山種美術館では、毎年恒例のように桜を題材にした展覧会が行われています。遡ると移転前から続くおなじみ企画。今年は、美術館が所有する桜作品約60点を一挙に公開。6年ぶりの桜オンパレードに浸ってみましょう。
*写真は、主催者の許可を得て撮影しております。
*掲載作品の所蔵先は、すべて山種美術館です。
■展示構成と鑑賞のポイントのヒント
桜満載の作品は、つぎのような章立てで分けられています。
第1章:「名所の桜」
なじみの桜の名所や銘木。京都、奈良、東京、東北など全国の各地の桜
第2章:「桜を愛でる」
平安時代から愛された桜。桜と人と関わりや、文学・歴史との関わり
・歴史・物語とともに
・桜の花の下で
第3章:「桜を描く」
桜そのものをテーマとして描かれた作品 画家の桜へのまなざしが見える
・桜咲く風景
・桜花と桜木
・夜桜
数ある桜作品のどこを見たらいいのか迷ってしまいます。そんな時、この章構成は、鑑賞するポイントのヒントになると思いました。
第1章は、単純に「桜の名所」「銘木」を日本全国旅するように見ていくことができるので、誰でも楽しむことができます。実にわかりやすい鑑賞ポイントです。知っている場所や木があるとより親しみも湧いてきます。桜の名所と言えば「京都」や奈良の「吉野」。いながらにして、日本縦断、桜の旅に出発です。
第2章は、ちょっと難関。文学や歴史に登場した桜を題材にした絵です。これは、文学や歴史の知識がないとお手上げ状態。そういう時は、無理せず、飛ばしてしまいます。もし、何か気にかかる部分があったら、解説を見たりしながら‥‥。
第3章は、桜そのものを画家によってどう描いたか。それぞれの個性が見えてきそうです。
■画家による桜の描き方を比べてみる
これだけ桜絵が一堂に並ぶと、同じ桜でありながら、その描き方の違いが顕著に見えてきます。代表的な桜で比較してみます。
〇奥村 土牛 《醍醐》1972(昭和 47)年
▼桜の花びらを拡大してみると、胡粉の白を基調にして、薄く薄く塗り重ね、花びらに透明感が感じられます。重ね方の違いによっても遠近効果があり、全体の奥行きの深みが出ているようです。桜の花びらのはかなさ、繊細さが伝わてくる気がします。
(写真上)奥村 土牛《醍醐》(部分)1972(昭和47)年
(写真下)奥村 土牛《醍醐》(部分)1972(昭和47)年
木の根元の土の部分は、ポツポツとした土(石?)の質感などが伝わってきます。
〇奥村 土牛 《吉野》1977(昭和 52)年
▼桜の花びら 右手前の桜の木の花びらの辺縁ははっきりと描きこまれていますが、内部になるとぼんやり。手前の一本の桜の輪郭を浮かび上がらせているようです。
(左)奥村 土牛 《吉野》(部分)1977(昭和 52)年
(右)奥村 土牛 《吉野》(部分)1977(昭和 52)年
▼遠景の桜は霞のよう 花びらは描かずピンクの面で広く桜をとらえています。山肌も近景の緑から遠景の青へグラデーションしていく広がりに奥行きを感じます。
(左)奥村 土牛 《吉野》(部分)1977(昭和 52)年
(右)奥村 土牛 《吉野》(部分)1977(昭和 52)年
ピンクの下に樹木がうっすら描かれているのが透けて見えるのがわかります
〇小林 古径 《清姫》のうち「入相桜」1930(昭和 5)年
和歌山の道成寺の桜です。
▼枝の桜はぼんぼりのよう
←散った桜
(写真上)小林 古径 《清姫》 のうち「入相桜」(部分)1930(昭和 5)年
(写真下)小林 古径 《清姫 》のうち「入相桜」(部分)1930(昭和 5)年
■画面の一部に描かれた桜
桜の絵のイメージといえば、画面一杯に広がる桜が浮かびます。ところがほんの一部だけに桜を描くというスタイルもあります。
〇奥田 元宋《湖畔春耀》1986(昭和 61)年
場所は十和田湖畔。 これが春? 私にはどう見ても秋色にしか見えないのですが‥‥ その中にインパクトのある桜の色が湖畔に。画面の上部の稜線はまだ冬ですが湖畔の木々は春の装いとのこと。湖畔の桜が妙に色濃く彩られ目を引きます。長い冬を耐えて一斉に芽吹くせいかもと奥田元宗談。木々の緑と山桜を描いたこの作品、「古代裂のような色の諧調」だという画家の言葉が残っているそうです。
湖畔の桜を始点にして、画面の右奥に視線が誘導されていくような気がしました。木々の配置が右奥の消失点に向かっているようです。
▼山の中腹の桜 ▼湖畔の桜 ‥・色濃い
(左)奥田 元宋《湖畔春耀》(部分)1986(昭和 61)年
(右)奥田 元宋《湖畔春耀》(部分)1986(昭和 61)年
この色の違いは遠近法? 北国の春は、首都圏で見る桜と違って、冬景色の中から突然訪れ、一気に駆け抜けていくのでしょうか?
〇冨田 溪仙 《嵐山の春》 1919(大正 8)年頃
嵐山の春。嵐山は春は桜、秋は紅葉の名所として有名。山桜の咲き誇る嵐山の春の景色を描いたと言いますが、どこに桜が咲いているのかがよくわかりませんでした。霞がかった雲のような部分が桜のようです。渓流を下る筏船の動きを、右隻は動、左隻は静。対比的に表現しているのだそう。
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左隻 二扇の桜
冨田 溪仙 《嵐山の春》(部分) 1919(大正 8)年頃
やっと認識できた桜の枝と花。どこに桜が咲いているのか遠くから見たらほとんどわかりませんでした。
〇山元 春挙 《裾野の春》1931(昭和 6)年
富士山のまさに「裾野」の町。
山元 春挙 《裾野の春》(部分)1931(昭和 6)年
杉(?)の濃い緑の下。藁ぶき屋根と土坡(?)との間にちょこっと姿を見せる桜。日本の象徴、雄大な富士と隠れるように咲く桜の対比も面白い。
■一輪の枝を愛でる
これまでの絵とは対象的に、桜の一枝をいとおしむように愛でる様子。出典の話を知らなくても、日本人はこうして、一輪の桜を大切にしてきた民族なんだということが伝わってきます。
〇羽石 光志《吉野山の西行》1987(昭和62)年
桜と西行‥‥「願わくば花の下にて春死なむその如月の望月の頃」と詠んだことでも有名です。西行は吉野の桜を詠んだ歌も多く、一枝であの吉野の桜をイメージさせているのでしょうか?
図録より⇒西行が吉野山の寺を訪れた様子を絵いたもの。仏殿の柱の華麗な装飾は、藤原時代から行われたようで、西行を引き立たせるために描いたとのこと。
〇森田 曠平《百萬》1986(昭和61)年
川を渡ってる? 森田 曠平《百萬》(部分)1986(昭和61)年
■色に注目
〇守屋 多々志《聴花(式子内親王)》1980(昭和55)年
桜と言えばピンクを思い浮かべますが、この作品に描かれている桜は黒。どういうことなのでしょうか?描かれた題材と何か関係がありそうです。
実はこの屏風、新古今和歌集 式子内親王が詠んだ歌に由来しているのだそう。その歌というのは、桜が目の前で満開に咲き誇る様子を詠んだ歌ではなく、華やかに咲き誇っていた過ぎし日の残像を自分の身に重ねたものなのだとか。
自身の病気、身内の謀反や戦死など、政変に翻弄された人生の中で、栄華をほこった時を思いながら詠た歌の心情を絵に表したのだそう。パッと見た時に目に止まった黒い桜には、そのような意味があったのでした。
式子内親王の歌
はかなくて 過ぎにしかたを かぞふれば
はなにもの思ふ 張るぞ経にける
栄華の対比として、薄墨桜と鬱金桜に分けています。
薄墨桜⇒木の部分 鬱金桜(ウコン)⇒御所車の回り
(左)守屋 多々志《聴花(式子内親王)》(部分)1980(昭和55)年
(右)守屋 多々志《聴花(式子内親王)》(部分)1980(昭和55)年
■まとめ
桜は、パッと咲いて、パッと散る‥‥ 日本人のメンタリティーの形成にも影響を及ぼしているとも言われます。桜は、人生の節目の思い出とも直結します。そんな桜がどのように描かれてきたかだけ着目しても十分、楽しめる展示です。
第2章の文学、詩、歴史上の桜がどう描かれているかというのは、お手上げ状態でしたが、昔からみんな、桜が好きなんだよね‥‥ そんなふうに理解して、気になったところは、追々、理解していけばいいかなと。
■展覧会情報
展覧会名:[企画展]桜 さくら SAKURA 2018 ー美術館でお花見!ー
会期 :開催中~5月6日(日)
会場 :山種美術館