生誕90年 加山又造展~生命の煌めき|高島屋 2017年 2/22~3/6まで日本橋高島屋で行われていたのを見逃し、幸いに横浜高島屋で行われるとの情報を得ていたので楽しみにしていました。と言っても加山又造について知っていることは、山種美術館のエントランスに飾られている作品が、加山又造であるということだけなのですが・・・
▼陶板壁画 《千羽鶴》(1977年)
琳派に興味を持ち、これを見た時、俵屋宗達の《鶴下絵和歌巻》と似ているなぁ… こいう絵って日本人の心に響く感じがする。日本画のこと何にもわからないときだったけど、こんな絵、好きだな・・・・とわけもなく感じさせられていました。あれから1年半。その間、加山又造との出会いはありませんでした。やっと、初めて見た、この作品から抱いた感情がなんだったのかを知る機会になるかも・・・・
■加山又造っていつの時代の人?
ざっと、会場を一巡して、この方はいつ頃の人だったんだろう‥‥と年譜を見たら、1927年(昭和2年)~2004年(平成16年)76歳にて没。昭和の人だったのか・・・・ 同じ時代を生きていた人でした。
何も知らずに順に見ていくと、日本画でありながら、日本画にあらず。西洋画と融合を試みた人。ミロ・ルソー・ジヤコモ・パックなどの影響を受けており、西洋絵画の理論を作品に取り入れたと解説されていたので、てっきり、明治時代、創世記の日本の美術界を担い、新旋風を巻き起こした人だとばかり思って見ていました。
それにしては、斬新的すぎます。ぶっとんでる感じ、アバンギャルド。こんな日本画もあるのか・・・・ なんだか現代風。それもそのはず、キュビズムによる形態の分解、そして未来派に学んだ連続的な時間表現の試みて、それらを、日本画で表現することを追及したそう。現代風・・・・というのは、まさに時代は下っていて、昭和の人だったのでした。明治の初期、このような画風で描いていたとしたら、もっと話題になってその名声は耳に届いていたはずだと思いました。
■美術におけるラスコー壁画の意味
そして、はっとさせられたのが、ラスコーの壁画見て描いたという《駆ける》という作品。なんとも奇遇… ジャコメッティ―もラスコー洞窟を見ていた。加山又造も見ていた。そして私も「ラスコー展」を見た(笑)
ジャコメッティ―の時は、たまたまの偶然…というか、そういうところに興味を持ったのか…ぐらいにしか思っていなかったのですが、加山又造も参考にしたとなるとこれは、何か理由があるはず。偶然ではなく必然。
ラスコー展を見て、ああでもないこうでもないと私も考えていたなぁ‥‥(⇒
■INDEX:「ラスコー展」(2017)) 「芸術はいつから始まったのか」「芸術とは何か」その時思ったことを延々と書き残し、最後8記事にまで(笑) ⇒■ラスコー展:⑧思ったこと 考えたこと 学んだこと 人の思考について
「ラスコー壁画」には、「芸術、アート、描く」ということについて、何かを考えさせる力を持っていたんだと気づきました。私は人の脳の進化から「芸術」の芽生えをとらえる位置づけで見ていたのですが、アーティストにとっては、描くということの根源を問う題材だったのだと思いました。絵を描くことの意味、芸術とは? と考える時、人は「ラスコー」を見る…(笑)
〇《駆ける》
遠くから見ると、コマ送り状態の動画に見えました。ウマは前足をピンと張って突っ張っておりブレーキをかけているようです。ジャコメッティ―の彫刻やスケッチを見た時は、関節がないことに執着していたのですが、加山又造の馬に関節がないことは、ノープロブレムでした。これはあり得ないでしょ…とは思わなかったのはなぜなのか(笑) それは…
西洋画・日本画比較シリーズ!バッラvs平治物語絵巻・加山又造: いづつやの文化記号
■2章 伝統の発見
〇《花篝》(はなかがり)
出典: 生誕90年 加山又造展 -生命の煌めき : 美術散策の休日
速水御舟を彷彿とさせる作品。これは《炎舞》そのもの。御舟の《炎舞》は重文です。
出典:速水御舟『炎舞』
私は会場で見た時は、加山又造の表現の方がいいなと思いました。御舟の闇は二度と描けないと言われています。(本人談) でも、本人には描けないのかもしれませんが、又造は描いたと思いました。どこがどうとは言えませんが、炎の表現も私にはしっくりしたし、炎とその周りの空気、そしてその周辺の暗さ。御舟よりも表現されていると私は思った作品でした。
(これを書いたあとに、御舟の《炎舞》の画像を貼り付けて並べてみたのですが、記憶にあった《炎舞》と違って印象が変わりました。どっちがどっちという感じではなくなりました)
他にもこれと似たような構図の作品があるようです。
加山又造展 ( 絵画 ) - 風船子、迷想記 - Yahoo!ブログ
上記の二つを最初に見ていたとしたら、加藤又造に対する印象は、随分違っただろうなと思います。同じ画家が同じモチーフ、構図で描いたものなに好きと嫌いは紙一重。
〇《紅白梅》
光琳の《紅白梅図屏風》だ! またもやMIHO MUSEUMUで見た雪村と重なります。
この水流はまさに光琳波。流水の技法が、銀の硫化であることを見抜き、その技法で描いたそうです。1965年制作とのこと。光琳の水流表現が解明されたより前のような気がします。金の部分は金箔だけでなくいろいろな手法が使われているようでした。
光琳の水流が銀の硫化でないかという仮説が出てきた経緯がここにありました。
水銀による硫化ではないかという仮説は、かなり前からあったようです。明治36年、其一の技法解明で、銀を使い硫化させているのでは? という指摘がされていました。しかし、その後、解明には至っておらず、2004年頃から研究が盛んになったようです。
その解明よりも遡ること40年ほど前に、加山又一が実証していたことになります。とても大きな功績だったと思うのですが、この偉業は、美術界ではどのように評価されていたのでしょうか?
構図がお見事です! はみだしの構図に、オリジナリティーがあります。紅梅は上から垂れ下がり、白梅は下から突き上げています。横へのひろがりではなく、上下へ広がり感じさせる構図というのは、初めて見たような気がします。上部に描かれた紅梅は「幹と枝」によってそこをつなぐ空間を想像させられます。とてつもない広がりです。また、ツンツンと先だけが描かれた白梅も、その下方にどれだけの空間のひろがっているかを想像させられます。さらに、右下には、Rで幹を描くことによって、いったいどれだけの広がりがあるのかを想像をさらに広げさせます。川の流れもまた連続性を感じさせられ、これだけの画角で、どれだけの広さを表現しているのでしょうか? 個人蔵…どんなところにどんな風に掲げているのかも気になってきました。
■4章 伝統への回帰
〇《夜桜》
こちらの解説に《炎舞》の炎を感じさせるとありました。あれ?《花篝》ではなくて、こっちなんだ・・・・ 御舟の《炎舞》よりも、こちらの方がやっぱり私は心惹かれます。
〇《龍図》1988年 光ミュージアム蔵
上は左隻。下は六曲一双の全体の屏風。波が表現されていて、左隻右隻の中央には、蕨手文の波がが描かれています。龍の躯体がどのように配されているのか追ったのですが、どうも全貌がつかめません。龍の全身がどうくねっていて、どんな形態なのかわかりませんでした。龍の手の部分が異常に肥大した突然変異の龍に私には見えてしまうのですが‥‥(笑)
この龍図は、俵屋宗達の《雲龍図》が元になっていると言います。
金の表面に吹き、重ね塗りした墨を洗いおこし(?)龍の立体感を表現。宗達の龍の容貌に似ている。宗達より輪郭が強く徐栄(?)あるため、険しく感じるが、その一方で親しみもわくと解説。
⇒【*1】
フリーア美術館:俵屋宗達の日本国外で初の展覧会で表千家が添え釜のお茶会を実施! - ワシントンDCライフスタイルな日々 - DCの生活&観光情報が満載!ワシントンDC ライフスタイル
〇水流表現のいろいろ
その他にも、光琳波やいろいろな波がモチーフとなって描かれています。
水の豊かな日本。いにしえからその水を題材に、様々な表現を試みられ、それらは文様として取り上げられ、着物などのデザインとして生活の中に息づき、今に引き継がれてきたことを感じさせられます。蕨手の継承。それはいつしかデザインパターンとなって現代の美術にも息づいているのでした。
出典:「生誕90年 加山又造展」 日本橋高島屋 - はろるど
■宗達の水流表現と《風神雷神図》
宗達の《松島図屏風》を参考にしたと言われる加山又造の《龍図》 この解説で、宗達と光琳の《風神雷神図屏風》との比較がされ、それに基づき、語られていました。
光琳の雲の表現については、雲が黒々とあつく重さを出していると書かれており、東博で見た私の印象とは違うと思いました。
一見、光琳の雲は厚く立ち込めて見えます。しかしよーく見ると、たらし込みでジェット噴射しています。黒く重そうでいて実は軽い、そして縦横無尽に飛び交っているのが光琳の雲だと思いました。
また宗達の風神雷神は、金泥にたらし込みと書かれおり、金箔ではないようです。今度、行われる京博の国宝展では、宗達の《風神雷神図屏風》が展示されます。それを見にでかける計画をしているので、金箔なのか、金泥なのか・・・・ そのあたりも確認してこようと思います。
また、週刊「ニッポンの国宝」で、そのあたりのことも突っ込んで書かれているような雰囲気が漂っています。金表現について、どのようなことが書かれているのか、購入して確認してみようと思います。
今ネットで話題の週間「ニッポンの国宝」創刊号をゲット。開けてビックリですが、内容が予想外にいい!これだけ一つの作品を掘り下げて豪華ビジュアル付きで解説が入ってて、定価680円とは凄い。毎週美術展に一つ行った位の価値があります!付録のトラベルケースも、実用性があって即実戦投入する! pic.twitter.com/KQoMcnAtbr
— かるび (@karub_imalive) 2017年9月5日
■まとめ・感想
日本画の「波の表現」に「共通性」を感じて、その系譜をたどっていくと、桃山、室町という時代を断片的に通りぬけ、「雪村という源流」にたどりつきました。その源流からの流れは、昭和の画家、加山又造にも踏襲されていました。加山又造の波が宗達の《松島図屏風》を参考にしていたことがわかりました。蕨手文の波の流れ… 「其一」ー「光琳」ー「宗達」 そしてその先に「雪村」が存在していており、そこが源流。
こうした、断片、断片に見る共通点は、次の記事を見て、一気につながっていきました。
日本人の美意識の中に、デザインというものが根付いている。デザインとは西洋のものかと思っていましたが、
「日本のデザインは世界に遅れているが、日本の美は世界に勝る」
「日本画はアートというより、むしろデザインに近い」
ということであり、日本の美の源流を支えているのは茶道の「わびさび」と、一見それとは全く反対に艶やかな装飾性をもつ「琳派」ではなかろうかということである。
この相反する美の概念こそが日本の美を奥深いものとし、「陰・陽」の精神性をほうふつさせる重要なファクターではなかろうかと思う。
加山又造展を見て、雪村という源流から流れてきたデザインに基づく波。日本の美の表現が、昭和の時代にまで受け継がれている系譜として見えてきました。日本の美とははデザインだったということを、実際に体感させられた展示でした。
その根底にあるのは郷土愛の覚醒
このディスカバージャパンはその後長く「日本の美再発見旅行」のブームを巻き起こし、地方の原風景や町並み、食文化などの中から日本の美を掘り起こし、地方の人々の郷土愛をも覚醒していった。
「おらが村の鎮守様がポスターになり、東京でデカデカと貼られている」・・・これを見た地方出身の学生が、驚きと郷愁の中から郷土愛に目覚め、やがてそれはUターンブームの一因となっていった。
「Discover Japan・美しい日本」は、今も私の青春のベンチマークとして鮮やかである。
つまり民芸運動へとつながるということではないでしょうか?
(さらにこのあと、大津で見ていた「大津絵」も日本のデザインの一つの在り方。民芸と同じように生活の中にある「美」であったのだと・・・・)(2017.09,09)
現在、日本橋高島屋で民芸展が行われています。
展示もまたみごとにつながりあっているのでした。
【追記】2017.09.08 屏風の展示が変則的
今回の展示を見ていて思ったこと。屏風の展示が、屏風折で展示されておらず、全面平に広げられていたり、変則的な折り方で展示されていました。作者の意向があるのかな? と思っていたのですが、日本橋では、屏風折になっていました。なぜゆえ?
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