コロコロのアート 見て歩記&調べ歩記

美術鑑賞を通して感じたこと、考えたこと、調べたことを、過去と繋げて追記したりして変化を楽しむブログ 一枚の絵を深堀したり・・・ 

■茶碗の中の宇宙:感想 「楽家の家系」と「生没年表」とともに

昨今の展示会「茶の湯」が目白押し。しかしその世界のことよくわかりません。楽茶碗も知らないのに、それらが15代すべて展示されても猫に小判なだけ。そんな者にも何かしら感じさせられる展示でした。わからない者に、この世界はどう見えたのか・・という点からレポートします。

 

 

 

■見る前の印象

〇マニアックな世界?

東京国立近代美術館の「茶碗の中の宇宙」展がいいらしい・・・という声がそこかしこから聞こえてきました。楽茶碗という茶碗が、15代全て、一同に会して展示されている・・・という話が耳にとどきます。茶の湯をたしなむ方にとっては、貴重な展示なのかもしれません。しかし、あまり興味がない者には、マニアックすぎる世界に感じてしまいました。

 

趣味の世界でも一見、同じように見えるものなのに、その微妙な違いに着目して収集したり愛でるようになってくると、マニアと呼ばれ始める傾向があります。それと同じだと思っていました。

 

代々、受け継がれてきた茶碗を、延々、それだけ見せられても・・・ 茶の湯はよくわからない世界だし・・・ たまたま興味を持った「曜変天目茶碗」を見ることができればそれでいい・・・と思っていました。

 

 

〇一子相伝って?

技芸や学問などの秘伝や奥義を、自分の子の一人だけに伝えて、他には秘密にして漏らさないことであり、「一子」は、文字通り実子でなくても代を継ぐ一人の子であり、相伝とは代々伝えること

    出典:茶碗の中の宇宙 樂家一子相伝の芸術 | 東京国立近代美術館

 

先祖伝来の茶碗が一同に並ぶ・・・・ それは、ある程度知識がなければわからない世界。茶碗なんて基本、同じような形だし、ここの茶碗は、色も同じような黒ばかり。その微妙な違いなんて理解できるわけがない・・・  ところが、次のような話を目にしました。

 

 

〇形のあるもの・ないものの伝承の違い

どこで見た失念してしまったのですが、 

歌舞伎(能だったか)の世界は子供の頃から親から子へ手取足取り、芸をたたきこませる。しかし、楽茶碗は、教えない。それは形のあるものとないもの違い。歌舞伎には形に残されたものがないから、子供のころから直接伝える。楽茶碗は形として残っているから、そこから学ぶ。従って、親子でも、作業場には入らない

 

この伝承の違いというものが面白いと思いました。代々、後世に繋げていく伝統芸能。それぞれに違う伝承のスタイルがある・・・・  職人の世界は「見て学べ」と言われます。しかしそれすらも許されない伝統。それを15代に渡って引き継いできた「家」のしきたり。

 

【追記】2017.05.20 出典判明

「モノで残っていく世界と時間の中で消えていく表現」今は録画という手段がありますが、当代が親しくされている「能」の世界では、同じ「一子相伝」でも幼い頃より「カタ」を徹底的に教える。それは時間で消えていく表現だからだと仰っておられました。樂家の茶碗は、こうして残っていくモノなので、教えずモノから学び、自分の突破口を捜せという事なのでしょうかしら。螺旋のバネの様に、循環しながら動いて次の世代へと受け継がれていっているモノなのでしょうか。

 

出典:「一子相伝」とは「教えない事」 茶碗の中に見えるものはなに? |

                    ARTことはじめライターブログ

 

 

 

〇見るなら今なのかも・・・

この話を聞いて、その楽焼の伝統というものを、ぜひ見てみたいと思うように変化しました。東京国立博物館で「曜変天目茶碗」を見た時に、いくつかの長次郎をはじめとする楽茶碗を目にしました。どうせ見るなら同時期に一気に見た方が、それぞれの関連、つながりも見えやすいはずです。記憶が消えないうちに(といっても、かなり薄れていますが)茶碗という世界の舟に乗りかけたところ。どうせなら、乗ってみようという感じで共通券を購入することにしました。

 

 

■予備情報・予習・復習

東博でかじってきたわずかな知識。そしてHPで見たちょっとの情報。そして会場に着き、展示室に入る前に、ミュージアムショップに立ち寄りました。そこには、関連書籍がたくさんそろっていました。楽茶碗に関する特集本をペラペラめくって見ました。するとその横に目に飛び込んできたのが千利休の功罪」というPENという雑誌の別冊本でした。そのタイトルがとてもキャッチーです。ちょうど、訪れる前に、PENの記事も見ていたところでした。

 

 

〇「千利休の功罪」

茶の湯の世界で千利休は神」のような存在。しかし、一般の人は名前は知っているけど・・・その程度。千利休功もあれば罪もある。

 

そういうとらえ方っていいな・・・って思いました。茶の湯というと精神世界の話。だから、そういう穿った見方は邪道・・・とその世界の方たちからは疎まれるのだろう。そんな風に思っていたのを、「それでいいんだよ・・・」って言われた感じがしました。私はどちらかというと、茶碗を物質として見てしまうから(笑)

 

そもそも、「千利休」って言っても、知っているのは名前ぐらい・・・ そういわれたことが、とても安心感につながりました。それが普通の人・・・ そしてつかみどころがなくて、よくわからない人が多いと言われ、私だけじゃないのよね・・・とほっとしました。(ここに来る人は、みんな理解している人たちばかりと思っていたから)

 

茶の湯の世界の人にとっては神。しかし「人物」の見方というのはいろいろな側面があって見方があっていいもの。それを「功罪」というキーワードで捉えたのは、とてもユニーク。神格化するのではなく客観的な「外からの視線」で見つめ直す。この世界をそんなふうに語る方がいらっしゃることを知って、肩の力が抜けた気がしました。著者は「クリエイティブ・ディレクター」 

 

茶の湯の「中の人」でなく、「外の人」です。私が今回、これらの展示を見ようと思うきっかけとなった「椀の中の宇宙」の著者、安藤堅氏も、初志貫徹で「外の人」であることをことさら強調していました。外からの視線があるからこそ、新しい解釈や理解が生まれると思うのです。ところがどうも美術界からは、それが芳しくないように感じられているという印象を持ったのでした。お茶の世界の方たちは、硬軟合わせ持ち、「罪」という捉え方を入れることができるのだろうか・・・中にいる人たちは、「利休の罪」なんてことを言われて穏やかでいられるのか・・・ どのように感じるのだろう・・・という興味も出てきました。

 

(アマゾンのレビューに、茶道をしている方が、絶賛されており、著者は千利休を尊敬しているからこその言及なのだと理解を示されていました)

 

 

千利休は有名だけど何も知らない人も多い?

なぜか、江戸時代の人かと思っていました。桃山の人だった? どうも話が合わなくなるのはそのせい? もしかして「小林一茶」と勘違いしていたかも・・・  「利休」「茶道」「お茶」「一茶」??? 秀吉となんたらかんたらという話や、信長ともかかわりがあった・・・・ そんな話も耳にした気はするのですが、江戸時代の人・・・ と思っていて、そしたら何年生きたことになる? というか、室町、桃山、江戸の時代の時代感覚があやふやなのと、秀吉と信長、どっちが先だっけ? これが、私の歴史認識レベルなのでした。

 

茶碗は伝来とか歴史とか密接に関係して価値が語られるもの・・・ 茶道の心得もない。でもそんなの知らなくたって、モノ、物体、物質 として「茶碗」がどう見えるのか。そんな見方があったっていいんじゃない? そうそう、所蔵作品館では、絵の歴史とか社会背景とか、そういうこと、関係なく楽しみましょ・・・っていう鑑賞会、開いているわけだし。

 

千利休はつかみどころがない・・・ よくわからない。

隠密になって旅したんだっけ? (それは松尾芭蕉? 伊能忠敬? じゃなく間宮林蔵? の話?) 陰謀を企てて、殺されたんだっけ? どんな陰謀だっけ? あれ? 自害させられたんだっけ? 僧侶と宮中との対立? どっちかについて、政権をとろうとしたとか、大河ドラマでなかったけ? 秀吉が黄金の茶釜を作ったことで対立・・・なんて話をMOA美術館の展示で見た気がしたなぁ・・・ いろんな歴史の一コマがまざりあって、それが「利休」の断片になってごちゃごちゃになってしまってる感じ。

 

  ⇒なぜ切腹!|3分でわかる千利休(せんりきゅう) - NAVER まとめ

 

    右も左もわからない時は、まとめサイト情報も役立ちます

    いろいろな説があるってことなんだ・・・・

   

 

■復習

〇系譜図がないとはじまらない 

15代が一同に介していましたが、それぞれの代の特徴と、その系譜図の概略がないと全体像がつかめません。全体の流れの中のどこの位置の人なのか・・・

 

基本は長男が継いだようですが、子供がいない場合は、養子縁組などによって、引き継がれていました。その中に、既知の人物、しかも有名人の関係者がいたことにびっくり! その関係を文章だけでは理解しにくく、家系図で図解をして欲しいと思いながら見ていました。パネルにはなっていましたがそれを手元に置きながら見たい・・・・

お昼を食べて再入館する前に、所蔵品館の資料室で図録を見て、コピーサービスはないのか・・・ しかたがない。それを書き写そうか迷っていました。しかしそれをしていたら時間がなくなってしまいます。ということで断念。

 

光琳、観山、本阿弥光悦とどういうご関係?

光琳、乾山、本阿弥光悦の作品も展示されていました。彼らと楽家につながりがあって、親戚関係だったというのです! こうして、自分が知っていることが登場すると、俄然、興味が沸いてきます。光琳、乾山には、もう一人兄弟がいた!(⇒これはその後、家系図で勘違いだったことが判明。光琳、乾山の父の兄弟。つまりおじさんにあたる) その人が養子として楽家に入っていた。養子に入れて自分の娘と結婚させちゃう・・・

 

最近、岡田美術館、根津美術館東京国立博物館で、乾山作品を目にしてきたこともあり、とても見近でした。あの乾山が、楽焼と関係があったんだ。同時代を生きていた。そのためお互いの作品が影響し合っていた! 

そんな関係がわかると、乾山のどの作品のどのあたりに、楽焼の影響が出ているのか。あるいはその逆で、楽焼が乾山の影響をどのように受けているのか・・・・これまで見てきた作品のかすれつつある記憶を呼び起こして、発見ができるかもしれません。

この家系を文字だけでなく図として理解したいと、簡単に図解メモしてきたのすが、戻ってから家系図がどこかで入手できないものか・・・ と探してみれば、なんのことはない、楽家のHPや展示のHPに掲載されていたのでした。

 

   ⇒樂焼 RAKU WARE|歴史 - 樂家系図  より

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   ⇒歴代系譜(pdf)

 

 

 

 

〇年表がないと 理解ができない 進まない

家系図はゲットできました。すると、今度は、それぞれの代の当主がいつの時代に生きたのか。父親とはどれくらい重なって過ごしたのか。祖父とは同時代を生きていたのか。それによる影響はあるのか。それぞれの当主の生没年表が欲しくなりました。また江戸の3大文化のそれぞれの時代、当主と将軍との関係を重ねたら・・・・ それには各時代の当主の生没年を調べないといけない・・・・と思ったら、家系図に記載がありました。

 

それをもとに、生没一覧ができました。やっと概略がつかめました。

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〇生没年表の作り方

生没年表を作成するにあたり、「没年」から「生年」を引き算して「享年」を出します。「生年」に「享年」と「没年」の数字を加算した「積みあげグラフ」を作成すれば、生没年表を作ることができます。積み上げたグラフの「生年」と「没年」の帯をブランクにすれば「享年」だけが表示されます。「生年」「没年」の年号を数値と考え、「生年」「没年」部分のデータ数値として表示。表示を生年は右寄せ没年は左よせにすると生没年グラフの完成。これをフォームとして保存すれば、数値を入れるだけで、いろいろな人物の生きた時代の関係を比較できます。

 

上記の作成過程で、それぞれの当主が何歳まで生きたか「享年」ががわかるのですが、8代の「得入」は25年と極端に短かく短命だったことがわかります。また、父の「長入」(7代)は、「得入」が5歳の時に亡くなりました。25歳と短命だった「得入」(8代)も、子供「了入」(9代)が12歳の時に亡くなっていることがわかります。親から教えを乞わない伝統とはいえ、その存在に触れることがほとんどできなかった当主の伝統の継承は、とても興味深そうです。

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初代は利休に気に入られて取り上げられました。利休の没後、100年の〇代目は・・・ といった解説があって、年表がないとイメージわかない・・・と思っていましたが、やっと関係が見えてきました。そして利休は江戸時代には生きていなかったことも(笑) この表に「将軍」と「文化」を対応させていくと、またいろいろ読み解けそうです。

この他に楽家の家系には、入っていなけども、影響を与えた重要な人もいる… 生没年表ができると、全体が等間隔スケール上に乗るので、すっきりして、スタートラインに立てた感じがします。

 

 

〇理解へのアプローチが見える

ミュシャ展の時も、スラブ人の歴史がわからず、とどまってしまいました。年表を・・・と思っているうちに、他の展示に気持ちが映りそのまま断念。ラスコー展の時は、わざわざ地球館に行って年表作ったり・・・ きっと、歴史を理解していないというコンプレックスがあるんだろうな・・・ そこで最初に躓いてしまって前に進めません。まずは自分なりに、歴史感の概略をつかんで、全体の流れのが見えてこないと始まらないのだ・・・と思いました。年表ができると頭の中がすっきり。等間隔の時間の物差しがないと、時代の位置の把握ができないようです。

 

 

〇各代の特徴

以上を踏まえて、それぞれの代の特徴を、合わせてあてはめたくなります。パネルで示された文章と照らしたくなってくるのですが・・・・

 

   ⇒樂焼 RAKU WARE|歴史 - 樂歴代紹介

 

HPに書かれていたので、これと時代を照合すると作風などがつながって見えてきそうです。

 

 

ということで、このあと感想を続けます。

 

 

■感想

以下、思ったことをランダムに・・・・

 

〇宇宙を感じさせる写真

照明の落とされたくらい入り口。そこには、黒い円のパネルが据えられていて、まさに宇宙を感じさせるパネルでした。楽家は茶碗だけでなく、パネルみたいなものも制作していたの? これは描いたもの? と思っていたら、茶碗を写した写真でした。

展示のタイトル、「茶碗の中の宇宙」そのものを表現した写真で、照明にも工夫が凝らされていました。

 

〇暗闇に浮かぶ黒碗

その先も、宇宙のつらなりを感じさせる空間に初代、長次郎の作品が並びます。まさに宇宙そのもの。利休に従い、赤樂茶碗、黒樂茶碗を作り楽焼きを創設。そぎ落とした美。重厚で深い存在。利休の2年前に亡くなり同時代をともに生きた。

 

 長次郎: ?~1589

 利休: 1522~1591

 

〇赤楽とは 黒楽とは

 

 

〇祖父  田中宗慶 

長次郎の妻の祖父。利休に常に従っていた人物。長谷川等伯とも交流。長次郎と樂焼工房を営む。が、楽焼の系譜には含まれていない。



〇三代 道入(ノンコウ)

常慶の長男。別名ノンコウ。楽歴家随一の名工。釉の変化がはっきり認識されました。明らかな光沢。これまでの作品には釉はかけられていなかったっけ?  陶芸の釉はガラス質・・・ ということを感じさせる作品。新たな釉をみつけたということでしょうか? 妙に光っているのは、釉によるものだけど、その違い、特徴をより際立たせるための照明もより強くして効果を与えていない?

と感じていました。あとで確認したら、そういうことはしていない・・・とのこと。

外側のつやつや、一方、内側は上部がつやつや、下部は地肌そのもの。でも、使用によって剥がれたようでもあり、どちらかわかりません。あとで確認していただいたところ、釉をかけていたけども、剥げたのではないか・・・とのこと。

 

樂焼 RAKU WARE|歴史 - 樂歴代紹介より

本阿弥光悦と交流が深く、光悦の黒樂茶碗のほとんどは常慶、道入親子によって樂家の窯で焼かれています。
 光悦の影響もあり、道入の作風にはこれまでには見られなかった斬新な作行きが示されています。装飾性を徹底して省いた長次郎の伝統的世界に黒釉、白釉、透明釉をかけあわせるなど、装飾的な効果をモダンに融合させ、明るい軽やかな個性を表現しました。

 

これまでの作風とは一線を画すというのは、私にもわかりました。その影響が、あの本阿弥光悦だっとは! 

 

 光悦が拝領したのが58歳

 道入は      17歳

 

 琳派の名プロデューサー。こんなところにも力をふるっていたとは・・・

 

長次郎から2代目と見てきて、ここに来て、急に茶碗がテカリ出しだぞ・・・と思ったら、その裏に光悦の影あり! その変化を自分で捉えることができたのは、ちょっと誇らしい気分(笑)

 

 

光琳・乾山 の作品

光琳・乾山は兄弟なのですが、(彼らには他にも兄弟がいて、修正(2017.06.07)⇒)父の弟、おじさんが楽家の養子に入って作陶していたとは! 本阿弥光悦といい、琳派衆たちと楽家にはこんなつながりもあったとは・・・

 

【追記】(2017.06.07)本阿弥光悦の茶碗と刀の茎(なかご)の地肌の関係

■「折紙」つき・・・その語源は より

光悦の黒楽茶碗の背景に、刀剣で培った鑑定能力が生きていたのでは? という考察を目にしました。偶然、焼きあがった黒肌。その黒肌は、刀剣の柄の中に銘を刻んである部分、茎(なかご)の地肌と共通性があるのではないか・・・と。 

 

 

 

本阿弥光悦 2代目3代目は光悦と同時代

光悦の茶碗・・・・ 何かが違う。「光悦作」だと思って見てしまうからかもしれませんが、何も知らずに見たとしても、これ、「楽家の茶碗とは違うんじゃない?」と感じることができたと思います。個性的、自由人・・・・

人を生かすのがうまい光悦。鶴下絵巻で、わざと「柿本人麻呂」の文字を間違えた光悦(←個人的な推察ですが、河野元昭先生も同じ意見)そんな光悦は、楽焼にも影響を与えていた! それまでの作風とはガラリと変えた道入。光悦の斬新性を十分に取り入れる力量を持っていた。おそらく当時としては、斬新すぎともいえたであろう茶碗を作陶してしまった。世間はこれをどう思ったのか・・・ それよりなにより、同じく光悦の影響を受けていたという親でもある2代目「常慶」は、わが子、道入が切り開いた当時としては、アバンギャルドすぎる作風を、いかに思っていたのか・・・と想像すると面白いです。悔しい! と思ったか、なんてことをしでかしたか・・・と思ったのか(笑) 誰にもましてチャレンジャーだった道入・・・・

 

 

〇影を描く?

〇フォルム カーブ けずり

 

〇5代目 宗入 元禄時代 カセ釉

「雁金屋:三右衞門」の子として生まれる。

      ↑ 尾形宗謙の末弟  

 

尾形家:雁金屋               

                    楽家に養子 

                      ↑

道博ーー宗伯ーー(末弟)三左衛門ーー(子)宗 入  ←乾山と従妹

       -(兄) 宗  謙ーー(子)光琳

                  (子)乾山

 

光琳・乾山:装飾性豊かな琳派様式の確立

宗入   :装飾性排除、長次郎茶碗の追究に創作の基盤

      「カセ釉」 黒楽釉 長次郎への傾倒。

 

 

3代目が、光悦によって新たな作風を確立し、そのながれを打ち砕くかのように、5代目は、温故知新(?)かのように初代、長次郎に回帰したわけですが、その時代、一世を風靡していた、琳派第2期、光琳、乾山の華やかな装飾が、逆に違う方向を生んだというのはとても興味深いです。

 

閉館間際になっていましたが、5代目の場所から、再度、初代長次郎の似て非なる黒茶碗へと戻りました。こうして比較をしながら見ることができるチャンスは、きっと今しかないはず。行き来して見比べていました。

5代目まで、きたところで、再度、スタートの初代に戻ってみると・・・ その場所にはもう、だれも見学者はおらず、真っ暗な宇宙空間に浮かぶ茶碗を満喫して見ることができました。じっくり改めて初代長次郎と対峙できた時間でした。どこがどう違うかということを言葉では表現できないのですが、明らかに違うことは見てとれます。そしてこれが、楽家の伝統、受け継ぎつつ、革新していくという神髄を見た気がしました。

一番の違いとして分かりやすかったのはフォルムの変化でした。

 

 

〇現代作家  フランスのガレと共通

 

〇教えない 書き残さない  聞かない  

 個人の歩み どう生きるか 感じるか

〇華燭表現の域に・・・ 

 

■楽茶碗の復元 

 

 

 

 

■参考

茶碗の中の宇宙〜樂家一子相伝の芸術を見て|茶道と日本のたしなみ@東京・銀座

京都国立近代美術館「茶碗の中の宇宙 樂家一子相伝の芸術」 | わさびラボ便り

   アートコーディネーター

「一子相伝」とは「教えない事」 茶碗の中に見えるものはなに? | ARTことはじめライターブログ

古くて新しい日本の美!『茶碗の中の宇宙 樂家一子相伝の芸術』cinefilチケットプレゼント - シネフィル - 映画好きによる映画好きのためのWebマガジン

    写真

「茶碗の中の宇宙 樂家一子相伝の芸術」東京国立近代美術館

茶碗の中の宇宙 - 遊行七恵、道を尋ねて何かに出会う