東京都近代美術館の常設展(収蔵作品展)は、あちこちで評判がよいのを目にしてきました。ところが、これまで企画展で興味があるものがなく、今回「茶碗の中の宇宙」にでかけるにあたり、やっと訪れることができました。最近注目されている対話型鑑賞も毎日行われており、それにも参加してきました。
- ■近代美術館の所蔵作品展(常設展)について
- ■所蔵品ガイド
- ■時間・集合場所
- ■所蔵品ガイドにさきがけて
- ■デジャブ感いっぱい
- ■対話型鑑賞への参加
- ■知っている作品をどう見るか?
- ■所蔵品ガイドで取り上げた作品
- 【追記】2017.05.20 上村松園 母子像
- ■参考
美術展には、「企画展」と「常設展」があり、企画展は入館料も高く人も殺到しやすい。その一方、常設展は所蔵作品を展示されているので、入館料も安く、写真撮影もできてなかなかよいという話を以前から聞いていました。
私が美術展に行くのは、「企画展」か「常設展」かということは意識したことがなく、そもそも、そういう区分があることも知らず、見たいと思うものに行くとうスタイルだったのですが、結局のところ、コマーシャリズムもあり、それに乗っていた感もあって、「企画展」ばかりでした。
東京国立博物館の常設展を見るようになり、「常設展」の魅力というものを感じつつある今日この頃でした。
■近代美術館の所蔵作品展(常設展)について
こちらの所蔵作品展を知ったのは下記のブログからでした。
〇東京国立近代美術館・常設展(MOMATコレクション)を訪れて ①
■所蔵品ガイド
そして、Momatでは、いわゆる一般的には常設展とよばれる「所蔵品展」にて、ボランティアスタッフによるよる作品ガイドが行われていることを知りました。最近、注目の対話型鑑賞を取り入れているとのこと。
そんな情報を、こちらのブログで拝見しており、ぜひ参加してみたいと思っていました。
〇東京国立近代美術館の一味違うガイドツアー|MC's Art Diary
詳細については、下記に詳しいです。
⇒MOMATガイドスタッフによる所蔵品ガイド | 東京国立近代美術館
■時間・集合場所
集合場所は、1階エントランス。下記の看板が立っています。
時間は14:00~15:00までの1時間です。毎日行われています。
時間に到着すると、このボードに今日の鑑賞作品が3点、記載されていました。
このボードがいつ建てられるのかはわかりませんが、私が入館した時(11:00)には、設置はされていなかったと思います。
■所蔵品ガイドにさきがけて
所蔵品ガイドに先駆けて、ざっと一巡してどんな作品があるのか、どんな建物の構造になっているのか。どの作品が目に止まるのか・・・・ を見て回っていました。
この時、解説は見ないことが原則。写真撮影もしませんでした。
最近、撮影と鑑賞は分けることにしています。見る時は、見るに集中。撮る時は撮るに集中することに・・・・
ここで、撮影をしたい写真にはチェックをしておくことを忘れずに・・・
ところが、後半になって、再度、ここに戻って撮影する時間をとれないだろうということに気づき、階を行き来する時間もロスタイムになると思いました。そこで、4階から見ていたのですが、3階、2階はフロアは、一通り見たら、そこでまとめて撮影をしてしまうことにしました。
■デジャブ感いっぱい
これ知ってる! これ見たことある! すでに上記で紹介したブログで見た絵が結構、ありました。
あれ? これは実際に他の美術館で見たんだっけ? ブログでだっけ? ちょっと混乱するものもあります。
解説も知っている絵については・・・・ ちょっと別の見方をするようにしました。この絵が何を表しているのか、全く知らないと想定したとしら、私は、これをどのように理解するのか・・・・
この見方はちょっと面白かったです。美術展を見に行く際に予習をするかしないか・・・悩むところなのですが、情報を知っていたとしても、巣の状態で見れるようにトレーニングをしておく・・・・ そうすることで、たとえ絵に対する知識を得てしまていたとしても、なかった状態を作ることができるようになるので、予習をするかどうか、迷わずに済みます。最近、その力がついてきているようで、どういう絵か知っていても、知らなかったとしたらという想像力を働かせることができました。
所蔵品ガイドは、どうやって回るんだろう・・・ どの作品を取り上げるのかな? なんてことも想像して回っていたのですが、すでに集合場所に行けば、鑑賞作品は掲載されていました。
■対話型鑑賞への参加
対話型の鑑賞は、これまで何回か参加したことがあります。そこで感じたことは、日本人は発言をしない・・・ということです。 特に参加人数が多くなると・・・
以前参加した対話型鑑賞がこちら・・・・
この時は、対話型のプログラムです・・・という募集がかかっているのに、発言する人は一握りでした。
直島のリ・ウ―ファン美術館では、3人だったので、それぞれが発言をしていろいろな捉え方があることを実体験できました。果たしてこちらでは? と思っていたのですが・・・・
思いもかけず、参加者が多いです。これは、発言する人、少ないだろうな・・・と思いきや、いやいやさにあらず。何か意見がある人は手を挙げて・・・とワンクッションあっても、それぞれに手を挙げて発言していました。
なんだか、そういう土壌が、ここにはできている感じがしました。発言が多くなると、自然に誘発されて参加してくる感じがしました。
今回は、顔ぶれがユニークで、若い男性グループも参加していました。企業研修なのかな・・・と思いながら、最初はさされても、遠慮気味だったのですが、最後は積極的に発言されて、なるほど・・・ 深い! と思うような発言も・・・
■知っている作品をどう見るか?
1918年の作品、「パリ風景」
問題は「ここはどこ?」 でした。
このエリアは、藤田嗣治のコーナーでした。そして、今年のお正月にポーラ美術館に行って、このパリのシリーズを見てきているので、どこかはすぐにわかります。
パリが今の華やかなイメージになる前の時代。嗣治がパリに渡り、その時のパリを絵にしたもの。パリの町には要塞があり、富裕層、貧困層の壁があった時代。
↑ ポーラ美術館で見たレオナール藤田
出典:ルソー、フジタ、アンジェのパリ 図録より(p50~53)
そんなこと、知りませんでした。その時に、初めて知ったことでした。そして藤田は、パリに行って、打ちひしがれていたこと。そのどんよりした心も表れている絵です。しかし、藤田は巨勢を張って、自分を大きく見せようと、パリでうまくいっていると日記などにしたためていたと聞きました。自著だからと言ってそのまま信じてはいけないということを確認したお話でした。
そういうこの絵にまつわる周辺の知っていることをすべて取り払って、初めてこの絵を見たと仮定して、この絵はどこなのか? いつの時代か? をどこからどう読み解くか・・・・ということをずっと考えていました。
もう、この絵を理解するのは、「知識」しかないと思いました。知っているかいないか。パリには以前、要塞があった。今のような華やかな町ではなかった。そういうことを知らなくては、この絵は読み解けない・・・・ すでにどんな絵かを理解していても、ここからどうやって導きだすかその手段をみつけることができませんでした。これは降参だわ・・・と思っているとこに、
「ここは日本ですか?」「外国ですか?」という質問が・・・・
う~ん、どう判断するだろう・・・・ すると小康状態の中、一人の方が発言しました。展示されている環境、絵の中の建物などから、推察して、「日本ではない・・・」と。
なるほど、そういうところを見れば、何も知らなくても、読み解けるのかも。しかし、いつの時代か・・・ということについては、どこから読み解けばいいのか・・・・
そこに、ガイドの方から、「ここにあるのものは何でしょう?」と質問が・・・
そうか・・・そんなところにもヒントがあるんだ。歴史的な事実を知らなくても、そこに描かれたものに目をこらして、引き上げてくる。一つ引き上げることができると、、その関連で、「あれは、あれだ・・・」 ということがわかります。「これはこういうことだ」そには「〇〇も描かれている」それが身につけているものは? なんて考えていくと次第に見えてくるものがあります。
この絵は、「知識」がないと読み解けない・・・・と思ってしまいましたが、描かれているものを丁寧に引き出しいく。そしてそれらをつなげていく。引き出したものがヒントになって新たなものが目につくようになる。
これまでも、何も知識のない状態から見ることを心がけてきましたが、こういうアプローチ方法があったのか・・・・とちょっと、めざめた感じ((笑))
藤田のパリ時代の写真、ポーラで撮影したっけ・・・ 一緒に並べてみよう・・・・と思って見ていたら、一枚も藤田は撮影されていませんでした。
【追記】2017.05.21 写真、追加
↑ ポーラ美術館 図録 「ルソー、フジタ、写真家アンジェのパリより
そういえば、あの時の私のテーマは印象派だったのでした。やはり時間に追われていて撮影の余裕がなかったのです。撮影された写真から、全体の展示の中で何に着目していたのか。どこに注意して見ているかがわかります。何を拾い内を落とているのか。
藤田という画家が戦争画を描いていたことを知って、気にはなっているのですが、ポーラの時は、まだ入り口に立った感じで全貌は見えていませんでした。今回、事前に《アッツ島》が展示されていることを知り、藤田のことが少しでもわかるかなという期待を抱きなががら・・・
ちょっとその扉を開いた感じでしょうか? あの有名な戦争画、撮影しようかどうしようか迷いました。が、撮影してきました。ミュシャの戦争画に共通するものを感じました。
撮影することができる美術展というのは、撮影するという行為の中に、全体の中で、何に着目していたのか。その中でもどんな部分に関心を持っていたか・・・ということが記録されています。
■所蔵品ガイドで取り上げた作品
〇 《第22回アンデパンダン展に参加するよう芸術家達を導く自由の女神》
アンリ・ルソー1905-06
出典:東京国立近代美術館 60周年記念特別展 美術にぶるっ! ベストセレクション 日本近代美術の100年:少佐の記憶-Memoirs of a major-
Q この絵はどこの国でしょう。それは何からそうかんがえましたか?
他に何が書かれているのでしょう・・・・
気づいたこと、気になったこと、質問、
なんでもいいので答えてみて下さい
そしてこの絵のタイトルは・・・・
第22回アンデパンダン展に参加するよう芸術家達を導く自由の女神
〇《母子像》(上村松園)
次の絵はこちら
出典:上村松園 母子 1934年 | 上村松園 | Pinterest
Q この絵は何を描いているのでしょうか?
その他に、感じたことや気づいたこと、質問、何でも自由に
・途中、この絵について解説が少し加わりました
⇒右側上部の御簾のようなものについての解説
⇒作家がどのような状況の時に描かれた絵なのか
・会場からの質問
「〇〇には何か意味があるのか」 それは調べてみたけどわからなかった
「〇〇にある〇〇は何か?」 そちらは調べてあります。
どんな質問がでるかを想定して、事前にいろいろ調らべられているのだな・・・どれくらい想定して準備するんだろう・・・なんて思いながら・・・
以上のような会話をすすめながら、「描いた人がどういうことを描こうと思ったのか」という残したことばの紹介があって、そのあとにオチもついてついて終了。
ここのフロアにある椅子は自由に動かして、絵の目の前に置いて鑑賞していいのだそうです。
タイトルは見たまま「母子像」・・・ 作者は上村松園。
とてもたくさんの人が参加していましたが、みなさん、活発に積極的に挙手をしながら発言されていていました。いろいろな質問も出て、それぞれに感じたことなどが紹介されて、一枚の絵はこんなにも見る人の中にイマジネーションを起こさせるのだなと思いました。
【追記】2017.05.20 上村松園 母子像
この絵を見た時に、メアリーカサットの母子像を思い浮かべていました。母は子を見ていない・・・・ 母子愛を表現した絵だと思うのですが、どこかそれを感じさせられなかったメアリーカサットと重なっていました。(⇒『メアリーカサット展:母と子の目は、どこを見てる?』)
誰もがこの絵から受け止めるであろう「母子愛」 しかしそれを感じられない。どうも穿った見方をしてしまうのは私の悪いクセ・・・ メアリーカサットの時は、西洋の親子の在り方に対して、日本の親子関係を対比して見ていました。密着した濃密な関係。そんな浮世絵にみる母子愛というものを感じさせられたカサットはいろいろな思いが交錯したのだろうなと理解していました。日本の親子関係と、西洋の親子関係は違う。日本の親子関係は、表向きのつくろわれたもでなくあふれるような愛情に満ちている・・・ と思っていたのでした。
ところが、日本のこの絵からは親子の愛をあまり感じられません。どうも私の見方はひねている・・・(苦笑) と心の奥で思っていました。そう感じていることは、心の奥に閉じ込めました。
そして、母の目線は構図的なバランスによるもの。そして亡くなった母を偲んで遠くを見つめる視線・・・とこの時は理解しようとしていました。
ところが次のような言及を見ました。
カサットは母子をモチーフにした作品を多く遺しているが、同様の例に日本画の上村松園がいる。松園には未婚のまま出産した一人息子(上村松篁)がいるが、彼女の母子像の基底は自らが母としての親子関係ではなく、女手ひとつで自分と姉を育てた実母への思慕である。
出典:横浜美術館「メアリー・カサット展」 - きりんたの日記
この絵から、強い親子愛を感じられなかったのは、このせいだったんだ! 松園は我が子よりも、育ててくれた母への思いの方が強かった・・・ ちょっと意を得たり! でした。何も知らずに見た時に受け止める直感。その裏には何かが存在している・・・ そんな発見が面白いです。
松園の母子像を画像検索すると、メアリーカサットの母子像がひっかかります。松園の母子愛を、メアリーカサットに重ねている方もいらっしゃるようです。でも、それとは違う親子関係を感じさせられる理由が・・・・
■参考
このあと、私が気になった作品を紹介の予定(続)