コロコロのアート 見て歩記&調べ歩記

美術鑑賞を通して感じたこと、考えたこと、調べたことを、過去と繋げて追記したりして変化を楽しむブログ 一枚の絵を深堀したり・・・ 

■「風景の科学展 芸術と科学の融合」作品の背景の自然科学について考えたら 

「 風券の科学展 芸術と科学の融合」写真を見て、感じたこと考えたことの覚書。

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国立科学博物館「風景の科学展 芸術と科学の融合」の備忘録。下記は前の記事。

 

1回のトークショーを元にレポート

 

 

■目に止まった写真

最初に写真だけをざっと見た時に、気になって足が止まった写真は、森や山、植物などでした。2度目に解説を読みながら見ていて、解説がいいと思った写真は、最初はスルーしていた写真でした。

解説に目に止まった写真は・・・・

 

〇富士山と柿

*柿の科学って? 富士山の関係は?

最初に見た時、この写真から、どんな自然科学が読み取れるのだろう・・・・ わかりませんでした。

富士山と柿。富士山であれば、いろいろな角度から、自然科学の視点を加えることができると思います。しかし広すぎてどの部分にスポットを当てたらいいのかわかりません。

一方、柿は? 柿の科学ってなんだろう。しかも富士山と柿のペアで考えるとしたら・・・・ 里山から見えた富士山? 忍野八海あたりがイメージに浮かびましたが、柿は奈良の柿でした。奈良が柿の名産地?

 

*渋柿、甘柿、隔年の謎

柿で、最初に思い浮かべたことは「渋柿と甘柿は、隔年で交互になる」という話。

昔、聞いたのですが、それが本当なのか、どうか・・・ 本当だとしても、どんな理由からなのかわかりません。(⇒参考*1

 

*柿は全て収穫しないという言い伝えの意味に科学がある?

あと、柿を収穫するときは、すべてをとらずに、1つ残しておくという言い伝え。それは、鳥のためでしたっけ?

自然の恵みをみんなにお裾分けするという日本の古きよき時代の生活習慣。そんなことを考がながら見ていましたが、お裾分けしなくても、鳥は食べちゃうのだろうな・・・・ とか。

ふと、最後に残った柿を鳥のためにというのは、その柿を食べた鳥が、種を運んで、また柿が芽生える。そんな循環の意味もあったのかも・・・・

 

写真に近づいてみると、木に登って収穫している人が写っていました。上方に柿が一つ見えます。枝が見えず、浮いているようでした。

 

*柿の渋みはタンニン

解説を見ると、柿渋の成分、タンニンについて書かれていました。

カテキン類が結合した縮合型タンニンで、これが舌のタンパク質と結合ししゅうれん性(渋み)が引き起こされるそう。

柿の渋はタンニンだったのかぁ‥‥ 紅茶にも含まれるのもタンニン? 紅茶をあまり好まない原因がタンニンだとわかったのですが、タンパクと結びつくから渋みを感じるということ? 紅茶もそうなのかな?(⇒参考*2

 

*柿の渋抜きは焼酎の謎

ご近所さんからいただいた柿

そういえば、渋柿の渋は焼酎で抜くっていう話を聞いてびっくりしたことがあります。どんな原理なんだろう。渋の成分がアルコールに溶け出すってこと?でも、柿を焼酎に漬けこんだら、ふやけちゃうだろうし・・・ どうやって抜くんだろう。と思ったのが、30年ほど前。それ以来、その疑問はそのまま。いい機会だから、調べてみようかな。

 

*柿の渋は「タンニン」がわかると

柿渋の成分がタンニンだってわかったら、これまでの謎を解くヒントがいろいろありそう。甘柿と渋柿が隔年でなるのは、タンニンが影響しているのかもしれないし・・・

 

柿渋の解説にあった「渋」の話から、これまで渋について見聞きしたことが思い出されこれまで放置していた疑問をこの機会に解決してみようと思いながらメモしていました。

タンニンはタンパクと結合して渋みを感じさせていたという一文が、私のツボでした。このあたりに、これまでの謎を解決するヒントがありそう。

そんなことを考えながら、この写真の前に一番長くいました。最初に見た時は、富士山と柿?柿の科学なんてわからないと素通りしていたのに・・・・・ 

 

  

〇したたかな「火事場の植物」

バンクスによって発見された、オーストラリアのバンクシア。山火事がおきないと、種子を放出しない。この植物、知ってます。ボタニカルアートで見たことあるし、確か、大英自然史博物館展の時も展示されていたはず。撮影した写真を探してみたらありました。

 

*大英自然史博物館の展示より
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(大英自然史博物館展 撮影:2017.06.10)

バンクシアの実がプラスティネーション(?)で保存されています。 

 

バンクスに関する解説もありました。

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フックとエンデバー号に乗って航海をしたバンクス

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 参考:

コロンブス 1492年   サンタマリア号他2隻
マゼラン  1519年~  ビクトリア号 パタゴン伝説・・・初期航海者のわるふざけ?
ケンベル  1690年  来日
バンクス  1768年~  エンデバー号 フック バンクス
ツンベルグ 1775年    来日
トムソン  1872年~1876年 チャレンジャー号
シーボルト 1823年 来日
ダーウィン 1831年    ビーグル号

 

*写真にバンクシアは写っている?

展示会場にもバンクシアの実が展示されていました。

ところが撮影された写真を見ても、どこにバンクシアがあるのかわかりません。バンクシアの特徴的な実は見てすぐわかりますが、実がなっていない写真らしく、日を変えて3回眺めましたが、わかりませんでした。

ここにあるのは、実がなっていないバンクシア。だとしたら、バンクシアの葉っぱってどんな形?バンクシアの花?実の形は知っているけども、どんな葉か認識していませんでした。

 

*バンクシアの葉っぱってどんな形?

どんな葉かというと・・・・

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写真に写っている葉っぱは、こんな葉ではありません。ツンツンしていた気がします。

 

上記のような葉でした。 バンクシアの葉っぱは、いろいろ種類があるようです。植物を知っていても、特徴的な部分にばかり目がいき、葉っぱを全然、気にしてなかったことが気づかされました。

 

バンクシアという植物は、果実をつけても、手放すことはない。山火事が起きた時だけ、熱によって内包していた実を放ち焼き尽くされた新天地へ。そこで芽吹き命をつなぐ。と解説。

 

*命をつなぐための生物の生き残り作戦

命をつなぐための、危機的状況におけるしたたかな生存プログラム。

このようなプログラムは、バンクシアだけではなく、いくつもの生物の中に組み込まれています。

 

関連

■生と死は表裏一体

 

 

〇人類の祖先が最後に見た風景

エル・カラファテ(アルゼンチン)は、1万4千年ほど前に、人類が最後に到達した地域。

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ラスコー展にて 

 

マゼランが、この地域の人をパタゴン(大きな足を持つ人)と名付けたことからパタゴニアという地名となりました。しかし19世紀以降、絶滅してしまいます。それは持ち込まれた疫病に耐性がなかったことや、半裸生活にヨーロッパ流の生活を押し付けたことが原因なのだそう。

 

 

パタゴニアつながりでボルタンスキ―作品

パタゴニア」という言葉から、ボルタンスキ―展で見た作品を思い出していました。

■《ミステリオス》 

 

ボルタンスキーの《ミステリオス》の作品はパタゴニアにあります。白骨化した鯨の骨、パタゴニアの海の静止画に近い写真のような作品。これを見た時、これまで科博で見てきてた展示を思い浮かべてました。

海の映像からは、太古の海から生まれる生物をイメージしていました。

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生き物の始まり 水中のアミノ酸がDNA、RNAとなり、タンパク質を合成して細胞構造を作り生物が生まれました。地球上の生物を生んだ海。生命の起源です。

これらの素材がどこから来たかというと、宇宙のビックバンによってもたらされているという、360シアターの映像ともつながっていきました。

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風景の科学展に展示されていた、銀河系を映し出したような夜空の写真も、つながっていることを理解しました。 

海の写真を見ると、マリンスノーのことが頭に浮かびます。微化石。

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「白骨化した鯨」から化石がイメージされ、海中に存在する微化石もイメージさせます。地球の胎動と生命の誕生、進化という一連の流れ。「パタゴニア」という地名によって、ボルタンスキ―作品と「風景の科学展」の写真がつながっていきます。

ボルタンスキ―展の時に、肺呼吸の鯨は、なぜ海に留まったのかを知りたくて、科博の進化のコーナーを探索していました。

これって、芸術と科学を融合させていたことになるんじゃない? 

 

そのあと、《ミステリオス》とパタゴニアの関係性を知りたくて、パタゴニアについて調べていました。

■《ミステリオス》について沈思黙考 

 

パタゴニアに関する情報が不足ぎみで、よくわからず消化不良状態。

なぜ、この地にこの作品を作ったのか?パタゴニアの伝説が、イマイチよくわかりません。(「パタゴン」で検索すると、情報があるようでした。)

写真のような静止に近い画像の中に、思い浮んでくる自然科学の背景。科博の展示とも突き合わせていくうちに、いろいろな齟齬も感じ始めていました。 

どうも、腑に落ちないことがでてきていました。が、今回のパタゴニアの解説を見て、自分の中で整理ができました。 エル・カラファテの写真の解説で、パタゴニアという場所がどういう場所なのかわかってきました。

人類の拡散の最終地点。ここで何がおこったのか。神話や伝説ではなく、事実として理解できました。足の大きなパタゴンは、西洋人によってつくられたものでした。

人類が最後に到達した場所、パタゴニアで、人間は何をしたのか。ヨーロッパのマゼランがやってきて、人間によって民族が、滅ぼされてしまった場所だったのです。

パタゴンが、亡びてしまっているという情報を、ボルタンスキ―展の時には、目にすることができませんでした。パタゴニアの伝説は、まだ存在している原住民の間で語りつがれていることだと思ってました。

(ボルタンスキ―は、人類がたどり着いた最後の場所。そんなことも、作品に込めていたのでしょうか・・・・)

この展覧会で知った土地の背景の科学が、よくわからなかった別の作品の理解に役立ちました。

 

*探求しても結局わからない

高校に入学した最初の生物の先生の授業の話、今でもはっきり覚えています。この時、学びや探求の本質的なことを教えていただいたように思います。

「いろいろな研究がされているけども、結局は核心の部分はわからないもの。でも、その研究の過程で、他のわからなかったことが解明されたりするので、これまでわからなかったことがわかってくる。世の中のことは、本当のところはわからない」

このお話で、「無知の知」ということを、自然に受け入れていたと思います。わかっているとは思わなくなりました。

 

ボルタンスキ―の《ミステリオス》を探求しても、結局はわかりませんでしたが、エル・カラファテを知ったことで、見えてきたように思いました。

 

  

■作品を見ているのか? 

作品を見ながら、自然科学の部分を自分でも拾い上げていくうちに、なんだか、写真の鑑賞を全くしていないことに気づかされました。

 

〇水田から何を読み解くかと問いかけられて

今回は、いつもと違う鑑賞モードでした。写真に写し出されている事象に着目して、それについて考えます。そのため、写真を見ていないのです。それに気づいたのは、トークショーでの投げかけでした。

 

「水田を見た時に何を思うか・・・・・」

頭の中で、これまでに知り得た水田に関する情報を思い浮かべていました。稲作のことなども、自分の知っていることを頭の中で巡らせます。

水田って、吸水スポンジみたいなものなんだよなぁ‥‥ 乾いた高野豆腐が水を吸うようなもの。田植えの時期、セスナで上空から田んぼを見るのが年中行事だという俳優さんの話を聞いたことがあります。乾いた日本列島が水を吸って潤っていく様子を上空から見るのが好きだと語っていました。

あるいは、稲は自家受粉の植物。稲と皇室の関係。神事は豊作祈願。里山の自然、人が手を入れて維持するのと同様に、田んぼも人の手が入った自然。そんなことを考えていたのです。

 

〇言葉からの想像

そんなことを思い浮かべていたら、「田んぼは人の手によって維持されている自然であることを、田んぼの風景写真から想像できることが教養」だと。

そこで、思いました。知っているかいないかの違い。触れる機会があったかどうかの違い。そして、写真を見ていなくても、それを感じていました。それは、田んぼに関する情報を知っていたからです。

芸術作品を介さなくても、田んぼが人の手によって維持された自然であること。それを続け循環させていかなくてはいけないこと。それは、佐藤氏が手掛けた「デザインの解剖展」のきのこの山のパッケージからも知る機会がありました。

参考:6.たどり着く先には自然

 

 

つまりは、言葉と情報だけでも感じ取ることができてしまうという矛盾につきあたってしまったのでした。

 

芸術と科学の融合。一度は融合しかけたものが、また分離していくのを感じています。

 

「感性は知識」写真を見ていなくても、知っていれば「田んぼ」という言葉から想像することができてしまうのです。

 

〇見ているつもりの写真が・・・

今回は、写真から、どんな自然科学が読み解けるか・・・・という視点で、鑑賞しているつもりでした。ところが、実際には、写真の中から自分の知っている事象を探し出すことに一番、注力していたように思います。

引っ張り出せない時は、空や雲を見て、こんな雲が出るということは、こういう気象状態で・・・・ 地形に特徴があれば、大地が隆起した? ここは海底だった? と地球の運動に落とし込んで、無理無理、科学の事象につなげようとしていました。

 

 

作品としての写真をみていない・・・・ 科学の方向からしか見ることができなくなっている。そう感じてしまったのでした。

 

写真作品として見るためには、写真展「風景の記憶」に行かねばと思わされました。現在、エプソンスクエア エプサイトで行われています。

 

 

 

■参考・補足