昨年(2016年)の11月から開催されていたラスコー展。いよいよ、2月19日までと、残り10日となり、カウントダウンに入りました。2/7には、入場者が20万人に達したそうです。協賛の人気ドラマにさりげなく挿入されたりとなにかと話題にはなっています。興味はあるものの、その先の一歩を踏み出す決め手がなく年が明けてしまいました。そこに届いた吉報が、青山ブックスクールにて、下記の講座が催されるとのこと。
これで、一気にヒートアップ。ラスコー展に行くという気持ちが高まりました。ラスコー展は、講座の前に行くべきか、講座のあとに見た方がいいのか・・・・・・セミナー開催の担当の方に相談をしたところ、前に見ておいた方が、講座の内容もわかりやすいというアドバイスをいただきました。講座開始が、19:00~だったのでその前に、急きょ、ラスコー展にでかけたのですが、これ、大正解でした。
■プロローグ
行く前にいろいろ頭を巡っていたこと。ラスコーの壁画が発見されたのは小学校の頃。と記憶していたのですが1940年。高松塚古墳(1972年)と混同していたようです。唯一、ラスコーの壁画の解説で覚えていることが、その時代の観察眼の鋭さ。走っている牛や馬の脚の状態を、正確に描きだしている。映像記録などない時代、ましてスローVTRもストップモーションもない時代に、疾走する動物の足の動きをリアルに再現しているのは驚異的・・・・という話が印象深かったのです。
その後、絵画鑑賞をしながら、人間の動態視力について考えさせられた時に、ラスコーの壁画のことを思い出されて調べていました。ところが、どうも、ラスコーの壁画ががリアルな足の動きを再現しているようには、みえませんでした。(⇒ラスコー洞窟 壁画 - Google 検索・・・現在はラスコー展の画像がかなり含まれています)検索結果の他の壁画の中に、リアル表現されたものがあるのかな? 今回の「ラスコー展」なら、そのリアルな足の絵が再現されいるのだろうか・・・・ そんなことを確かめたいと思っていました。
(なんとなく、レビューなどを通して、展示の画像を事前に目にしていました。やっぱり再現されていたんだ! と思える画像がみあたらなかったことが、「ぜひ行きたい」という気持ちにさせられなかったのかもしれません)
■「芸術のはじまりを知る」
見どころ解説に「芸術のはじまりを知る」とあります。(⇒見どころ)
洞窟に絵を描くという行為。それは何のためだったのか? という大命題が掲げてスタートする模様。
私が見る前に考えていたことは、ラスコーの洞窟というのは、芸術の始まりなのではなく、「記録に残すことの始まり」だったととらえていました。生きている自分の今を記録に残したいという欲求。素朴な原始的な欲求からではないか。芸術という高度に分化し、高められた精神活動に至る、一歩手前の欲求段階の絵。その裏には、本能的に人が持っている繋げる、伝えるという欲求が込められている・・・と推察をしていました。
どうも、行く気になれなかったのは、このあたりのとらえ方にあったと今、振り返って感じているところです。(見終わって、これは、一種の見せ方、訴求法だったと理解するわけですが)こういうアプローチは、自分の感覚、感性に合わない・・・・と本能的に(笑)に感じてしまい足が遠のいていたのでした。
「国立科学博物館」の催しなのに、いきなり、芸術から入っちゃうの? ラスコーの壁画は、事実の記録以外のなにものでもないと私は思う。そこからスタートして、芸術へ昇華されていくという過程だと思うんだけど・・・・ そんな思いを抱いていたのでした。
というのも、これまで、国立科学博物館で行われた展示を見て、芸術作品に興味を持てたという経緯があります。それは、科学的な事実を丁寧に積み上げ、その積み重ねた先に存在する「芸術」というものに気づかされた、という私の中では、無理のないつながりがあっての「アート」への誘いだったと思っていたからです。⇒
「アート」に興味を持つことができたのは、自然科学をベースとした事実の積み重ねからアプローチされていたからこそ・・・・ そういうプロセスで芸術を捕らえて訴求できるのが国立科学博物館の役割・・・・ と思っていた自分の中の位置づけを、壊されてしまったような・・・・(笑) いきない「芸術のはじまり」と設定してしまうことへの抵抗を感じていたようです。
■記録することは、人の本能
昨年末から、はてなブログに移りました。ここで感じさせられたことがあります。人は、何等かの形で、今を記録したいという欲求があるということです。そしてそこから何かを得たいというエネルギーのようなものを求めているということでした。それは、いろいろなブログがあってどこでも共通する部分なのかもしれませんが、とくにここ、はてなブログはその傾向が強いような気がしていました。
ここでは絵ではなく(イラストなどで表現される方もいらっしゃいますが)文字が中心の世界です。その文字を使って、何等かの形で、今を記録したいという欲求。はてなの空間に残すこと、すなわちラスコーの洞窟の壁に記録する行為と同じなのではないかと。そしてこの記録する、残すというエネルギーは、ラスコーのクロマニョン人の血が、連綿と今に受け継がれてきた結果ではないか・・・・という私の仮説です(笑)
これらの記録を、未来に繋げるという意図を意識的に持って書かれている方もいらっしゃいます。将来の自分のために。あるいは、子供や孫に自分が生きた証として見てもらうために。人には、記録し伝えるという本能が、太古の時代から受け継がれてきているとうことなのだと思っていました。
■「地中美術館」の安藤忠雄氏の言葉
なぜ、クロマニョン人は、壁画を描いたのか・・・・
それを考える時、安藤忠雄氏が直島に地中美術館を作った時に語った言葉を思い出していました。(記憶によるものなので正確ではありませんが)「なぜ、地中に美術館を作ろうと思ったのか」という質問に対して、「何万年か先、天変地異などでこの美術館も埋まってしまうかもしれない。そのあと、だれかがみつけて発掘された時に、〇万年前の人々は、地中に美術館を作って、絵を飾って鑑賞していたのか・・・・そんなことを思ってもらえたら・・・」今の私たちが、何を考え何を思い、どんな文化活動をしていたのか・・・・ それを後世にも伝えたいという欲求を持っていらっしゃる。ということを感じたのですです。
芸術であることの前に、「記録し伝える」という人の本能。まずそれあって、その先に芸術があるのではないかと・・・・
地中美術館、建設の安藤氏の根底にあったもの。それは、クロマニョン人がラスコー洞窟に描いたという行為と同じであり、古代から脈々と受け継がれてきた「今」なのではないかと思ったのでした。
出典 :地中美術館 | アート | ベネッセアートサイト直島
■基礎知識があいまい
見るにあたって、基礎知識の不足も感じていました。
Q ラスコーってどこ?
Q クロマニョン人って、人類の進化の中でどの位置づけの人たち?
Q クロマニョン人って、毛が生えてる原人みたいな人?
Q 何年ぐらい前の人なの?
Q 縄文人との関係はどんな関係?
Q クロマニョン人がいた頃の日本ってどんなだったの?
いろいろ、わからないことだらけですが、とりあえず、展示を見に行きました。
見る前のプロローグで助長してしまいましたが、実際の見学については、改めて⇒(続)