■ラスコー展:⑥感想:第7章 8章 クロマニョン人って? どこから来た? その時日本は? からの続きです。ラスコーの壁画を描いたクロマニョン人。人類の歴史の中ではどのような位置づけなのか、科博の地球館で調べてみました。
- ■人類の歩みの物差しの中でのラスコーの位置を知る
- ■人類の歩み
- ■クロマニョン人を人類の進化の時間の中で把握
- ■どこから人になったの?
- ■遺伝子による解明
- ■地球館におけるクロマニョン人の壁画解説
- ■ホモサピエンスは、いつどこで
- ■まとめ
- ■参考情報
- ■関連
- ■脚注
■人類の歩みの物差しの中でのラスコーの位置を知る
クロマニョン人が過ごした「2万5千年」という時間の長さは、人類が誕生した歴史の中ではどれくらいの長さで、どんな位置づけになるのでしょうか。人類の歩みを総論的に知りたいと思いました。またラスコーの他にも同じ地域に洞窟はいくつも発見されています。それらはどういう状況だったのでしょう。
科博の常設展、地球館と「人類の旅」の映像を見に行けば、手っ取り早くわかるだろう・・・思い、連動企画の上映もあるようなのででかけてきました。ところが「人類の旅」は、残念なことに、上映が終わっていました。でも地球館のB2 人類の進化で、とてもわかりやすい解説がされていました。以前も、このコーナーは見ていました。その時は、ふ~ん・・・という感じで、通りすぎただけでしたが、「クロマニョン人」と「ラスコー」を知っただけで、見え方が全く違ってきます。また書き換えられたという新しい知見も、以前は興味もなかったのですが、なるほど・・・と目に止まるようになっていました。
〇学説の提示が明確
新しい知見を元に、「〇〇〇〇年現在」の情報ということが示されてパネルが作成されていました。そして「わかっていること」と「推論」を明確に分けて展示されています。また「不明」なことには「?」マークがつけられていました。それぞれの仮説に対して、「科博として」の指示度を★の数で示すなど、とてもわかりやすい記載でした。
たとえば・・・・
▼「猿人」はどうして二足歩行をしたのか という理由を紹介する模型
↑ さまざまな説を模型で示しながら、「★の数」を表示して、科博の考えを示しています。
■人類の歩み
〇人類の多様な進化を一望
人類の進化を「猿人」までさかのぼると下記のような流れをたどっています。
これは、「100万年単位」で等間隔で表された表です。700万年前ぐらいから登場した猿人から始まり、今に至っています。この進化の流れの中で「人」と言われているのは、青い部分の「ホモ属」の先のホモサピエンスからです。
〇人類の進化 分類 用語の定義
この流れは、「猿人」「原人」「旧人」「新人」と進化をたどっているのですが、それぞれの違い。言葉の意味がイマイチわかりません。と思っていたらちゃんと定義が示されていました。ホモサピエンスは「新人」です。⇒【*1】
上記の表の「猿人」「原人」「旧人」「新人」の色と、右の標本の色がゆくるく対応しています。
〇標本と表の見せ方
さらにそれらの標本の展示の背景色は、上記右の表の時代別の色に対応してあって、時代を一目で把握できるようになっていたのです。
(初めて見た時には、そんなことに気づきようもありませんでした)
〇「原人」からの分化
「原人」の始まりと言われる「ホモ属」のところから拡大してみます。
現 代-------------------------------------------
ホモサピエンス「新人」・・・クロマニョン人はここの(2.5万年)
100万年前--------------------------------------
↑
アフリカの「原人」・・・ホモ属
200万年前-------------------------------------
補足:この図からは、アフリカを起源とした原人が、脈々と今につながっていることがわかります。(ただし表には「?」がついているので、まだ明らかになってはいません)
以上は2010年のお話。(写真がごちゃごちゃしてもしかしたら入れ違っている可能性もあるのであしからず)
〇人類の系統樹について
かつて、人類は枝別れせず、この順で段階を追って進化していたと考えてられていた「進化段階説」が提唱されていました。⇒私たちの世代は、まさにそれを学んだようです。
■クロマニョン人を人類の進化の時間の中で把握
100万年単位で「原人」から「旧人」に進化しました。そしてホモサピエンスとなる100万年の間に「クロマニョン人の2.5万年」が存在しているわけです。その2.5万年の中にラスコーの洞窟が存在していたことになります。そして、これは今から2万年前(ラスコー展では2万年前、wikiでは1.5万年前。このあたりは誤差範囲かな?)、クロマニョン人が生きた時間と同じくらい前のお話だということです。
ラスコーの壁画は2万年前のクロマニョン人が描いたとされています。クロマニョン人は、2.5万年の時間を生きています。ラスコーは、クロマニョン人が生きた時間のいつ頃ととらえらればいいのでしょうか? 後半で描かれたと理解すればいいでしょうか? また、重ね書きがされていると言います。この時間差は、どれくらいの幅があるのでしょうか。それについては、この展示ではわかりませんでした。
■どこから人になったの?
▼2004年4月現在の系統図
↑
種・属⇒【*2】のどちらで分類するべきか研究者によって一致していません。新たな化石の発見で全く別の分類が提唱、系統関係が大幅に書き換えられることもあると言います。
〇ピテカントロプスっていたなぁ・・・・
〇タマの歌の「ピテカントロプス」
そういえばタマの歌にピテカントロプスなたらかんたらって出てきました。
♪今日人類が初めて木星についたよ ピテカントロプスになる日も近づいたんだよ♪
Tama - Sayonara Jinrui (たま - さよなら人類) - YouTube (1990年)
「ピテカントロプス」という名称も、最近は、耳にしなくなっています。北京原人、ジャワ原人の学名で、今はホモ・エレクトスに含まれて統合されちゃったみたいです。北京原人、ジャワ原人(ピテカントロプス)・・・・という名称、ラスコー展では目にせず、彼らはどうしたのかと思ってました。(北京原人、ジャワ原人の「学名」って言われても1990年代、学名なんて概念、知りませんでした。どう理解していたのでしょうか・・・・)
人類の起源について論争が活発になったのが、90年代。もしかしてこの歌は、そういう学術的な論争のことも、視野に入れて作られていたとか? よくわからない歌詞でしたが(当時は、それすらも気になってませんでした)今、味わうと含みがあります。タマはイカ天バンド発で当時、審査員だった中島佳江さんがこの曲を聞いて涙したのだとか・・・・
ちょっと横道でした。
■遺伝子による解明
ネアンデルタール人のDNA分析すると、彼らは私たちの直接の祖先でないことが判明したようです。
〇ミトコンドリアによる解明
▲ミトコンドリアDNA
系統をさかのぼると20~14万年前のアフリカにいた一人の女性にたどりつくとのこと。その後、突然変異がおこって、様々なタイプが起きて、世界各地に新しい気質を持った「母」ができました。
⇒ラスコーの壁画の芸術性について
ラスコ―の壁画は、最初は記述、伝達から始まり、経験によって芸術へと高められる一方で、突然変異による芸術性の獲得があったのでは? と考えていたのですが、この記載によって、その可能性もある・・・・と思われました。
(ラスコーの壁画を描いたクロマニョン人が、2.5万年をどれくらいの年月を生きていたのかがまだ不明。)
▲ゲノム解析を塩基で
現代人とネアンデルタ―ル人は、50万年ほど前、分岐した。
■地球館におけるクロマニョン人の壁画解説
〇クロマニョン人について
4万年前までネアンデルタール人がヨーロッパで繁栄していました。
その中から、新しい文化を持つアフリカからやってきたホモサピエンスの集団、クロマニョン人が登場。 彼らの文化は現代の私たちにも通じています。
つまり・・・・
今 ------------現代人
1.5万年前------------クロマニョン人
↑ 2万年前・・・・ラスコー洞窟クロマニョン人
(2.5万年) ↑
↑
4万年前------------ネアンデルタール人
↑
↑
ラスコーの洞窟のクロマニョン人は、クロマニョン人の時代の後半に位置しているようです。
〇クロマニョン人の芸術活動
後期旧石器文化において、芸術作品が残っていますが、これらの目的は、明らかではない。純粋な芸術活動ではなく、祭祀や集団間の贈りものだったと考えられているとあります。ネアンデルタール人には、このような芸術活動はみつかっていません。
〇芸術は突然現れた!
以前は、後期石器時代の2.5万年の間に少しずつしずつ進歩したと考えられていました。実際に進歩のあとが見られます。しかし3.3万年前のショーベ洞窟など、最初から完成度が高いと言います。クロマニョン人の芸術活動は、アフリカにいた現代人の祖先に由来していたと考えられます。
■ホモサピエンスは、いつどこで
20~5万年前のアフリカでおこり、世界へ拡散。
↑ こちらは、ラスコー展からのパネルですが、この拡散の様子をそれぞれの地域別にブースに分かれ詳細に紹介されていました。このような全貌を表す図が、地球館ではみあたりませんでした。
■まとめ
人類の進化をオレンジ色の「猿人」から見ると、700万年前に人類が端を発して
この流れの突端の緑の部分が「新人」ホモサピエンスの始まりの2.5万年分の話。
その2.5万年の中の、後半2万年ぐらいからのお話だということでした。
■参考情報
個人的に興味のあったものをピックアップ
〇ネアンデルタール人について
〇成長パターン
▼胎児期~思春期
■関連
〇第1回 人類進化の「常識」を覆した“小さな巨人”、フローレス原人
■脚注
*1:■「定義」
↑言葉の意味を解説するのに「定義」という言葉を使っているのも、科博ならではと思いました。考えたら美術館関係の解説でこの言葉を使われているのを見たことがないような気がします。
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*2:■ 「種」と「属」の違い
↑ 植物にかかわったことで、種と属の違いについては理解できます。でも、それをしらないと、この意味は理解できないなぁ・・・と。標本が発見された時、それを種と判断するのか、属と判断するのか・・・ 北京原人、ジャワ原人は、最初、「種」と判断されていたのかな? 遺伝子による解析の導入によって分類地図が全く変わってしまう。植物界でも同様のことがおきていました。
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