘り下げも不十分。もし、ここが欠けているということがあったら、ぜひ、教えて欲しい」と。

内心、思っていました。そんな人、いるのだろうか?・・・・(笑)。この調べ方を超えて新しい情報を提供できる人は、そういるもんじゃない‥‥

 

〇 「父親たちの星条旗」がさりげなく挿入

映像の途中に挟まれていた硫黄島星条旗。映画「父親たちの星条旗」のワンシーンです。この写真の裏に隠された真実。こちらも映画で知りました。しかしまだまだ、隠れていることもあるのかもしれません。

 ▼報道用に写真撮影はしなおし、銅像まで建てられ英雄は使い。軍資金集めの道具に。

 

出典:硫黄島の星条旗 - Wikipedia

 

 

■レファレンス 図書館による民主化

図書館はそれまで閉架式だったのが開架式に。だれもがいつでも見ることがでいる状態に。そしてレファレンスサービスが取り入れられ開かれていきます。民主主義の基本は、自分の考えを持つことにあるから。という考えに基づいていたそうです。このあたりはサブテーマになるのかもしれません。

 

社会的に図書館の重要性が認められるようになりました。 

鎌倉中央図書館の「ウォーナー」に関するレファレンスサービス

 

インターネット時代、なんでもキーボードを叩けば、知りたい情報は得られます。それがすべてではないけども、ある程度のことまではわかります。私は本を読むのが苦手。これまで本をあまり読まずに過ごしてきました。

 

〇本の中にしかない情報がある

ところが、美術に興味を持つようになって、図書館に行くようになり、本を読むようになりました。そのきっかけは、横山大観のことをネットで調べていて、たまたま図書館に行った時に、大観の本があったので、借りてきたことが始まりでした。

それまでは、本を読まなくたって、「インターネットでほとんどの情報は拾える」と思っていました。というのも、読んだ人がなんらかの形で、ネットに書籍情報を上げているから‥‥書評を読めば大体のこともわかるし。

ところが、たった一冊の本から、ネットにない情報がザクザク飛び出してきてびっくりしました。しかもその本はレアな本でなくポピュラーな本なのです。表にあまり出てこない情報の存在を知ったのでした。

 

本の役割はまだまだ健在ということを理解しました。それから、少しずつですが、本を読む、図書館に行くようになりました。これは美術に興味を持つようになったことでおきた大きな変化だと思っていました。

 

(しかし、これまでも本を全く読んでいないわけではなかったのです。図書館にも行っていたことにも最近、気づきました。自分が知りたいことを探るために見る本に対しては、「読書」という意識がなかったのです。知りたいことの延長にある必然的な行為、プロセスととらえていたのです。

ところが、美術の世界はハードルが高い。それを理解するためには、関連書籍を読まなくてはいけない。基礎知識を得なくてはならない。それはお勉強(=読書)しないとダメ。美術は私にとってはお勉強の世界なのです。だから読書。

他のジャンルは、好きでやってることだから、ピンポイントの知りたいことの解明に本を利用していたこともわかり、実際に「読書」ではなかったのでした。必要な部分だけピックアップしていただけ。)

 

 

■情報の取捨選択

〇本だって正確ではない

何から情報を得るのか。書籍もとても重要なツールということを再認識しています。しかし、本だって正確な情報ではないと思っています。著者の本意が掲載されていないことだってあるわけです。それは編集の目が入るから。

だからこそご本人の言葉を聞く。しかしその言葉も、どのような「場」で聞くかによっても変化します。主催はどこか、それによってバックに働く力があるから‥‥

 

といった、情報をいかに取捨選択し、自分の中に取り込んでいくかについては、比較的意識的であったと思っていました。

 

 

 

しかし‥‥

「ウォーナーの謎のリスト」っていう映画があるけど、見に行く? と言われ

「そのリスト、最近では、嘘だってことになったらしいですよ‥‥」

 

 

多分、ネットニュース、あるいは何かの検索のついでに、そんな情報を見ていたのだと思います。その情報だけで、あの話は伝説、作り話だった‥‥ と頭の隅にインプットされてしまいました。何の疑問を持つこともなく‥‥ このような状況というのは、今本当に多くなっているのだと思います。

 

 

自分で情報をとらえる。自分自身の文化を深める。

 

 

この言葉が、今回はいやというほど、響いてきました。もし、この映画を見ていなければ、私はあれはでっち上げ。と思い続けていたのかもしれません。

 

興味を持てば探り始めます。しかし何気なく流れてしまう情報に対して、いちいち調べたりはしません。現実的に無理です。しかしそこに重大な見落としが潜んでいるのかもしれないという怖さ。そんなことを教えてくれた映画でした。

 

 

■まとめ 感想 

まず、リストは存在したのか。現にこうして存在しています。しかし、それは、戦後に後追いで作られたという話もあると言います。百歩譲って、それがあとからねつ造されたものだとします。しかし、そこに掲載された151の日本の文化財。これだけの文化財目を向けていた人がいた事実が、そこに存在しています。何に利用しようとしたかは別として、日本の文化財のすばらしさを、見出していたアメリカ人がいたことは、まぎれもない事実といえるのではないでしょうか?

 

ウォーナーは、当初は、日本を知るための戦略、プロパガンダ利用のためだったという記録も出てきたようです。おそらくそれも事実なのでしょう。しかしその裏にあったウォーナーの心は? 最初はそうだったかもしれませんが、調べるうちに魅了されて、これは守らねばと思っていたかもしれません。

あるいは、もともと日本美術に興味があったと言います。どんな条件が提示されていたとしても、それをつてに日本に行くことができ、調査できることに価値を見ていたかもしれません。

事実は事実、しかしその事実の裏にも、何か別の真実が隠れているかもしれません。ウォーナーは日本の文化財を救ったと自らは語ってはいない。そのように持ち上げられることを嫌ったと言います。しかし守りたいと思っていたことは確かではないでしょうか。

 

思うに、日本美術が守られたのは、日本の文化財を見て何かを感じた人たち。その小さな小さな思いの集結によってもたらされた奇跡の結果だったのだと。アメリカ人のだれそれ、日本人の誰でもない。国籍や個人の功績ではなく、素晴らしいものを守りたいという人としての欲求。一人の力は小さくても、それが積み重なったことによってもたらされた奇跡だった。ウォーナーはその中の一人だった。

裏を返せば、日本の美術、文化には、人を引きつけ、偶然までも引き寄せる魅力を持っているということ。生き残るための生存競争に打ち勝つDNAが組み込まれていた。そこにゲノム解析のように、ウォーナーがその配列を一つ一つ記していた。それが大きな力として働いたということではないでしょうか? 

 

最後に監督からの創作意図を紹介します。

 

 

■創作意図

 2015年2月。ユネスコ世界遺産に登録されている古代ローマの主要都市ハトラが破壊された。過激派組織IS(イスラム国)の仕業である。戦争は殺戮以外に人間の尊厳となる文化遺産をも破壊し続けて来た。異国の文化とは言え人類共通の財産のはずである。

 戦争は狂気である。人もモノもすべてを焼きつくし、破壊し、無に帰す。

その中で、狂気に立ち向かい勇気ある行動を取った人々の真実を見つめ描きたい。

ラングドン・ウォーナーは、第2次世界大戦中に敵国である日本の文化財151ヶ所の保護リストを作成、それがあったため日本の多くの貴重な文化財が残されたといわれている。ウォーナーはまた、「日本の禍機」の著者朝河貫一と戦争回避のためある行動に出た。だがそれは失敗に終わり太平洋戦争へと突入した。美術史家ウォーナーが残したかったものは何だったのか?文化か人か?あるいは…その謎に迫ってみたい。

文化を残すとは財産を残すだけではない。人類の叡智、そして人の心を残すものだと思う。

そういう強い思いでこの映画を作りたい。             

 

                                 監督 金高謙二

 

疎開した40万冊の図書 という映画も同時に紹介されていました。ひょっとすると隠しテーマに本の大切さや有用性、それによって得られる考える力の大切さを伝えてようとしているでは?とも思われました。

 

 

■参考 

映画「ウォーナーの謎のリスト」を観る:本多幸吉君(6回生)

歴史偽造の一例――ウォーナー伝説について : ナラーラ

ウォーナー伝説の史跡 - 紀行歴史遊学

〇 「ウォーナー リスト」は図書館を空襲から護ったか

ウォーナー伝説の真実 ─ 京都に原爆を投下せよ ─(吉田守男 著) | タクヤNote

ドキュメンタリー映画「ウォーナーの謎のリスト」 : だすだすだすノート

ウォーナー伝説 (2) 「ウォーナーの謎のリスト」 というヘタレ映画 - ザウルスでござる

ウォーナー伝説と敦煌

ウォーナー伝説をめぐって

 

埃まみれの書棚から173

私がこの映画から受けたものは、こちらに書かれているものに近いと思いました。この伝説について聞きかじり状態で映画を見て、その情報収集力に驚きました。しかし吉田氏の調査解明力もそれと同様、いやそれ以上のものがあることが伺われます。やはり読まずしては語れない・・・・

吉田氏の調査も事実。その事実の裏にある、伝説を受け入れ引き継がれてきた一人一人の感情。人が持っている個の素朴な感情という部分に目を向けさせられました。 

ところが、こうして「ウォーナー伝説の真実」が明らかにされても、未だに、そうあって欲しくないと思う気持ちがよぎってしまう。

戦時とはいえ、国家にも、心ある人々にも、

文化財や美術品を保存したい、戦争から守りたいという高邁な精神」

が、矜持の如く存したのではないか、そうあって欲しい、という願望のようなものが、気持ちの中からは消えない。

「ウォーナー伝説」というのは、きっとそうした「崇高な精神への願望」のようなものから、信じられていったに違いない。

「冷徹な現実」という真実は、解明されすぎると、ちょっと哀しいような気持になってしまう。
「知らなかった方が良かったのでは」という気持ちがよぎる、複雑な気分という処であろうか?

 

 神秘が科学によって解明されてしまうと味気ないものになるのと同じ? 虹を見たら願いが叶う。虹の端までいったら、虹の橋が渡れると信じていた子供の頃。しかしあれは、雨のあとの水滴で光が屈折したものだとわかってしまう。でも、虹を見たら夢がかなうと思っていたい‥‥ 

 

 

鎌倉駅西口にあるウォーナーの記念碑

 

仏像を空襲から救った米国人。甦るウォーナー伝説 | ローリング岩王’s山脈

どこを見て、何を切り取るかで見える景色は全く変わる‥‥

 

 

原爆は京都に落ちるはずだった: 原爆投下に正義はあったのか? - 吉田守男 - Google ブックス  ←一部が閲覧できます