■ラスコー展:②感想:1章を見ればラスコー洞窟情報はほぼバッチリ の続きです。
第2章「よみがえるラスコー洞窟」 会場の中央には、1/10サイズの模型が展示されています。この模型、見せ方にいろいろ工夫があります。その中に「ネコ科の部屋」と名付けられた部分がありました。そこから見えてきたものは・・・・
■1/10サイズの模型展示
第2章のエリア中央部には、模型が展示されていて、こんな感じの模型が並んでいます。
洞窟の外観でしょうか? しかし、外観、見せられてもなぁ・・・・ 内部を見せてくれないとあまり意味がないんじゃないかなぁ・・・ せめて半割にして、内部の様子がわかるといいのに・・・⇒ 全景の参考写真 (出典)
洞窟を立体的に把握させようとしてるということなのでしょうか?
たとえば下記の洞窟図。平面だと立体構造がわかりません。
これを立体で模型にすれば、実物はこうなりますよという意味なんだと理解しようとしたら・・・
なんだか洞窟の端からヒモが出てきました。そして光が漏れています。
なんだろう・・・・と思って覗いてみたら・・・・
▼こんなふうに照明があてられていて内部を見ることができました
▼人の模型が置かれて、高さがイメージできたり
▲こちらは、広そうです。
▲ここは、高さがなく絵が描きにくいから、掘り下げて足場を平坦にしたのでしょうか?
この掘り下げ作業を想像すると気が遠くなります。絵を描くために、こんな整備をするまでのエネルギーを費やしたということでしょうか? ここは、洞窟のどのあたりなんでしょう? 奥の方? 入り口付近? この狭さから想像すると、奥の方だと思われます。展示の冒頭で、奥は生活の場として利用はしていなかったと解説がありました。ほとんど使ってない場所なのに、足元をこんなにきれいに整備しちゃったの? この土をかきだすのだって、奥からじゃ大変だったはず。おそるべし、クロマニョン人!
とクロマニョン人を、絶大なるリスペクトの眼差しで見ていたのですが、なんのことはない、発見されたあとすぐに、現地の民間業者が見学用に整備したあとだと、この企画を担当された海部陽介さんから伺いました。(ホモ・サピエンスと芸術~縄文人とクロマニョン人と岡本太郎からさぐる芸術のはじまりにて)一連のラスコー展を見て、クロマニョン人ってすごい! という印象を強く持っていたため、彼らならこんなことまでできるかもって思ってしまったのでした。
▼これは、たぶん、最初の頃に作られた階段でしょうか?
↑ ▲こんなに細い道も平坦になってます
〇 洞窟奥の「井戸状の空間」
ここは、今回の一番の見どころ作品でもある《井戸の場面》が描かれている部分
ラスコー洞窟の一番深いところにあり、わざわざ5メートルのたて穴を降りて描いたという「井戸状の空間」といわれる場所。
▼高さ5m ここを縄梯子で降りて絵を描いたそう
▲横から見るとその高さの構造が
よくわかります
第2章は、こんな感じで、1/10サイズで作られた精巧な洞窟模型の内部を模型の横穴からのぞき込むようにして見ることができます。洞窟の中を歩いてすすむ。這って進むという感覚を、自分もミニサイズになって体験した気分が味わえます。実物大の壁画「ラスコー3」を見るための準備コーナーのような展示です。
■気になる「ネコ科の部屋」という名の洞窟部分
模型を囲むように壁面にパネルが展示されています。その展示の中に「ネコ科の部屋」というネーミングがあってそれが、妙に気になりました。この部屋に入って最初に目に飛び込んできました。
「ネコ科の部屋」は、洞窟の一番奥で、高さもなく身をかがめるようにして描いたようです。ネコ科の動物だけ、あえて奥の部屋に押し込めたということ? 狭い場所だから小さい動物を描く場所に選んだ? 腰をかがめ、はいつくばってやっとたどり着き、そこで描く。何を思い、何を考えていたのでしょうか?
■クロマニョン人は「分類」をしていた
この「ネコ科の部屋」を見て、当初、立てた仮説が正しいと確信に近いものを感じました。「ネコ科の部屋」という妙なネーミング、だれがつけたの? それは、どういう意味なんだろう? と疑問を持っていました。洞窟の奥深い部屋に「ネコ科」の動物を描いたということのようです。それでわかりました。
それは、とりもなおさずクロマニョン人が、「動物を分類する」という視点を持って描いていたということではないでしょうか? 学問的視点で動物を見ていた。その動物を分けて、それを部屋ごとに、まとめた。つまり動物を分類学という視点で見ていたということで、学問の始まりを意味しているのだと思いました。
〇進化の源流
そして、ここに「人間」が「物事を考える」という「学問の源流」を見たように思います。原人からホモサピエンスへの進化。その時に見られる「脳の進化」がここに見られたということなのだと・・・
〇原人から人へ
進化の過程において「動物と人との違い」は何か。うろ覚えなのですが、埋葬するという行為が見られることが、動物から人に進化したことの現れと聞いたことがあります。しかも、その埋葬場所には、矢車菊が添えられていたと言います。その花は何を意味しているのか・・・
原人から人へ進化。それは「悼む」という心を持ち、花をたむけるという行動。それこそが、人たらしめる行為で、原人から人に変化した証だと・・・・・
【追記】矢車菊伝説(?)はツタンカーメンの墓の話のようで、もしかしすると混同されてしまったかもしれません。こんな記載を見ました。
とさらに調べたら
↑ これでした。
「6万年ほど昔のネアンデルタール人の化石があったイラクの洞窟に花を捧げていた跡があった」ということを、どう捉えるかということが、ひとつの課題です。
心を持った人としての進化? 心=思考=考える・・・?
〇学問のスタート
今回の展示で、その話が、クロマニョン人の絵が、芸術なのかどうかの判断をする上で、ヒントになるような気がしていました。
この話とは直結しませんが、学問のスタートというのは「分類する」ことから始まったということを、解剖学を通して感じていました。まさに、このラスコーの洞窟内において、クロマニョン人が分類という意識を持った瞬間がここにあります。動物を描き分け、さらに空間も分けていたということが、人として進化し「考える」ということの始まりとなったのでは? と思ったのでした。
▼生物の系統樹
(出典:『系統樹曼荼羅』はながめるとワクワクする|Colorless Green Ideas)
上記は、生物の進化を表す系統樹です。こうした生き物の進化に対して、同じ系統の動物を観察し、同じもので分けて分類していくのが生物学の基本です。
一方、学問の系統も同じような進化をしています。
▼知識の樹
すべての学問・すべての知識を、同じ樹木の根と枝に配することで、錯綜とした森のような知識体系を整理し、理解を助けようとしているわけだ。さらに、18世紀、ディドロやダランベールらの『百科全書』をツリーとして描く「百科全書樹」なるものも描かれており、知識を体系づけるツリーも根強い伝統のようだ。
何かを深堀していくと、どこかにつながり、それは学問というジャンルの境界を越えて融合していく。まさに一本の木の根から派生しているということを感覚的に感じるようになってきます。そして、きっと、その大元になっているものは、同じところから派生しているのだろう。と思うようになっていました。そして、それは、太古の昔の身の回りの自然から派生している。あるいは、学問でいえば、「人が考える」ということからスタートした「哲学」が分化の大元なのでは・・・・と。
■原人から人になったクロマニョン人
〇クロマニョン人は生物分類を始めた
・「ネコ科」という同じ系統の動物をまとめて、一つの部屋に描く
・馬と牛の蹄を観察して、その形態の違いも描き分ける。
・のちに動物をタイプ分けするという芽のはじまり?
・洞窟の硬さによって、描くものや描き方を変える。
これは、洞窟を「性質によって」「分けている」ことでもあり、
その性質によって、何を描いたらよいかを考え、選択していること。
以上は、「生物学」という「生き物を分類し分けていく」という学問の「源流の一滴」と言えるのではないでしょうか? また、学問という体系が未発達の時代・・・というより、「原人が人に変化」する最大の要因は、脳の進化。「考えて」行動する。その一つが「分ける」こと。「性質をみきわめる」そして「分ける」ことがスタートした瞬間ではと思いました。
これは、まだ芸術の領域といえるものではなく、「見たものを記録する」という、生き物が生まれ持った本能。それによって「伝える」「引き継ぐ」「継承していく」という本能を、絵という手法を使って残そうとしたのだと思いました。
つまり、人間=ホモサピエンスとして、「進化が現れた瞬間」だったのでは? と・・・・
いよいよ次は、「ラスコー3」壁画の再現コーナーです。⇒(続)