出雲大社の主祭神は大国主命。よく耳にする神様ですが、どんな神様なのでしょうか? また、因幡の白兎の話も有名です。どんなお話なのでしょう。八雲立つ出雲の国。そこに伝わる神話や神々について、現地に行って感じたこと、忌憚のない本音とか、疑問に思ったことから紐解きます。
- ■たくさんのウサギの石像 出雲大社との関係は?
- ■因幡の白兎って、どんな話?
- ■因幡の白兎が伝える教訓は?
- ■神話と教育
- ■サメを並べて島を渡る知恵は誰が考えた?(2020.01.16)
- ■意地悪な八十神(追記:2020.01.20)
- ■大国主命ついて
- ■大国主命の像は出雲大社のどこに?
- ■大国主命にはいくつもの名前がある
- ■神話や神々の理解の手助け
- ■観光案内所にも神話情報あり
- ■因幡の白兎の話を知って
- ■出雲大社関連(ブログ内)
- ■補足
■たくさんのウサギの石像 出雲大社との関係は?
〇至るところに大量発生しているウサギの謎
出雲大社の参道、西神苑側を歩いていると、あちこちでウサギの石像を見かけました。因幡の白兎がモチーフになっているのだと想像はできるのですが、その話がどんな話か忘れているため、出雲大社との関係性がわかりません。
〇ウサギはどこにどれくらいいるの?
46羽のウサギがいるそうです。(実際は、増えているようです)
参考:
場所に合わせて表情や動作が違っていて、御本殿裏・神苑・神楽殿周辺・祖霊と至るところでお目にかかれます。
〇因幡の白兎を理解しないとはじまらない
たくさんのウサギと遭遇するのですが、どうも関心が向きませんでした。いろいろなウサギを探してみようという気もおこらず・・・ 写真もほとんど撮影してませんでした。
それは、因幡の白兎の話を理解していないためで、出雲大社との関係がわかれば、興味もでてくるだろうと思っていました。
西神苑の端に、神話のシーンと思われる絵が描かれた石碑とウサギの石像が、遠くに見えました。それを見にいけば、解説もありそうなので理解ができるかも…と思ったのですが、足はそちらに進みません。(時間もかかりそうだし、こんなところに時間を割いてたら、本当に見たいところが見れなくなっちゃうと思ってました)
この絵は、因幡の白兎の話ではなく、大国主命とスセリヒメが夫婦の契りの盃を交わすシーンのようです。
〇なぜ興味がわかなかったのか 別の理由が・・・
いつもなら、46羽いると言われたら、本当に46羽なのか。どんなウサギがいるのか確かめたくなります。全部、コンプリートしたくなるのですが・・・・
なぜ興味がわかなかったのか、もう一つの理由がわかりました。ウサギがかわいらしすぎて自分の好みと合わないのでした。最近、置かれ出したもののようで、現代版のキャラクター化されたアレンジと、出雲大社の歴史とミスマッチな印象。最近のパワースポットめぐりのブームに便乗している感じ。(写真の撮影というのは、自分が受けとめた感覚をダイレクトに出るものだと改めて感じました。)
今様ウサギが次々に増殖しつづけているのは、若手の作家さんの作品でしょうか?あるいは、どこかから寄進されているのでしょうか?(作家さんには申し訳ないですが、自分の好みではないというファーストインプレッションを受けていたのでした)
〇撮影してきたウサギ
撮影したい衝動がおきなかったのですが、あちこちに存在するウサギの中から、とりあえず、何か意味を感じられたウサギをセレクト。こちらは、ご本尊裏にいたうさぎです。
ちゃんと本を読んで、出雲大社のこと勉強してね…というメッセージとして受け止めました。それと、背中に袋をしょってる大国主命のことも、ちゃんと理解するようにように・・・と。
〇神話の杜:これもうさぎ?!
西神苑にあった彫刻。周りを取り囲む3本の石は、てっきり縄文時代の石棒と同じような意味あいのものと理解しました。つまり男性のシンボル。ということは、中央の白い彫刻は、女性を表してるのでしょう。これは子孫繁栄を表した彫刻。古来の祈りを象徴的に表現されたもの・・・・と思っていたら。
男性シンボルだと思った棒は、森をイメージしており、女性の部分は、ウサギなのだそう。ほかにも、ヤマタノオロチ、イノシシ、ネズミが集って遊ぶ様子を抽象芸に表したとのこと。
〇出雲大社のウサギはいつ頃、どこから何のためにやってきたの?
出雲大社のウサギの始まりは、2014年にウサギの石像が設置されたのが始まりらしいです。(やはり比較的新しい時代のものでした)
出雲大社には氏子の学生を対象にした育英奨学金制度があり、卒業する奨学生の記念として植樹を行ってきたそうです。「平成の大遷宮」を記念して境内に「うさぎ石像」を7体建立することに。以後、ウサギの石像が記念として送られ、どんどん増えているとのこと。(そういう経緯があったとは失礼しました m(__)m)しかしこのまま増え続けていいのか心配・・・・
■因幡の白兎って、どんな話?
出雲大社の至るところに発生しているウサギの置物。因幡の白兎の話を理解すれば、また見え方も変わるかもしれません。ところが、初めて出雲大社を訪れたあとも、因幡の白兎の話を知りたいという気持ちがなかなかおこりませんでした。
〇因幡の白兎を理解するまで
*因幡の白兎 - Wikipedia
おそらく最初に見たのは、wikipedhia情報でした。ここにある膨大な情報を見せられると、込み入りすぎて、めんどくさくなり、もういいと思ってしまいました。周辺情報が詳細すぎて、追いつけません。
因幡の白兎を理解するのに、古事記から理解しなくてはならないの?と、やめてしまいました。他の情報をあたればよいことなのですが、興味がないと、そこで終わってしまいました。
*簡単な紙芝居で理解
2度目の出雲に行く時も、因幡の白兎の話は理解していませんでした。現地に到着し、いつものように出雲大社周辺の情報を得るため、神門通りの観光案内所に行きました。因幡の白兎を紹介したミニ紙芝居が卓上に置かれていました。子ど向けだったので、お手軽に、因幡の白兎の概略をつかむことができました。
*白兎を助けた大国主命が、出雲大社の主祭神
〇因幡の白兎(概略)
因幡の白兎が、どんな話かというと・・・・
サメに全身の皮を剥かれた白ウサギが、大国主大神の兄達から“海水に浸かり風に当たれば治る”と教えられ、そのとおりにしたところ傷は酷く悪化してしまいました。
*「因幡の白兎」の神話を散策してみた
因幡の白兎の概略がわかったので、その話がどのように表現されたり、伝えられているのか探ってみました。出雲大社を初めとする各神社で紹介されています。お菓子メーカーや、白兎が渡った先、鳥取県側の話、個人のブログなど、それぞれに微妙な違いが見られます。話の組み立ても順番が入れ替わったり、表現方法もいろいろで、理解を深めることができました。
*いなばのしろうさぎ | 出雲大社
本家本元?の出雲大社での紹介。
*因幡の白兎について | 日本神話 古事記 原文・訳と白兎神社による考察 | 白兎神社
原文とともに約記で紹介
イラストともに紹介
*因幡の白兎 (赤羽八幡神社)
ウサギは、ヤガミヒメに伝令しています
*稲羽の白兎 | 神社本庁
神社本庁で紹介されるイナバは「稲羽」
因幡の白兎のお菓子を作るメーカーでは、ウサギは改心してよいことをしています
*「因幡の白兎」のストーリー | とっとりっぷ 鳥取県の旅情報
*出雲大社の兎像の秘められた謎とは?「白兎像の由来・歴史・意味」 | 出雲大社-御朱印
*面白いほどわかる因幡の白兎!あらすじ・教訓を超簡単に解説【日本神話(古事記)を読もう】 | まなれきドットコム
*いろいろな因幡の白兎を見て感じたこと(追記:2020.01.20)
〇話の構成の順番が違う
島から渡ってきた経緯の説明をどこするか。 大国主命に説明しているもの、その前に説明しているパターンがある。これは、この話を紹介する人が、わかりやすくするために時系列にアレンジしているのかな?と思っていました。
のちにそれには理由があることが判明。
〇ウサギの皮をはぐ? 毛を抜く
ウサギはサメに皮をはがれたと思っていましたが、毛を抜くという表現がありました。毛の方が、リアリティあるなぁ・・・・と思ったのですが、ここにも理由が・・・・
〇ウサギがだましたのは、サメ? ワニ?
ウサギがだましたのは、サメと書かれたものと、昔はワニと書かれていたこともあったよう。
〇「因幡の白兎」 「稲葉の素兎」
「因幡」が「稲葉」
「白兎」は「素兎」 白いウサギではなく野ウサギで茶色っぽい
というように、実は違うという話もいろいろ
以上のように、最初に読んだ時、あれ?とひっかかっていたこと。それには、いろいろな背景があったことが、のちになって見えてきました。
⇒参考:明治児童向けの古事記「いなばのしろうさぎ」のはじまり
*因幡の白兎を理解するのに役立ったこと
因幡の白兎の話を、いろいろなサイトで見ていたのですが、解説にあたりこれはわかりやすい!と思ったのがこちらです。
「日本の神話の流れ」の全体を示し、その中で「因幡の白兎」がどのあたりに位置付けられているかを、示されていました。。
これまで歴史を理解しようと思った時、部分が少し見えたあたりで、次に全体の流れを知りたくなります。そして、その流れのどのあたりの話なのか確認したくなります。日本の神話の全体はどういう話なのか、個々の話は、その中でどの位置にあたるのか。
全体を理解するのに、いろいろ資料をあたるのですが、なかなか見えてきません。こちらでは、前後の関係がとても分かりやすい表になっていました。
古事記や日本書記の神話全体のことも理解できないと、その神話が何を言ってるのかわかりません。ただ、全体像を知るには、ある程度の基礎知識が必要です。
最初、因幡の白兎の話を調べた時に、wikiphedhiaを見て、お手上げ状態となったのは、その背景となる古事記、日本書記の知識が全くなかったからです。少しずつわからないことを調べながら、古事記、日本書記の部分部分に触れたことで、神話の流れの一覧を見ても理解できるようになっていたのだと思います。
少しずつ、少しずつ進んでいくうちに、ある時に、パッと視界が広がる感じです。神話の動画なども、全体をつかむのに役立ちました。
■因幡の白兎が伝える教訓は?
「因幡の白兎」の概略がわかりました。では、この話は何を伝えようとしているのでしょうか?どんな教訓がこの話の中に込められているのでしょう?自分で考えてみたのですが、どうも腑に落ちない部分があります。
〇考えてみたこと
・嘘をついてだましちゃダメ。ずるがしこい方法はどこかで破綻をきたす
・お天道様は見ているよ
・神様は聖人君子ではない。意地悪な神様いる。
・人と同じで、神様にもいろんな神がいる 神の世界も多様性
・翻って、仏教、キリスト教など他の宗教も同じ。
・宗教は聖職・・・・ というわけではない
・「神話」の世界は至るところに神が存在する。
それは、自然崇拝からくるものかと思っていましたが、神話のストリーの中で、ボコボコ神が生まれていることも起因?
「八十神」という名前だけで神の存在を意味している
・正直者は得をする。
・兄たちにいじめられていても、屈することなく自分を見失わずに生きる
・そうすれば、報われることもある
・心のやさしさ、人のよさは初対面の人にも伝わる
・意地悪さも同様。初対面でその人の本質は見抜かれる
因幡の白兎の話から、読み取れることをあれこれ考えたのですが、どうも、ウサギが曲者のような気がします。ウサギの役割に何か隠されたものがありそうな・・・・
〇ウサギの役割は?
「因幡の白兎」のウサギの役割、話の中で語られている表向きの役割とは違う、特別のミッションがあるように感じられました。
サメをだまして島から渡ろうとしました。機転のきいた知恵者であることを伺わせます。発想力があってアイデアを生み出す力があり、これから開花する秘めた能力がありそうです。
世渡り上手というのは、往々にして小賢しさがあり要領がよいもの。しかし、顰蹙をかう手前ギリギリを上手にすり抜ける技術も持ち合わせているようにも思うのです。清濁のバランスを兼ね備えているような・・・・
しかし、このウサギは策に溺れ、最後に墓穴を掘ってしまいます。詰めの甘さ、未熟さを露呈しています。一見、知恵者に見えて、どこか抜けているところに、親しみ、愛嬌を感じさせるキャラ設定に、何かを潜ませているように感じられたました。あえて二面性を与えているのではないか。そこに曲者感が漂っているように思いました。
賢いのか、抜けているのか・・・・(能ある鷹を演じさせているのでは?)そんなウサギは、さらに、兄たちに意地悪をされ、騙されてしまいます。踏んだりけったり状態。泣きっ面にハチ。悪さをすれば、それは自分に戻ってくる。天につばすればわが身に返る。という教訓を、身を挺して伝えているととれます。でも、そこにも含みがあるような気がしました。
〇ウサギは何を意味している?
それは、ウサギの役割が、知恵者であることを各所でほのめかさしています。その後、大国主命と、ヤガミヒメとの結婚という大予言をします。この予言は、神の代理としてのお告げなのか、ウサギ自身に備わっている能力なのか、わかりませんが、この神話の最重要部分を、ウサギに担わせています。
そんな役割を託されたウサギが、兄たちの意地悪の嘘に気づかないものでしょうか? 海水に入って乾かすとよいといういう話を、疑問にも思わないというのが、私の腑に落ちない点でした。
神話の世界の神や動物がどのような知恵や常識を持っている設定になっているのかは知りません。しかし、海水に傷口をつければ沁みることぐらい、経験的にわかるはずです。まして動物なら、生き抜くためのすべは、本能的に察知できる力を持っているはずです。全身、毛を抜かれた状態で、海水につかったら、どうなるかぐらい、わからないわけがないと思ったのです。
一方、この兄たちが海水で洗えと言ったのは、消毒を促したという解釈もあるらしいです・・・・ あるいは、悪さをしたウサギを懲らしめたと解釈することもできるかもしれません。
ウサギが、神の使い、もしくは預言者(神)だとしたら・・・ 意地悪兄さんのことは、わかっていたし、兄たちのあとに、大国主命が来ることも知っていたのでは?と思いました。兄の意地悪もわかった上で受け入れ、そのあとに来る、大国主命がどのような行動を起こすのか、見極めようとしたのでは? それによって、ヤガミヒメにふさわしいかどうかを、判断し裏から根回しをして推薦していたのでは?というストーリーを考えていました。
白兎には、表向きのキャラとは違う、何か深い、重要なミッショが与えられているように感じました。大国主命の本質的な部分を見極める。引き出す役割。もしかしたらサメに自分の悪知恵をばらしたのも、大国主命を試すための布石だったのでは? あるいは、八十神たちの、意地悪さを露呈させる役割も担っていたとか?
なんだか、現代版のドッキリのしかけを古事記の中に見たような気がしました。すべては仕込み、想定内のできごと。ウサギと、大国主の命の出会いも、最初から縁で結ばれていた! そんなストリーを想像しました。
兎は神の伝達者、あるいは神の化身。神が成長していく過程の初期の段階のようなイメージでとらえていました。すると、ウサギが神だったという説があることが紹介されていました。
おわりに
鳥取在住の神話研究者、石破洋氏は『イナバノシロ
ウサギの総合研究』(2000 年)の中で、
- イナバノウサギは神であった。
- その神とはおそらく因幡の国の神であろう。
研究者の下記のような記事を目にしました。
オオクニヌシに救われた哀れな兎 イナバノシロウサギ(2020.01.16)
イナバノシロウサギは悪知恵で痛い目にあった間抜けな兎とされていますが、重症から蘇るというプロセスによって成長し、兎神となったと解説されています。
ウサギは神の化身で、これから変化をする過渡期の初期段階という捉え方が共通していました。ただ・・・・
古代の日本人がともに暮らしていた動物たちの姿を知ると、神話についてもより深く理解することができるようになります。
古代の日本の自然観や、生き物とのかかわりを考えると、そのまなざしは、生きとし生けるものは皆平等という考え方があったと思います。またすべての生き物に対する畏敬の念も持っていたのでは?と思うので、単なる間抜けな兎なのではなく、それを演じさせるという意図も込めていたのではと思いました。
〇ウサギは、地域を納める一族のことだった!?
また、兎は動物の兎ではなく・・・・
白兎神社のある鳥取県、白兎海岸。「気多之前」で兎を大国主命が助けたと伝えられています。「気多之前」は白兎海岸の西に突き出ている岬の名として残っています。
先代宮司による「因幡の白兎」の「神話の起源」について考察が紹介されています。
そこには、白兎は、動物の兎なのではなく、この地方を治め信望の高かった一族のことを言ったものだと伝えられているそうです。兎のように穏やかだったため、白兎と言われていたそう。
一族は、航海を業とし「わに」と呼ばれる賊と戦っていました。その戦いで負傷し大国主命に助けられたという話だと・・・・
参考:知っているようで知らない「因幡の白兎」の謎(その1.白兎神社) | にゃにゃ匹家族
神話が、それぞれの土地でまた新しい信仰となり、今の時代にも結びついていたり・・・・ どこまでが本当で、どこまでが創作なのか‥‥ と思ったりしましたが、それも含めて日本的なものなのかもしれません。
因幡の白兎のウサギには、何かがありそうと感じた直観的なこと。そのストーリーは全くちがいましたが、別の役割を担っていたという話が、他にもあることがわかりました。
〇教訓についてのいろいろ
他の人たちは、この話をどんなふうに捉えているのでしょうか?
◎神話「因幡の白兎」のあらすじと教訓、神様について解説!おすすめ絵本も紹介 | 絵本/児童書も ホンシェルジュ
◎因幡の白兎のあらすじと教訓!誰かに認められたい。 | 童話のあらすじと教訓解説
◎面白いほどわかる因幡の白兎!あらすじ・教訓を超簡単に解説【日本神話(古事記)を読もう】 | まなれきドットコム
◎因幡の白兎のあらすじをご紹介!場所や意味・教訓について解説! | セレスティア358
◎『因幡の白兎』の話|原文/訳とあらすじ | ORIGAMI - 日本の伝統・伝承・和の心
◎「因幡の白兎」のあらすじを紹介~白うさぎを助けたのは○○! | 和のこころ.comー和の精神・日本文化を伝えるサイト
◎因幡の白兎って、何処から出て来たの?というお話: | 「ヲシテ」ひとり学会 ☆ Yama.Mikiさん のヲシテ学習日記
〇神話の教訓には、コンセンサスはあるの?
一つの神話から導き出される教訓というのは、人によって様々です。ところで「教訓」というのは、与えられるものなのでしょうか?自分で獲得するもなのでしょうか?
教訓は、それらをまとめた「原典」があるのかという疑問が出てきました。この話は、こういうことを教訓として伝えています。といういう共通認識ができあがっていて、それらは、どこかにまとめられているのでしょうか?
■神話と教育
〇明治期の古事記
明治期になると皇国民教育に神話が利用され、古事記が国定教科書に取り上げられていたと聞きます。(しかし、取り上げられた児童向け古事記は外国人によって作られたものだったそう)
この時代の神話は、日本人としての行動規範や道徳心も、伝える役割もあったように思われます。かくあらねばならないという、過去から引き継がれてきた精神を、教育という形でより強固なものにしていったのではと・・・
唱歌も作られていたようです。
〇一度は消え、今の時代に再復活
昭和の敗戦を迎え、教科書から「因幡の白兎」をはじめとする古事記の話が消えました。
ところが、2013年、再び取り上げられることになったと言います。
「古事記1300年の誘い 因幡・伯耆ゆかりの神話(22)伝統的な言語文化「因幡の白兎」と教科書 神話教育のモデルを」 (2013年02月22日(金) 日本海新聞)に以下の内容があり
<引用>※東京学芸大学教授による署名記事
「小学校の学習指導要領が改訂されたのに伴って、昨年度から教科書が一斉に変わった。」
「今回採択されたのは、「八岐(やまた)の大蛇(おろち)」「因幡(いなば)の白兎(しろうさぎ)」である。」
教科書に取り上げるということは、指導要綱があって、因幡の白兎から、何を教訓とするのか、なんらかの指針が示されているのだろうと思って調べてみました。
上記によると、読み聞かせにポイントを置いていて、物語から教訓めいたものへの導きはないようでした。
神話から得る教訓は、各自、それぞれに受け止めればいいのだと思います。しかし、教科書に取り上げることによって、日本の成り立ちを知るということの他に、何等かの教訓めいたものを伝えることになってしまうのは、どうなんだろう・・・・
鳥取の白兎海岸の近くの学校では「いなばのしろうさぎ」の話を実感するため、現地に赴いて指導する学習指導案が紹介されていました。
日本の神話が、政治的に利用されたという話が過去にあったり、それが他国によって却下されたり・・・・ そしてまた注目されスポットを浴びようとしています。
上記に 過去の指導要綱、平成14年の指導要綱の内容も紹介されています。
〇神話は、何をもたらすのか・・・・
幕末から明治にかけて、いろいろな人によってこの話は、書き換えられ、いくつかのバージョンがあるようです。
もとの神話は、善悪で分けて考えてはいないそうです。西洋化の波で書き換えられて、今の形になっているのだとか。「善悪の話ではない」そこに共感しました。
〇善悪ではない教訓
八十神は悪なのか? いずれの神においても、ある部分では「悪」であったとしても、ある部分では「善」ということはあり、清濁の両面を持っているはず。
海水で体を洗うように言ったのは消毒のためという説もあると聞きます。(⇒*1)
悪いことをすれば、巡り巡ってくることを、体現させて八十神はわからせようとしたともとれるかもしれません。
物事には光と影がある。曖昧で、物事をはっきりさせず、グレーゾーンが多いのが日本のメンタリティーで、よくもあり、悪くもあり・・・・ そういう部分が、神話の中で表わされているのではないかと感じていました。
最初、因幡の白兎がどんな話か分かった時、結局、何が言いたいのか、よくわかりませんでした。つかみどころがなくて、もどかしさを感じていました。いかようにも解釈ができる。表向きの話からステレオタイプに、善悪は語れないと感じたからだったのだと思いました。
〇因幡の白兎が、現代の教育にとりあげられることの意味
因幡の白兎が、再度、学校教育に取り上げられたことを知りました。それによって神話の自由な受け止め方が、ある方向に制限されたり、阻害されはしないかと心配になりました。
教育として取り上げることによって、画一的な解釈に集約されてしまいそうな気がしました。自由な受け止め方を認めあえることが大事だと思います。
自分で考え導き出せることというのは、自分の中にある価値基準の中でしか考えられません。あるいは見聞きした話や経験談からしか判断ができません。そして自分の思うことは正しいと思ってしまいがちです。
しかし、そうではないかもしれないと考えたり想像したりできることが大事なのではないでしょうか?自分と違っても、そういう捉え方があることを、受け入れられることが大切なのだと思いました。
まなれきドットコムのもぐたろうさんが、歴史を学ぶことの意味を語っています。
歴史を学ぶことは、思考や発想を豊かにすること。いろいろなことを考えて発想を拡げると語っています。神話も実は、こんなこと、いいたかったんじゃないか?とあれこれ想像してみるのは面白いと思いました。
それぞれの地域、地域で、伝承されていることを調べたり、検証されたりしている方体がいらっしゃいます。
本居宣長記念館(【追記】2020.01.20)
上記に 過去の指導要綱、平成14年の指導要綱の内容が紹介されていました。
ここでは、神話などの学習を通して、今と古代の人たちのものの見方や捉え方の違いを知ったり気づくこと。それによって、物事を多角的に見れるようになることを願うと語られています。
■サメを並べて島を渡る知恵は誰が考えた?(2020.01.16)
因幡の白兎の話で、一番、気になったところは、「サメを並べて島を渡る」とう知恵は誰が考えたものかというところでした。
神話上は、ウサギが考えたのですが、この話を作った人のアイデアということになります。では、この神話、古事記は誰が作ったのか・・・・というと
天武天皇の時代に、日本の各所にあった国の成り立ちに関する伝承を稗田阿礼が口伝であつめて覚えたとのこと。そののちまとめたという話を聞きます。
ということは、日本のどこかにこのような伝承があって、それは、その地域の人たちによって、創作されたということになります。サメを並べて渡るという着眼点は、どんなところから発生したのかなと・・・・と考えていました。そのような発想が、その時代の生活から生まれるものなのかどうか‥‥
すると、因幡の白兎の類話として、海を渡るすべとして、動物を利用して橋渡しするというお話は、各地にあることが判りました。
自分には絶対に思いつかない方法だと思ったので、特筆的に値するような知恵に感じられました。しかし、世界中に同様の話があるということは、ちょっと考えれば、このようなことは考えられるということなのか、あるいは、伝播したとも考えられるのでしょうか?
サメを並べて渡るという突拍子もない知恵を考えるというところに、神の片りんを見ていたのですが、世界に類話があるとわかり、ちょっと捉え方が変わりました。
古代、太古の昔、海を渡るすべがない時に、どうしたらこの海を渡れるか・・・・ と考えた時、海にいる生物を並べれば渡ることができると考えることは、当時としては必然だったのかも・・・・とも思えてきました。
追記:2020.01.20
(現代社会に生きていると、木で舟を作って渡るなど、何らかの道具を作ったり、使ったりすることを基点にして考え、海を渡ろうとします。しかしそのようなものがない場合、身近にいる動物の力を借りて考えるというのは、自然のなりゆきなのかも。)
上記に、神話などの学習を通して、今と古代の人たちのものの見方や捉え方の違いを知ったり気づくことの大切さに言及されていました。当初、動物を並べて渡るという着眼に斬新さを感じたのですが、古代人とは、着眼の基点が違うことに気づかされました。
■意地悪な八十神(追記:2020.01.20)
八十神の非道な教え(?)について、当初、神とは神聖なものと思っていましたが、意地悪な神もいる・・・・ と理解しつつ、同じ兄弟なのに大国主命との違いについても、同じ兄弟でも性格はいろいろという人間の反映かと思っていました。
八十神と大国主が兄弟ということは、その祖先は須佐之男命ということで、須佐之男命の性格が、子孫の中にそれぞれ反映されたと考えられるかも。
また、八十神と八上比売の関係について
【イナバとナバホの白兎】『古事記』の「稲葉の白兎」挿話における八十神の身分をめぐって(イグナシオ・キロス) | 劇場文化
■大国主命ついて
大国主命について次のように解説されています。
出雲大社の主祭神である大国主大神は、多くの兄弟の末っ子として出雲に生まれました。大きな袋と打出の小槌を持って米俵の上に立つ「だいこく様」の姿でもお馴染みです。
神話では「因幡の素兎」が有名(略)大国主大神の優しい性格がうかがえる一幕です。
大国主大神は出雲王朝を繁栄させるという偉業を成し、多くの女神と結婚してたくさんの子供をもうけました。大国主大神が縁結びの神様と言われる由縁でもあります。
引用:出雲観光ガイド
■大国主命の像は出雲大社のどこに?
出雲大社は大国主命を祀る神社です。境内には、大国主命の像が2体あります。4番目の銅の鳥居の手前に位置しています。主祭神
参道に沿って歩いていると、参道からはちょっとはずれた位置となるので、うっかりしていると見逃してしまいます。初めて訪れた時は、全く気付かず通り過ぎてしまいました。
2度目の再訪の時、ボランティアツアーで紹介もされたので確認できました。
〇御慈愛の御神像
銅の鳥居の左手手前、社務所の南東に「御慈愛の御神像」があります。参道の左手側、手水舎の反対側あたりです。1986年寄付され青銅製です。
この像は、大国主命の兄神(八十神)たちに、意地悪をされたウサギに、慈愛の手を差し伸べる因幡の白兎のワンシーンを表しています。
〇ムスビの御神像
銅鳥居の手前、右手側に置かれているのが「ムスビの御神像」。1986年(昭和61年)に寄進されました。
ムスビの像は、古事記の中の話で、海の神から「幸魂奇魂」という「魂」を受け取るシーンを表しています。縁を結ぶための神性を得た出来事を表しています。
〇大国主命は大黒様のこと?
大国主命と大黒様。大きな袋を持ち、姿も似ています。「大国」も「だいこく」と読むことができます。
大国主大神様は、広く“だいこくさま”として慕われ、日本全国多くの地域でおまつりされています。大神さまがそれぞれの地域でお示しになられた様々な御神徳は数多くの御神名によって称えられております。
ちなみに〝七福神〟の中の「大黒天」とは、正確には別の神様。
一方、大黒様と大国主は、違うという話があったり、「大国」はダイコクとも読めることから同じ音である大黒天(大黒様)と習合していったという話もあったり・・・・
■大国主命にはいくつもの名前がある
神話の神の名前が漢字の羅列でわかりにくいです。しかも、同じ神なのにいろんな名前があるみたい。それが神話をさらにとっつきにくくする原因にもなってる?
大国主にはたくさんの別名があり、下記のような名前があります。これらは、ステージが上がるごとに名前が変わっていったようです。歌舞伎の役者みたいな感じでしょうか?
「大国主大神(おおくにぬしのおおかみ)」:偉大な国の主人の意。最も使われる
「大己貴神(おおなむちのかみ)」
「大物主神(おおものぬしのかみ)」:大国主の和魂。
「大穴牟遅神(おおなむちのかみ)」:因幡にて白兎を助けたときの名前
「八千矛神(やちほこのかみ)」:武神の性格を表す神名
「大国魂神(おおくにたまのかみ)」
「顕国魂神(うつしくにたまのかみ)」:スサノオから贈られた名前。顕国とはこの世
「杵築大神(きづき の おおかみ)」
神話の話によって名前が違うようですが、便宜的に一つの名前で統一し、呼び方も簡略化して「大国主」にするなどすると、理解しやすいと思いました。まずはざっくりとらえないと理解がむずかしそう。
ちなみに、因幡の白兎では、 オオナムチという名前でした。
■神話や神々の理解の手助け
〇古代歴史博物館に神話に関する情報が
始めて古代歴史博物館に訪れた時、ボランティアの方に、天照大神と大国主命の関係を伺いました。すると、天照大神に、スサノオノミコトが登場し、スサノオは荒神で暴れん坊。天界から下界へ落とされたといった話を伺いました。
お話を聞きながら、やはり系譜図がないと、私には理解ができないと感じていました。それでも、わからないながら、ここで伺ったお話が、のちのち神話を理解する糧になりました。
2度目に訪れた時は、前回、全く目に入らなかった神話シアターで、映像を見ました。
シアターでは、「オオクニヌシ神話」「スタノオ神話」「風土記神話」などが上映されています。映像は文字を追わずにすむので、概略を把握するのに効果的です。
こちらは、他にも、神話を紹介した書物やあったり、神話伝承地、伝承物などの解説もされています。
上映されているシアターは、時間に左右されますが、モニターで見ることもできるので、時間を気にせずにすみます。
さらに、神話について解説を、漫画で紹介されたり、リーフレットにして配布もしています。⇒島根県立古代出雲歴史博物館|サイト
〇系譜図で大国主命と八十神を確認
大国主命と、出雲大社の関係がわかり、神話の話も少しみえてきたかに思えたので、系譜図を辿ってみました。
天照大御神、須佐之男命は、わかるのですが、肝心の大国主命がどこにいるのか、わかりません。いくら探してもみつからないのです。大国主命の兄たちも、どこにいるのでしょうか?
せっかく神話がわかりかけてきたところだったのですが、系譜図の中に見つけることができないと、出鼻をくじかれてしまった感じで、またそのまま放置されました。
■観光案内所にも神話情報あり
2回目の出雲行の時は、家系図を持参していました。神話のお話を聞く時には、この家系図のどこの部分の神かを確認しながら理解をしようと思いました。
観光案内所で、稲佐の浜への行き方やお蕎麦屋さん情報を伺いながら、そのついでに、上記の系譜図の中で、大国主命がどこにいるか、教えていただきました。
観光案内所には、書籍や、漫画などわかりやすい本も置かれています。
そして、系譜図のなかでどこにあたるのか、伺うと・・・・
私がこのあたりと思って探していたところから、随分下の方だったのです。天照大御神と須佐之男命がいて、その上にイザナギノミコトとイザナミノミコトです。
大国主命は、6代下になるので、私が探していたところから、かなり下の方だったのでした。天照大御神と、大国主命は、格が違います。と古代歴史博物館で聞いた話が、やっと理解できました。代も下がると言われていたことが、こういうことだったのかと・・・・
そして、たくさんのお兄さんたちは、どこにいるのか伺うと、「八十神」と書かれた部分にあたることがわかりました。「これは80の神ではなく「たくさん」という意味なんです」という解説していただきました。日本の神話や神道の成り立ちが見えた気がしました。
因幡の白兎のお告げで結婚することになった八上比売ですが、大国主命との間に子供が生まれます。その子を木の股にはさんで、帰ってしまったそう。また大国主命は、須佐之男命の娘、須勢理毘売命と結婚し正妻となります。須佐之男命の娘と須佐之男命の孫の大国主命が結婚という、直系で結婚しますが、神話ではOK。そんな話を伺いながら、全体像がすこしずつ明らかになっていきました。
〇神話の概略が見えてきた
こちらの動画で、日本の神話の概略が少しずつわかってきました。そして、神は、ことあるごとに、ボコボコと生まれ大量生産されいるという印象を持っていました。
それが、イザナギの禊でたくさんの神が生まれ、そして、オオクニヌシノミコトの兄も、「八十神」という言葉一つで、たくさんの神を表してしまうのです。
日本には至るところに神がいると言われるのは、自然崇拝によって神が至るところに存在するのだと理解してましたが、神話そのものからも、神が次々に生まれているということがわかりました。
神はどこにでもいる。お天道様は見ているということの背景に、神話のストーリーの影響もあったと理解しました。
この動画で、ざっくり日本の神話の概要を理解し、登場する神のお話を家系図に落とし込みながら、理解が進んできたことを実感しました。
古事記全体のざっくりとした話が見え始めてきました。これまで見聞きしてきた神話の断片も飛躍的につながり始めました。
〇定時ガイドで情報収取
定時ガイド【むすぶらり 神々の国を歩こう!】が開催されています。
◎ボランティアガイドに急遽参加 13:00~14:30
〜神々の都あるき〜 出雲大社ご参拝定時ガイド | むすぶらり
2回目の来訪の時,出雲大社を回る、ボランティアガイドがあることが、現地で周辺情報として届き参加することに。要所、要所で見どころがわかり、参拝の基本などもよくわかりました。
■因幡の白兎の話を知って
因幡の白兎の話がよくわからず、それを知るまでになぜか、時間がかかってしまいました。わからなければ調べればいいこと。と思ってきましたが、そこで腰をあげるには、興味の度合いというのが大きく影響しているようです。
一度、概要がわかったら、その話がどのように伝えられているのかを探ってみました。すると、微妙な部分に違いがありました。ウサギは皮をはがれたのかと思っていたら、毛をむしられたと表現されていたり。ウサギは反省し改心してそれ以後、嘘はつかなくなったという話があったり・・・・
その背景には、明治になって教科書に取り上げる際に、海外向けの訳本があり、それが採用されていたのだそうです。西洋の白黒はっきりさせる捉え方で、八十神=悪 兎=悪 大国主命=善 というわかりやすい形に変えられたものが、教育の場で採用されたのだそう。
いろいろなことが見えてくると、今度は、これらの話は日本の神話の全体の話の中で、どのあたりの位置づけなのかなということが気になってきます。
そこで、神話の全体を理解するのにとても役立った動画がありました。その動画に対して、いろいろなニュースが流れてきます。
大学教授「これまで見たどの答案よりもすごいかも」オリラジ中田敦彦が教える『YouTube大学』の世界史の解説がかなり間違っている? - Togetter
途中、この動画がどのように作られているかを調べたら、1冊の本を軸に、それを1~2日で動画に仕上げていることがわかりました。(最初の頃に見た時は、もっと時間をかけていて、いろいろな本も読んでるし、最近の研究など、文献までも読んだ上で話していると思ってました)
しかし、ネタ本が1冊。ということは、内容は、著者の考え方をエンターテイメント的に紹介した内容なのだと理解しました。そこに中田さんの個人の見解は、どの程度、入っているのか?著者の意見と、中田さんの考えを混同しないように見ないといけない・・・・
また、表現も誇張や飛躍。置き換えの齟齬を感じることもありました。しかしあくまでこの動画はエンターテイメントとしての表現手段。おもしろおかしく歴史を伝え、学ぶことの楽しさを感じてもらうための手段ということを明確にうたっています。学びの楽しさを知れば、その先は、いかようにでも、自分で学び方を学んでいけるはず。そも導入動画。
短期集中の制作スタイルで送り出されている情報と思って受け止めればいいと理解していました。これを見て、学ぶことが面白いと思ったあと、どうするかは、個々の問題。ミスリードをそのまま受け入れてしまうのか、もっと知りたいと思って学ぶのか。間違った情報を身に着け何か不利があったとしても、それは、個の情報の向き合い方だと思っていました。
この溝を、中田さんはいとも簡単に乗り越えようとしているのです。 歴史が面白くなくても、中田さんの話は面白い。そこから入ったとしても、いつのまにか歴史を好きになれる。そんな力が、あの語りにある、というのは持ち上げすぎでしょうか。
いつの間にか、興味を持たされていた。ここがポイントなのだと思います。興味が持てなかった神話や、古事記、日本書記に興味が持てたことが、私にとってはとっても需要なことです。歴史を好きにならないまでも、面白いと思わせてもらえた話術で一歩先に進むことができました。
そしてあのトークのテンポの良さ。 勝手なことを言いますが、日本の高校で行われている歴史授業の9割よりは面白いだろうし、正直高校授業よりもあれで学んだ方が成績も入試もいい結果が出る気すらします(ただし、教科書と資料集を正しく併用した場合)。
中田氏の話術も、「好き・嫌い」があると思います。当初、面白いと思いました。こういう表現がエピソード記憶として頭に定着するのだと理解しました。しかし同じ動画を何度も見直していたら、飽きてきます。というか、次第にうっとおしくも感じてくるという反動がありました(笑) しかし、これだけの情報量を網羅的に、この時間でまとめ上げたものは、なかなかないと思います。
出雲大社のことよくわからない・・・・ 神話の話、わからない・・・ ないない状態が、あの動画で飛躍的に理解につながり助けられました。
歴史は、少し理解してくると、全体の中での位置づけを知りたくなります。その全体をわかりやすく伝えてくれるものを見つけることが、どれだけ大変かを経験してきました。 関連:■西洋美術史の年表探し
YouTubeを使った新しいメディアの可能性を感じました。知ることの楽しさ面白さ、そのきっかけを与えてもらえる新しい入口と出会えたと思えました。
■出雲大社関連(ブログ内)
■補足
*1:■海水に消毒効果はあるのか?(2020.01.16)
〇塩の殺菌・防腐作用について、しくみを知りたい | レファレンス協同データベース
⇒海水の浸透圧で細菌に脱水状態をおこし、死滅させるということ?
〇塩の情報室・・・
塩は防腐効果があり細菌類を死滅させたり、増殖を押さえる働きがあります。(略細菌類は塩の浸透圧で脱水されて死滅したり、繁殖が押さえられたりします。通常の細菌は10%食塩水でほぼ発育は阻害されます。
〇転んでケガした場合のキズの正しい対処は? 医師4000名にアンケート調査 | イシコメ
⇒最近は、水道水もしくは生理食塩水で消毒する傾向
海水塩分濃度:3.4% 生理食塩水:0.9%
⇒現代医学における洗浄水について。
水道水、蒸留水、沸騰させて冷ました水または生理食塩水があるが、等張液で、正常な治癒過程を妨げない生理食塩水が好まれる傾向がある。が、現時点では、創洗浄それ自体が治癒を促進したり、感染を抑制したりすることを示す強固なエビデンスは得られていない。