いつもは長い文章をだらだらと書いておりますが、今回は写真でジャコメッティ―展を紹介したいと思います。この展示のテーマはジャコメッティ―の「ビジョン」を知ること。ビジョンとは=視野 つまり「ものの見方」だと理解しました。
人それぞれに、作品への「ビジョン」がある。私のジャコメッティ―への「ビジョン」を写真を通してここに記録しておこうと思います。
- ■《歩く人》は本当に歩いている?
- ■背の高さなんて見る位置変えたら違って見えるもの
- ■ディエゴ(ジャコメッティ―の弟)七変化
- ■自信があるのは右顔? 左顔?
- ■パーツに注目!
- ■光と影
- ■いやん、ぬりたくられちゃったわ 《歩く人》
- ■閉館間際の物語
- ■あとがき
- ■関連
■《歩く人》は本当に歩いている?
▼関節なくて歩けるわけがないじゃない! ▼正面から見たら関係ないわ!
こんな棒立ちの足にに体重はのせられないでしょ。
▼ほ~ら、歩いた!
▲見る方向を変えたら歩いて見えます。
↑ ここをクリックしてから、写真をクリックすると、
この作品を回りながら、写真によるムービーを見ることができます。
■背の高さなんて見る位置変えたら違って見えるもの
▲人は、背が高いとか低いとか、鼻が高いとか低いとかを気にするけど
▼見る位置変えたら、逆転だってしちゃうもの
今見ている現象は、一側面でしかないってこと
▼こんな鼻の高さだって ▼正面から見たらこんなもの
■ディエゴ(ジャコメッティ―の弟)七変化
▼浮世絵風に立つディエゴ
手前に大きな近影で背後の距離感が・・・
▼ディエゴ、小股にはれた! ▼ディエゴの串刺し
▼鼻でツンツンするディエゴ ▼ディエゴに何を語りかけてる?
私(=コロコロ)と撮影しようとするモデル(=彫刻)の間にある距離。それはたえず増大しているでしょうか? 撮影しようと思う対象の彫刻に近づけば近づくほど、その向こう側にある彫刻は遠ざかって行く感じはしますが‥‥
▼俺も見てくれ! ディエゴつぶやく
▼ディエゴの目
右目 左目
ジャコメッティ―の彫刻の目は、どれもが左右非対称。極端に違います。
線でえぐるように描いたスケッチと同じ。目と鼻から決めていく。
右目、左目も、こちらから見る右左と、ディエゴからみた右目左目が違う・・・
■自信があるのは右顔? 左顔?
■パーツに注目!
〇これは私の手・・・ 流行のミトン? 〇その脇から何が見えます?
全部そぎ落とされちゃったから寒くて・・・
せめて手袋でもって…
あらやだわ 歩く時に両手が一緒に動いてる。
緊張しているのかしら?
〇実は足にヒールもはいておりましたの・・・
あれ? 私は男だったはず・・・・
男がヒールはいちゃいけないなんて誰が決めたの?
■光と影
〇後光がさしています
〇足元から延びる影 〇影をひきづりながら歩く
■いやん、ぬりたくられちゃったわ 《歩く人》
私の仲間は、6体。そのうち、なぜか私にだけ、ジャコメッティは、ペイントをひっかけてきた。何を考えているんだか‥‥ どうやらエジプト彫刻みせられちゃったらしくて、それと同じようなことをしてみたくなったらしい。
そして、私はそのまま戸外に放置され、時とともに、だんだん渋味を増して、いい感じになってきたというわけ。
それにしても、男は背中で語らなくちゃいけないのに、こんなかけ方されたらな・・・
おい! ディエゴ、そんな兄さんのこと
どう思ってるんだ?
■閉館間際の物語
人の気配は次第にまばらに…
全景を撮影しようとコーナーに潜んでいました。すると一人、また一人と、ここにいた人たちが、フロアを離れ、誰もいない全景を撮影したいモードに変化していきました。
そして、展示会場は誰もいなくなりました・・・・
しばし、思い思いにそれぞれが、撮影モード
ところが!
そんな空気なんて、全く知らない一人の見学者が登場!
こっちを見たり、あっちを見たり。誰もいないフロアを行ったり来たり。笑
そして、また誰もいなくなりました。
閉館10分前 静かに流れる時間・・・・
時間と距離を隔ててみる存在とはいかに?!
■あとがき
写真の撮影というのは、自分が何を見て、どこに着目しているかが明確に切り取られます。あとから見返した時、あの時の美術展。この作品をこう見ていたんだ・・・ということが客観的に見えてきたりします。
美術作品を撮影するということを意識し始めたのは、2006年の直島に行った時。撮影が下手でもいいから、草間彌生の黄色い南瓜。絶対にだれも撮影していない構図や、アングルで撮影してくる! そんなことを思っていました。(笑)
戻ってきて、こんな取り方する人は絶対にいないはず・・・・ と思っていたのですが、必ずだれかしらが同じ構図、アングルで撮影していることを目の当たりにしました。人の考えることなんて、結局は同じ。これは! って思ってもだれかしら同じショットで撮影しているものなんです。オリジナルを求めるということは、大変… だれもたどり着けないビジョンがあるから、芸術家なわけなのですが・・・
今回も、草間かぼちゃを撮影した時のことを思い出して、いろんな場所やアングルから撮ってみました。
切り抜かれた写真は私の「ビジョン」 そこにものの見方の本質が現われているのかも・・・
ちなみに情報検索するとき、画像検索をすると穴情報や独特の着眼点に出会えます。そういう人の写真は、誰もが撮影するようなアングルでは撮影していないので… たまには画像検索で情報収集すると、新しい切り口のとらえ方に出会えることがあります。
■関連
■学び:「本質」って何? ②ジャコメッティ―展より「見たものを見たままに描く」とは?