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コロコロのアート 見て歩記&調べ歩記

美術鑑賞を通して感じたこと、考えたこと、調べたことを、過去と繋げて追記したりして変化を楽しむブログ 一枚の絵を深堀したり・・・ 

■ラスコー展:④感想:第4章 壁画に遠近法や日本画の技法を発見!?

 ■ラスコー展:③感想:第2章 模型から見えること 「ネコ科の部屋」は源流? の続きです。

4章の「ラスコー洞窟への招待」は、今回のメインの展示になります。この展示は、5か所の壁画が再現されており、その精度は、誤差が1mm以下。レーザーなどのデジタル機器による最新技術で本物とほとんど変わらない仕上がりです。その上に専門家が手を加えて細部まで再現しているので、ラスコーに行かずして本物に近いものを見るという体験ができます。

 

絵画の複製保存でもデジタル技術が進みプリントされるようになりました。が、最後は人の手を入れて質感などが再現されリアリティーが増しています。クロマニョン人もすごかったですが、今の人たちの再現力もすごいです。

 

 

■浮き上がる動物たち

事前にHPやブログなどで情報を見ていたので、どんな展示かはすでに理解していました。暗くなると、レーザーでその絵の輪郭が浮かび上がる・・・・ そのため、浮かび上がった映像を見ても、その驚きは少し小さくなっています。

  

とは言っても、かすんだ色だけではわからなかった輪郭や矢印などが見え何が描かれているのか明確に理解できます。

 

ところが、レーザーの画像が浮かび上がるものと思って待っていても、浮かび上がらない壁画もあります。どうしちゃったんだろう・・・と思って、スタッフの方に伺ってみました。すると「線刻」輪郭などの線を石器で刻む)された壁画だけを、レーザーで浮き上がらせている・・・とのことでした。なかなか手の込んだ演出です。

 

 

■岩の性質によって技法を変えていた!?

そこから、クロマニョン人が絵の描き方の技法を変えていたことを知ることができます。アウトラインを描いてから着色する場合と、いきなり輪郭線なしに着色だけで描いた壁画があるということです。これは岩の硬さによって、硬いところは、線刻しにくいから、いきなり着色・・・というように、岩の材質によって技法を分けていたということではなか・・・と3章の展示から読み解くことができます。

 

一般的に、絵を描く時というのは、たいてい輪郭線を描いてアウトラインを決めてから描いていくものではないかと思います。それをいきなり、ペインティングで描くという手法をクロマニョン人は実践していたということです。

 

 

■現代にも通じる輪郭線を描かない技法を使っていた!

線画といえば、日本画は筆による線によって構成されてきたという歴史があります。ところが近代日本では、それを脱却しようと、横山大観らが提唱した没骨法(輪郭を描かず、初めから画面に形と色を同時にあらわすという技法)が、新しい日本画の技法として朦朧体としてひろがりました。

一方西洋でも、ボタニカルアートルドゥーテは、輪郭線を描かない技法で好評を博しています。また印象派も輪郭線をなくすという試みをしています。

 

つまり、技法の進化(?)ともいえる輪郭線を描かないという手法を、古代のクロマニョン人は、すでに身につけていたといえると思いました。ただ、これは、新たな技法、云々ではなく、「キャンパス=岩」の性質を見極めることによって、必然的に生まれた方法で、いわば自然発生した技法。まだ、芸術といえる域ではないと思うのですが、芸術の小さな芽をここに感じさせられました

 

 

■遠近法を使っている!

 

▼手前に大きな牛を描く       ▼輪郭線

  

 

この牛を見た瞬間、日本画の遠近法使ってるじゃない! って思いました。手前に大きな牛を配し、背後には小さい馬の群れ・・・・ しかも、手前の牛が濃くて、背後の牛は薄い。空気遠近法まで使ってる! 

なに、それ~  クロマニョン人は、まだ芸術的要素はない。と思っていたのに・・・ 記録したいという本能に従って描いてきた。そう思っていたのに、日本人の空間のとらえ方を、クロマニョン人は、身につけていたってこと?! さらにレオナルド・ダ・ヴィンチが考案したとされる、空気遠近法まで取り入れちゃってるし。ちょっと、ちょっと・・・ こんな技法を見せられたら私の仮説が崩れちゃうじゃない・・・・(笑)って思いながら見ていました。

でもまてよ・・・・ 後ろの動物は、薄く見えるけど、もしかしたら剥離して、薄くなってるだけかもしれないし・・・・ この牛を描きたい! 私たちはこういう牛を目の前にして戦っているんだってことを記録して伝えたい! という強い気持ちが、牛にフォーカスして大きくなっただけかもしれない。あるいは、手前に見えるものは大きく見えたから・・・ そんな単純なことなのかもしれないし・・・・

青山ブックスクールで行われた「ホモ・サピエンスと芸術」の、海部先生のお話によると、「背後の馬」が先に描かれ、「牛」はあとに描かれたと解説がありました。 

 

■矢が意味することは?

 

 

▲この絵では、矢印のような線はよくわかりません。がブラックライトで照らされると

 

▼矢印が何本も描かれています   ▼こちらは背中の方から

  

 

解説では、矢印は槍に見え、動物をしとめようとしたのか。とありました。こんなに同じ方向に何本も平行に刺して、しとめることができるものでしょうか? 私はこの矢印は、やはり何かを伝授するためのメッセージとして描いたのだと思うのです。宗教的な儀式ではないかという説もあるようです・・・

 

2章の洞窟模型を見ていた時は、壁画は単に「記録」のためのものだと思いました。その後、「仲間に伝える」あるいは「生まれてくる子=次世代に伝える」という意識を次第に持ち始めていったのではないか・・・・ 結果として描いた絵に「伝える」という目的が加わったのでは・・・・

3章で矢印が何本も同じ方向で描き足されている矢を見た時、この矢は何かを伝えるためのマーカー的な役割だと思いました。何を意味したかは、すぐにわかりませんでしたが、獲物をしとめる時の、急所。あるいはしとめる方向を示したものでは? 牛は腹部から奥に向かってさす。それが急所だと。背中は、背骨の横あたりがポイントだと・・・・ 腹部のこのあたりを狙うと、うまくしとめられるというメッセージだったのでは?と。

やはり、まだ、記録的意味合い、そして、技術の伝授。そんな意味が強かったのではと思ったところに・・・・・

 

■泳ぐヤギ

牛の壁画の上部には、頭だけを出して泳ぐヤギが描かれています。これがまた、「胴体は隠す」というテクニックで、画面からはみださせてすべてを描かない。それによって想像させ大きさを感じさせるという琳派でも使われていた手法で描かれています。しかも、岩が前にせり出している凸部に合わせて頭の部分を描き、体は凹部でイメージさせてフェードアウトさせているのです。

 

▼ これなども、岩の形状の凸凹をうまく利用して遠近を表していないでしょうか? 

 

日本の屏風絵が折の、凸部、凹部にうまく合わせて描いた手法に通じている?

 

 

■さらにはっきりわかる遠近法が・・・・

 

こちらは解説にもあるとおり、2頭のオスのバイソンが重なっていますが、体がかさなり合った部分は、 遠くにある方を薄く描かれています。また境界をぼかすことで、距離を表しています。

また左のバイソンの体が一部赤くなっているのは、冬毛が抜け落ちたあとに、新しい赤い毛が生えている様子を表していると言われているようです。

バイソン生態を観察して記録しつつ、表現力というものを少しずつ獲得していった過程のように感じられました。

 

 

また、洞窟の展示を見ているときには、気づきませんでしたが、牛の足が3本描かれていたり、馬の首が首を振っているかのように、2つの角度の頭が描かれていたようです。これらは、漫画の動きのある表現に通じていると言います。

 

▼このあたりも、岩の形状をうまく利用して、左に向かって細くなっている形状を生かし、横方向に伸びる広がり効果を狙ってるとか?  ちょっとこじつけかな?(笑) 

 

↑ 左方向へのひろがり     ↑ 右方向への広がり(明日の神話

 

 

■井戸の場面

展示のトリを飾るのは、まさに「トリ人間」。この場所は、下記の図の位置にあたり、洞窟の一番深いところにあります。5メートルのたて穴を降りなくてはならない「井戸状の空間」という場所に「トリ人間」を描いたといいます。

 

▼洞窟の一番深い場所         ▼5mの高さを降りる

  

 

▼横からみた5mの感じ・・・    ▼描いた場所

  

                         ↑

                    このあたりに描いた

 

どんな絵を描いたかというと・・・・

 

▼傷つき腸がはみ出たバイソン  ▼ トリの頭をした男を突き倒している

   

      ↑ 

 これがはみ出た腸?      これ突き倒されてるの?

                私は、前にたちはだかって

                いるのかと思いました

▼向かって左にはケサイが・・・

 

ケサイって何? 

ところでトリ人間はどこにいるの?

これがトリ人間? 羽をひろげて2本足で立ってるってこと?

 

 

○トリ人間はどこ?

この手をひろげたみたいのが「トリ人間」なのかなぁ・・・ちょっと無理がないかい? と思いながら見ていたら、これはケサイだと判明。 (今のサイよりも毛が長め) トリ人間は、バイソンの前に立ちはだかっていると思った細長い人なんですって! これは、どう見ても人間でしょ~ と思ったあら、顔がトリなんだそう・・・  確かによく見たらトリですが・・・・

 

○なぜヒトがトリの姿に・・・

トリのマスクをかぶったシャーマンという説もあるようです。私は単純にクロマニョン人も、空を飛ぶことにあこがれたんじゃないか・・・・その現れだと思いました。レオナルド・ダ・ヴィンチも空を飛ぶことを現実のものにしようと、飛行機やヘリコプターの図面らしきものを残しています。トリのように空を飛びたい・・・それは今も、昔もかわらない夢だったのでは・・・・ というより、ちょっと遡れば(古代の時間スケールで)クロマニョン人の先には、トリに分化する生物につながるわけです(たぶん) 祖先につながる血が騒いで、トリ人間を描かせたのではないでしょうか?

 

 

○進化のシンボル

ここで見た時には気づかなかったのですが、トリ人間は、男性シンボルが描かれていると、第6章の解説を見ていたら判明しました。やっぱり・・・・  生命の連鎖、存続。それを表す象徴的なものは絶対に何か、残すのよね・・・・ ということで、閉館間際、誰もいなくなったこのコーナーに戻って、写真を撮影してきました。 

 

やっぱり、ここだよね・・・・ と一人納得してうなづいていました(笑) 生命を存続するための儀式(本能)を表現していて、これによって命が繋がっていくということを表している。しかし、♂が描かれているなら ♀も描かれていないと・・・ それは発見できませんでした。

 

国学院大学博物館で行われている 特別展「火焔型土器のデザインと機能 Jomonesque Japan 2016 を見た時にも、こんなものをみつけました。

 

▼石棒

 

 石棒(せきぼう)とは、縄文時代中期以降に何らかの祭祀目的で製作・使用されたと考えられている石器で、その形態は、男性器を彷彿とさせる。男根を象(かたど)る石棒による祭祀は、エネルギッシュな活力や、その再生を求める勇壮な「男性」的なものであった可能性が高いと推定することができる。

(出典:石棒 | 玉川大学教育博物館 館蔵資料(デジタルアーカイブ)

 

きっとこれを受けるものがあるはずと思っていたら、2回目に訪れた時に石井先生の解説で、その隣にあるのが「受け」ですと解説されたのがこれ。

 

▼磨石

  

 

こうして、子孫繁栄を表すものは、道具だったり、儀式だったりというかたちで、残されていくものだと思われます。

 

 

○なぜこんな場所に?

洞窟の奥の奥です。奥の真っ暗な場所。しかも、5mも縄梯子をいちいちつたって下りないと行けないような場所です。そんなところで何を描こうとしたのでしょうか? 他の絵と違って、ここだけがストーリー性があると言います。人と動物の関係を何か表しているのでしょうか? すなわち、それが、「思考」「考える」ことの始まりともいえるかもしれません。「意味のないものに意味を持たせる」 あるいは、種族に伝わるような秘儀のような儀式的なことが行われていたのでしょうか? 

ラスコー洞窟の壁画で人が描かれているのはここだけだと言います。なぜ、人がここだけに描かれたのでしょうか? 絶対に対であるべきと思われる女性はまだ、人と認められていなかったのでしょうか? また、描かれているのは動物だけで、植物は描かれていないと言います。

 

 

○ランプの謎・・・

暗闇で何をしていたのでしょうか? 暗闇で描くことができたのは、ランプを作る技術を持っていたからです。従来、ランプは明かりがともればいいので油を入れるだけ。簡易的なものでした。ところがここでみつかったランプは造形的にもすぐれたもので、丁寧に作られていたものでした。そしてそのランプには・・

 

また、トリのヘッドがついた棒の正体も次の章でわかります。

  

 

5章、6章へつながります。⇒(続)

 

 

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