コロコロのアート 見て歩記&調べ歩記

美術鑑賞を通して感じたこと、考えたこと、調べたことを、過去と繋げて追記したりして変化を楽しむブログ 一枚の絵を深堀したり・・・ 

■美術鑑賞の方法:感覚でみる? 知識で見る? 鑑賞の捉え方の変化

美術鑑賞の楽しみ方はいろいろ。見方もその時々で変化してきました。いろいろな鑑賞方法を試みてきましたが、鑑賞を通して気づいたこと、知ったこと、受け止めたことを、ここに放り込んできました。平成から令和の時代の節目に振り返ってみます。

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前出の記事で(⇒■左脳と右脳でたのしむ日本の美 会場での会話をヒントに 全体の感想)美術展をこんなふうに見た。こんな風に感じた。自分のものの見方は・・・ ということ書きながら、そう感じたのはいつ頃?何がきっかけ?と過去の記録を見返してました。

■美術の鑑賞方法

 

このブログを立ち上げたのは、美術鑑賞を通して、変化したことを記録することが目的でした。あとになって「あんなこと思っていたんだ」と振り返るのを楽しみにして・・・ 

「令和」へ変わった今、「平成」の時代に、何を感じながら鑑賞をしてきたのかちょとっと振り返ってみようと思います。

「わからない」が「わかる」ようになった瞬間。興味がなかったことに、興味が持てるようになったきっかけ。新らたなジャンルに興味を抱く時はどんな時?違う世界とリンクして面白くなる瞬間。

とらえ方が変化した最初の源泉がどんなところにあったのか?小さな変化の後ろにあったことを抜き出していきます。

個人の記録なので、助長しておりますが、悪しからず。はたからは、他人事ですが、鑑賞のヒントになることが、もしかしたらあるかもしれません(笑) 平成の年号で追っていきます。

 

 

■平成07年(1995.10):自分の意思で訪れた初めての展覧会は「人体」から

自らこれが見たい!と初めて思って見たのが「人体展」  この時、レオナルドは画家だと思っていたのに、解剖学者だったことを知ります。それがきっかけで「解剖」と「絵画」との関係から「美術」の扉が開きました。

 

こちらは、これまでに見てきた展覧会を年別にまとめたもの。

平成の初期は、美術鑑賞はほとんどしていません。その中で展覧会に足を運ぶというのは、その時々の興味の対象を表しています。

 

■平成14年(2002.08):感性って何だ?

庭造りからモネに興味を持ち、美術鑑賞という世界が気になり出していました。しかし、自分は感性がない。感性って天性のものだからしかたがないのかも。でも、鍛えることはできないのでしょうか? 

もし、できるとしたら、どうしたらいいのでしょう。かなり長い間、この問題について模索していました。いろいろな方が書いた鍛え方も見てきましたが、どうもしっくりくるものと出会えませんでした。

 

感性は知識 と言った物理学者と出会いました。

 

〇物理学者が教えてくれた感性の磨き方

  「理系の頭」で考える技術ー

    ”核心”をズバリととらえる「ものの見方・考え方」

この中で語られていた感性の磨き方の解説。正に腑に落ちるというのは、このことで長年の問題が、霧が晴れるように解決。この本との出会いによって、美術鑑賞の幅が劇的に広がりました。

ここで紹介されたもの見方や考え方は、美術に限らずあらゆることに通じる思考法。いかに学ぶか、そして知識を広げていくかということを教えてくれました。関連づけによって深い思考がもたらされる具体例がもりだくさん。この本によってその後の物事のとらえ方が変わる転機に。 

また、自分の思考傾向も自覚。ここに書かれている思考法は、実際にしていたけども意識的でははなかったので、言語化されたことで、意識下に浮上。さらに具体例をたくさん示されていたことで、深め方のパターンが提示されていました。

 

 

以下、「理科系の頭」で考える技術』より引用要約

なんでも疑問に思う著者。物理学者の志村史夫氏。 学生時代、雪国ではない茨城のある地域の学校。校章のデザインになぜか、雪の結晶が多かったことに気づき、それはなぜなのだろう? と学生時代から疑問に思っていたそう。 それが、20年以上の月日を経て、半導体結晶の本を書いた時に氷解したそうです。


結晶の説明をするため、雪の結晶を引き合いに出した。 その際に、茨城の藩主が出した図説に出会い、それを見たとき、雪が校章のモチーフになったのは、これだ!と察したのだそう。 

しかし、寒冷地でないこの地で、図説にするほど、雪の観察ができたのか? すぐに解けてしまうのではないか。またあらたな疑問が沸き起こりました。 

そこで年表をあたってみたところ、またもや氷解したそう。 1700年頃、国内は異常気象が続き、天保の大飢饉天明の大飢饉につながっていたのです。 つまり、この地が当時、異常に寒かったからこそ、あの図説ができたのだということが年表からわかったと言います。 

著者はそれだけではありませんでした。

この異常気象は、日本のみならず世界でもおきているはず・・・ と思い調べてみると、やはり18~19世紀、世界が異常気象に見舞われていた。 これが原因による、農作物の不作がフランス革命へ(いろいろ意見はあると思うが・・・)そして、チャイコフスキー 序曲1812年 は、ナポレオンがモスクワを攻め、寒さと大雪のため、退散させられたことが題材になったと考えられます。トルストイ 戦争と平和も 異常気象と関連づければ、新たな興味につながるかも・・・・

 というように、

歴史年表は表層にすぎませんが、その奧に隠されたものを見ることで、意外な関連が見いだせると語ります。知識が増えても脳は活性化されない個々の知識に関連を求め、融合に努める 記憶するのでなく、「考えること」 その大切さを語っていました。

 

学生時代の疑問。冬、寒くない土地の校章が雪の結晶なのなのはなぜか。その疑問を、頭の片隅に残し20年という歳月、持ち続けていたこと。そして自分の研究の説明(半導体の結晶)をするために、調べていた雪の結晶の調査から、茨城県の藩主の図説と校章に共通点をみつける。そして、その当時、異常気象で寒波に見舞われ、それが全世界的におきていたことが判明。その気象状況が、「歴史」に「音楽」に「文学」に・・・と影響を与えていたのかもしれないという考察に結びついていくという壮大さ。

 

一つの知見を得たことによって、その先の学びをいかに関連づけて広げていけるか。思考することが、いかに連鎖を生み、相乗的、重層的な世界をもたらすか・・そんな壮大さを知ったのでした。

                      (2002/08/24 記)

 

〇関連付けから融合させる

関連づけること、融合させることというのは、現象の中に潜むキーワードを探すことであり、ネットのつながりはこれらがリンクで つながっていくこと。

頭の中だけで、キーワードをもとにネット―ワークでつながるのではなく、目の前に視覚として形となって現れ、 それが、個の思考に留まらず、第三者の目にも触れる状態となり、 さらに、関連が深まる。 


このネット空間に、身を置くことは、 この著者が提案する思考法のまっただ中にいるといことではないか・・・ そんなことを思っていました。 

過去に自分で何気なくつけてきた、趣味の記録。 表の縦に年をとり、横に12か月の月のスケール。ワンシート毎にテーマ決めて、いつ何をしたかの変遷を記入していました。これは、歴史年表と同じ表層的な出来事にすぎません。しかし その点、点で書き残した記録を、つき合わせて流れをみることによって、 今に至る過程が見えてくることに気づきました。(それぞれが、連動していて影響しあいつながりあっている)(2002/08/24)

 

その後、趣味の延長で、関連する美術館にでかけて、そこから得られる「知」がこれまでの「知」とは違っていて、自分にいろいろな影響をあえてくれたのでした。その世界を知ることによって、自分の思考というものが、どういうものなのかが次第に見えてきたのでした。

 

■平成17年(2005.08):ポーラ美術館の「印象派展」の中に「科学」を発見

「ポーラ美術館の印象派 - モネ、ルノワール、セザンヌと仲間たち」

この展覧会を見たことで、印象派の絵画の中に科学があることを知ります。それから、展覧会行脚が始まりました。とりあえずは印象派と名のつく展覧会は可能な限りでかけることに。印象派と、美術の中の科学を追っかけしていました。

 

 

■平成18年(2006~):「興味」をつなげた「関連」で鑑賞する

興味のあるジャンルの展覧会はデフォルトで見ることを自分に課しつつ、その時々の出会いや興味のおもむくまま、少しずつ鑑賞のジャンルや回数が微増。

【モネ・印象派】⇒*1
【植物・庭関連】⇒*2
【科学&人体&美術の中の科学】⇒*3 
 【仏像】⇒*4 
【建築・建築家】⇒*5

 

■平成18年(2006.09):「直島」で作品を「自由に見る」ことを悟る 

直島に行ったことが、美術の捉え方に大きな変化を与えてくれました。また、自分のモノの見方についても意識的になれた場所でした。

 

〇的が外れすぎた解釈が面白い

解説を見て、あまりに解釈のピントがずれた解釈をしていて、あきれて、笑ってしまうほど。でも、私には私の受け止め方がある。それでいいんだと思いました。こんな解釈をする人は、絶対にいない。美術の専門家だって、こんな解釈はできない。これは一期一会のその時だけ出会った私だけの稀少な解釈(笑)

 

〇専門家の言うように見なくてもいい 鑑賞は自由

美術作品って、作り手の意図を専門家たちがいろいろ解説しているけど、専門家の言ってることが、必ずしも正しいわけじゃないと思うし、とっぴょうしもない、解釈があったっていい・・・・

それまでは、アート作品って、よくわからない・・・・・美術の専門家が解説しているようなことを、自分の力で読み取れるようになることが、アートを理解することだと思っていたけど、自由でいいんだ・・・・と思わせてくれたのが、この直島の「きんざ」という作品。

〇専門家とは違う「自分だけの」見方を探そう!

今でこそ、アート作品というのは、自由に見てもいい。という風潮が出来上がっている。しかし10年前というのは、まだ、専門家が小難しく語って鑑賞者はそれをありがたく享受するという図式があったように思う。

もともと、「オリジナルな視点を持っていたい」という思考を持っていたこともあり、専門家と全く違う視点で、この作品に解釈を加えることができたことに、自画自賛

専門家には、こんな解釈、絶対にできない・・・素人ならではの感性、強みなんだって(笑)そして、美術鑑賞は自由であっていいのよと。

さらに、これからアート作品を見る時は、専門家が考えないような視点で、専門家が気づかない私独自の見方をみつける。美術鑑賞に関して、自分の見方で見る! ということに意識的になった転機ともいえる作品だったのです。

 

2006年直島。この時、すでにアートは自由であっていいと理解し、自分の見方を追いかけていこうと思っていたのでした。 

 

■平成18年(2006.09):鑑賞は自分の「経験や知識を反映」している

作品を見て何を感じるか、どう解釈するか。それは、自分がそれまでに見てきたもの、聞いてきた話、知っていること。それ以上の解釈はできない。直島を訪れたあとの10年で私が得たこと。

10年前に「きんざ」を見て、このような受け止め方をしたというのは、自分がそれまで何を見て、何を経験してきたかがそこに現れている(2019.9)

サントリー美術館の展示を見て、最近、感じるようになったと思っていましたが、すでに2006年に、その感覚を持っていたのでした。

安田侃 天秘 を見て、赤血球だと思った。

 

〇自分だけの受け止め方を模索しよう

この写真のように作品に抱かれていると、赤血球にのって人体の宇宙を旅をしている気分になりました。そして人体の宇宙から、大空へ、宇宙へと意識は移動。体の中と宇宙を行ったり来たり。

この感覚って、自分の学びやバックグランドがあるからこそのもの。そういう自分だけのオリジナルなもののとらえ方を、大事にしながら、美術作品を見ていこうと思ったのでした。

 

平成26年(2014.8):美術館の展示は、キュレーターの一つの見方を展示

『①「オリジナリティー」「自分の視点」について』コロコロさんの日記 [食べログ]

『ボストン美術館浮世絵名品展 北斎(上野の森美術館)』コロコロさんの日記 [食べログ]

本シリーズの高い芸術性は、モネなどヨーロッパの印象派の画家たちにも大きな影響を与えました。音楽の分野では、フランスの作曲家ドビュッシーが「神奈川沖浪裏」に魅了され、1905年に交響詩「海」のスコアの表紙に北斎画のイメージを採用しています。(MOA美術館 葛飾北斎展より)

 ドビュッシーの曲作りに「神奈川沖浪裏」の絵の影響を受けていた!?絵画と音楽が結びついた瞬間でした。具体的に、作品のどのような部分が、どのように曲に影響を与えているのでしょうか?イマイチわからず、あれこれ調べました。すると・・・・

 

レファレンス共同データベースより

La Mer(ドビュッシー-海)は、葛飾北斎の木版画「冨嶽三十六景-神奈川沖波裏」から曲想を得たか? 

結論から言うと、Debussyの研究書(論文)でも、「曲想を得た」という記述(表現)は見つけられなかった。とのこと。

 

美術展など展示や、しかるべきところで、しかるべき人物によってまとめられた記載も、紐解いてみると、推測文の域で、疑問も残されている場合があるということ。

美術館の展示といえども、そのまま鵜呑みにしてはいけないということが、最近になってわかってきました。

というか、表現によって、ちょっとのニュアンスの違いが、異なる解釈を産み、現代のネットの仕組みを通して、さらに広がっていくという構造があることが見えたように思います。

美術館の展示は、キュレーター、学芸員の一つの解釈にすぎない。

美術の世界では、常識的な話なのかもしれませんが、一般人にとっては、美術館の展示は、絶対的なものと思っていたので、これまでの認識を改めることになりました。 

 

 

『カルティエの3連リング(トリニティー)の秘密』コロコロさんの日記 より

 MOA美術館北斎「冨獄三十六景」 にて(~2014.09.24)

冨嶽三十六景「東都浅草本願寺」の版画の視線の誘導についての解説。

私が最初に目に飛び込んできたのは、中央を突き抜けるように天高く舞い上がる凧 ⇒左側の天に向けて伸びるハシゴ⇒先端が示している空。

空は、白から薄青をへて、濃紺のグラデーションへと移り変わり、濃紺の先はどこまでも、どこまでも続く。深淵な広がり。画角を超えた先までも広がり宇宙にまでもつながっていることを想起。天高くどこまでもどこまでも続く広がりの中に、お寺の屋根と富士山という共通する三角のモチーフをおく。

凧は富士山よりも高い位置に置くことによって、より高く上へ上と舞い上がっていく、人の現実的な上昇志向のようなものをイメージさせ、ハシゴの先は見えない宇宙へと伸びていく。手の届かない神仏の元へ行くような、果てしない上昇をイメージしているとか?

解説は私が着目した部分とは全く違いました。「凧」「はしご」は、一言もなし。存在なきものに・・・・ そんなことありえない! 凧、一番、最初に目に入るんじゃない?ハシゴだって・・・・

解説は、富士山、お寺の三角形。そして、雲の間から見える家の屋根。そこに白い屋根。この小さな三角が、共通していて、繰り返しのモチーフとなっているという解説でした。
館内にいらしたボランティアさんに、お話を伺いました。

あんな小さな白い屋根の三角形なんて、誰が目を向ける?関係ないと思う。単なるこじつけ・・・笑)たまたま、そういうところが、目についてしまったから、そういうことにしたのでは?

ボランティアの方も「私も、凧には、意味があると思います」と。あの解説は、美術界では、一般的に認知されている解釈なのか、何を元に語られているのか伺ったところ、ここの学芸員の解釈だと言われました。

私には私の受け取り方がある。絵は自分が感じるままに受け取ればいいものなんだから・・・自分の解釈の方が正しいって思って見ていたのでした。(笑)

 

 

 

平成26年(2014.9):展覧会では何か一つ得ることがあればいい

tabelog.com

〇興味のない展覧会にも行ってみる

指輪の歴史は、ダイヤモンドの輝きを追い求める歴史でもありました。原石の形をとどめたポイントカットから、まばゆい光を放つ現代のブリリアントカットまで、それぞれの輝きを見比べます。

 

〇何か一つ、自分の中にテーマがあれば行く価値あり

上記の一文に惹かれて行ってみることにしました。

(美術館、博物館に訪れる時のコツ)

何か一つでも、興味を感じたら行ってみる。知識がないと、楽しめないと思っていても、わからないなりに楽しめるものです。

美術館、博物館は入館料も高いので、行ったら、わかってようがわかってなかろうが、もったいないから、何でも見れば・・・と全部を見ようとしてしまいがち

しかし、一つだけポイントを絞って、それだけ持ち帰ればいいと思ってでかけると、 散漫にならずに、身につくと思うようになりました。

「ダイヤ・輝き・加工技術・比べる」それだけを目的に来館。

それによって、その後、宝飾業界のいろいろが見えてきました。ジュェリーなんて全く興味がなかったのに・・・・

 

 

平成26年(2014.9 ):美術展の情報には間違った情報もある

美術展で紹介されていたカルティエの解説。ちょっとおかしい。と思って、あれこれ調べてみました。すると、展示の解説が間違っていたことが判明。美術展で紹介されていることは、必ずしも正しいわけでないことがわかりました。

 

■「橋本コレクション 指輪 神々の時代から現代まで - 時を超える輝き」

カルティエの3連リングも展示されていました。その解説には・・・・

3連リングは土星の輪を表しており、ジャンコクトーがデザインをしてカルティエに作らせたと解説されています。

私がカルティエで聞いた話と違う・・・

コクトーは、漠然と「この世にないもの」というオーダーをして、カルティエが作ったと聞いたはずなのに、指輪展では、コクトーがデザインしたとなっているのです。  

ところが調べてみたら、デザインもしておらず、愛用してただけだとわかりました。

■西洋美術館 芸術新潮の記事
西洋美術館のリング展、芸術新潮の記事で、「コクトーがデザインをした」ことになっているのはなぜか。美術展の開催、あるいは芸術新潮の記事において、カルティエへのお問い合わせなどはなかったそうです。

学芸員やいろんな人がいろんな立場で、いろんな見解を出す世界。

カルティエ側としては、それぞれの見解については、諸説があるので、
それぞれに表現の自由があるという認識のもと、修正などの申し入れなどはしないということがわかりました。 

 

〇美術展の解説の曖昧な表現

本シリーズの高い芸術性は、モネなどヨーロッパの印象派の画家たちにも大きな影響を与えました。音楽の分野では、フランスの作曲家ドビュッシーが「神奈川沖浪裏」に魅了され、1905年に交響詩「海」のスコアの表紙に北斎画のイメージを採用しています。

 ドビュッシー北斎「神奈川沖浪裏」に影響を受けたと受け取れる解説。しかし、北斎の浮世絵の影響は受けていないという事実をつかむ。ネットには、影響を受けているという情報が満載。

 

 

平成27年(2015.05):「琳派400年」が転機となり美術鑑賞が深まる

細見美術館 琳派のきらめき|タカシマヤ

琳派? 細見? 全く知らない世界。価値も意味もわからないまま琳派にはまりました。 

 

〇情報を入れず見てから再度見るのが理想but入館料が阻む

美術やアートというのは、できることなら、最初に、何の先入観もなく見て感じてみることが大事だと思います。素の状態、「0」の状態で、自分には何を感じることできるのかを試してみる。あるいは、どんな疑問を抱くのか・・・・
最初に予備知識を入れてしまうと、そういうものだと思ってしまうので、何も知らずに何を感じるのか。

次に、0の状態から、いろいろな情報や知識を得て、また見ることによって、感じ方がどう変わるのか。新たに何が見えて来るのか。また自分が最初に感じた疑問を、調べてみたり聞いたり紐解いたり・・・


そんな形で、少しずつ理解を深めていくという見方が理想だと思っていました。しかし、入館料などもあり、なかなかそうはいきません。

今回の高島屋イベントはとても力を入れているようで、お店で買い物をすると入場券をいただくことができました。何枚も入手することができたので、数回に分けて訪れてみることにしました。
 

(先入感や、知識を持たずに判断する。情報を入れずに判断する。それは自分の物事の捉え方の基本だったことに気づきました。食べログ食レポの時も同様でした。その世界の権威におもねらない。人は暗示で左右されやすい。それには乗らない。美術の世界でも同じでそた)

 

平成27年(2015.05):食べログ日記に「鑑賞記録」を始める

琳派の展覧会に、何度も訪れるうちに、どんどん印象が変化しました。また、わからなかったことが、なんだったのかもわからなくなっていきました。これまでも美術鑑賞の記録をすることはありましたが、これからは、意識的にしていこうと思いました。

初めて知った琳派ですが、何がすごいことなのか全くわかりません。そんなこと、誰でもやってることでしょと思ってました。そこには、何が理解できないのか。何を知れば琳派がわかるようになるのか。という思いから、記録することを意識的にしようとスタートさせます。 

 

平成27年(2015.10):「美術展だけ」を目的の「旅行」初体験

京都国立博物館で行われた「琳派 京を彩る」に訪れました。これまで旅行先で見る美術展は、あくまでついでで、それだけを目的にでかけることはありませんでした。この時、初めて美術展を見るということだけを目的に、でかけるという初体験でした。


 

平成27年(2015.10):「美術鑑賞」に「予備知識」は必要なのか?

 

〇美術館の回り方

美術鑑賞をするとき、予備知識をどの程度、入れたらいいのか・・・・

理想的には、全くない状態と、ある程度知識を入れてから2回、3回とリピートすること。(⇒すでに、この時、知識なしで見たあと、2~3回リピすることをしていたようです)

遠方に交通費をかけてわざわざ出かける場合、見逃してはいけなポイントは押さえておいた方がいいのでは?

〇予習できないジレンマ

ところが、事前準備ができず、気乗りもしない。せっかく時間を作って、わざわざ京都行きを計画したのに、何してるんだというもどかしい気持ち。

せっかく貴重なものが出ているだろうに、みすみす身逃して、あとで、悔やんでいる姿が目に浮かぶ。

 

〇読んだことは忘れて

しかし、美術史家の河野元昭京都美術工芸大学長の言葉に救われました。

「実際に作品を見るときは、私の話したこと、あるいは本で読んだことは一切忘れて自分の目で絵を見る。それが肝要です。絵のなかに自分を溶け込ませ、感情移入する。」


この一言は、これまで、絵画をどうやって見たらいいのか。その際に、予備知識との折り合いはどうつけたらいいのかについての答えが出た気がしました。

 

〇事前の知識はいらない

いらないということではなく、知識はあっても、なくてもいい余裕があれば、知識を蓄える

 

〇知識を得ても、「リセットさせる技術」を身に着ける

先に知識を得たとしても、絵を見る時は、その知識をすべてとりはらえばいい自分の目や心をフラットにしてリセットできるテクニックを身につければいいということだと悟る。「心を空っぽにして見る」 というテクニックが身に付けば、事前の知識は、邪魔をしなくなるのだろうと思ったのでした。

一度、まっさらな状態、無の状態になって、絵と向き合う。

 

〇「知識がないから見える」ことがある

友人の言葉(2016.01)

「あなたは、予備知識を入れずに見に行った方がいいと思う」
「あなたは独特の捉え方をするから、知識を入れてしまうと、
 それに囚われて見方が固定されてしまうから、
 その着眼点を見失なわないようにした方がいいと思うから・・・・」

 

〇「知識が邪魔」をすることも

予習をしっかりして、チェック箇所もリストアップしていたら、頭でっかちになって、確認作業に終わってしまうことも。今回、新たに発見できたことに、気づけなかったかも。

 

〇「知識のない状態」と「先入観を一杯もって」「両方」で見る

何も知らないで見たあと、知識を目いっぱい入れ、その知識という先入感いっぱいで鑑賞してみる。

 

 

平成27年(2015.10):「ポイントを絞って」見る

大混雑の中で見た「琳派 京を彩る」でしたが、この時は《風神雷神図屏風》と《鶴下絵図和歌巻》だけを見ればいいと割り切ることができていました。

展覧会は元を取らなくちゃという気持ちがあり、最初から最後まで全部の作品を見て読んで・・・・をしていました。
次第にそれはナンセンスと気づき、ポイントを絞るようになりました。というより、ポイントを「絞れるようになった」

おそらく、最初からポイントを絞ることはできないはず。何を絞ったらいいのかもわからないから。何回か繰り返し見ていく中で、自分のテーマが出てきたり、ポイントとなるものを見つけたりして、絞れるようになってきたのだと思います。

 

 

平成27年(2015.11):「対話式鑑賞」と出会う


2015年 京都国立博物館で《風神雷神図屏風》を見て、それについて調べる中で知った対話式鑑賞法。美術の見方にこういう方法があったのか・・・と目からウロコでした。しばらくこの方法についての書籍を読んだり、研究レポートを探ったり、参加もしました。 

 

〇対話式鑑賞への参加


〇知っている絵を知らないと想定してみる 

解説も知っている絵については・・・・ ちょっと別の見方をするようにしました。この絵が何を表しているのか、全く知らないと想定したとしら、私は、これをどのように理解するのか・・・・

この見方はちょっと面白かったです。美術展を見に行く際に予習をするかしないか・・・悩むところなのですが、情報を知っていたとしても、素の状態で見れるようにトレーニングをしておく・・・・ そうすることで、たとえ絵に対する知識を得ていたとしても、なかった状態を作ることができるようになります。

予習をするかどうか、迷わずに済みます。最近、その力がついてきているようで、どういう絵か知っていても、知らなかったとしたらという想像力を働かせることができました。

 

 

平成28年(2016.01):「ブロガー内覧会」 初参加


この時、美術鑑賞の方法についてのお話を伺い、美術と照明の関係に開眼。ブース割などにも着目するようになりました。

 

 

 

平成28年(2016.03):「初めて見る体験」は一度限り


〇はじめて見ることの重要性

作品を「はじめて見る」という体験は一度限り。解説を読むのは後回しにして、まず作品を見る。

美術は自然とは違って、人為的な操作の構造を見て面白いと思うもの。従って、経験値や知識は必要。だが、知識があると見ることを邪魔する。ため込んだ体験と知識を棚上げして、虚心担壊に向き合うことが重要。

 

知識なしで感じることが重要。自分でもそう思いながら鑑賞していたのですが、この言葉に確信を得ました。

 

そんなわけで、ファーストインプレッションを大切に・・・ということで、忘れないうちに、留めておこうと思うのですが、感じただけで、終わりにしていいのかな?

 

 

 

 

 

平成28年(2016.01):デパート美術館の「パスポート」を購入 鑑賞の変化

パスポートを手に入れることで、鑑賞の方法が変わりました。

〇ざっと見る

デパート内の美術館のパスポートを購入し、まずは、ざっと見る鑑賞法から。最初は、中を歩いて雰囲気を見てくるだけ。ショッピングのついでに、鑑賞しなくてもいいので、館内を通り過ぎる。最寄り駅に行ったら一作品だけでもいいから見る。東京の美術展の帰りは、必ず立ち寄って関連作品がないかチェック。日頃のお散歩ルート感覚でぶらぶら。それを繰り返していると何がしか興味が出てきたり、これまでに見た何かとつながっていきます。

 

〇「わからなくてもいい」から「何度も」見る

「明治有田 超絶の美-万国博覧会の時代-」の時は、作品のすばらしさは理解できたのですが、解説が頭に入らず、読むと頭痛を起こしそうでした。ところが、数回足を運ぶと、ある時から、すっと頭に入ってたのが不思議でした。


 

〇「興味のない展覧会」が、自分の興味につながる 

漫画やスターウォーズドールハウスなど幅広いジャンルを網羅していました。中にはあまり興味がわかないものも。ところが漫画は、北斎漫画や絵巻きとの共通点が見えたり、スターウォーズの背景に込められている美術史的なことや世界観などを知ることができました。 

 

平成28年(2016.01):幾つかの美術館のパスポートを同時併用の相乗効果

デパート美術館だけでなく「上野周辺の東博と科博」お得な「サントリー美術館」のパスポートをゲット。「パターンを変え、見るポイントを変え、何度も、何度も」「同じ展覧会」を見ることを「1年間繰り返し」ました。ジャンルの違う施設を入れておくのも、相乗効果があります。

この時に、吸収されたことが今、とても役立っています。一つの美術館でなく、可能なら「いくつかの美術館のパスポートを同時にゲット」し、「一年間、可能な限り集中して鑑賞しつくす」。

それによって、それぞれの美術館の内容と、その他の展覧会とが結びつき、様々なジャンルが有機的につながっていくことが実感できました。繰り返し見るうちに、「基本知識」もおのずと身につけることができます。

 

■平成29年(2016.12):はてなブログ開始

 

■平成29年(2017.08):美術と科学の世界の「本質」は違う?

■見る前の感想

 

自分が見えるようにしか存在しない自分が見ることでしか存在しないというのが実存主義

音声ガイドでは、自分の見たもので世界が変わるという考え方だと言われていたと思います。その反対が本質主義本質主義は、自分が見たもので世界は変わらないという見方。

本質主義の話を聞いて、やっと理解ができました。私のモノの見方は本質主義だったのです。「茶碗」や「刀剣」それらの作品で、何をこれまで見ていたかと言ったら、物質の構成成分や製法。それによってどんな模様が生まれるか。その裏でどんな反応をしているか。さらには、美術の世界は、伝来云々が重要のようですが、だれが持っていたかで、その物質の特性はなんら変わらないとまで思っていました。まさに本質主義そのものだったのです。

音声ガイドの五郎さんの言葉には、「人によって変わらないなんて面白くないですよね」というニュアンスが込められていたように感じました。

これまで私が感じてきた齟齬は、ここにあったということがやっとわかりました。ずっと、人によって変わることの方がおかしいという世界で過ごしてきたんだということ。「実存主義」「本質主義」という言葉によってやっと理解できたのでした。

基本的な価値は、本質主義で見ていましたが、美術作品には、それを超える何かがあると感じる体験もしていました。この時、やっと伝来や歴史が持つ意味を理解できたのでした。

 

■平成29年(2017.10):インターネットミュージアム エリアレポータ

 

 

■平成29年(2017.12):twitter開始 

 

 

■振り返ってみて

〇疑問からスタートするのは、いつでもどこでもいっしょ

美術鑑賞をするようになって、自分のモノ見方や捉え方の基本は変わらないということを感じています。昔から、どんな世界に首を突っ込んでも、それはホント?なぜ?その根拠は?という視点で捉えてしまいます。

 

〇なぜ、自分はそう思うのかを考える

そして、自分が考えること、感じることにまで理由を求めていました。それは、考えること、感じることにには、必ずその根拠となる経験や知識、伝聞など、素材が裏にあるからだと思うからです。自分の思考を形成するためのベースとなる知識や出来事があって、何かを感じたり考えたりすることができるのだと・・・(⇒〇自分だけの受け止め方を模索しよう

 

〇思考の流れ、受け止め方を客観的に見たい

そのため、何を見た時に何を感じていたのかを振り返った時に、あの時、まだあの作品を見ていなかったから、こういうことには、気づけていなかった。でも、すでにこのことは、理解していたんだ・・・・ その手掛かりが欲しいと思っていました。総合して、この時、ここまで理解するのは無理だったなぁ‥‥と考えながら、今へとつなげていました。

今、こうして平成を振り返ると、あの感覚は、あそこで見たあれがベースになっていたんだと新たに見えてきたものもあります。そういう因果関係の発見が、面白いと思うし、楽しいと感じています。

 

〇みんな同じ、考え方をしていない!?

しかし、自分のこのような捉え方は、世間一般とは違うようだということが次第に見えてきました。私が面白いと感じることは、人は面白いとは思っていない。私とは、全く違う世界が広がっていることもわかりました。自分にとっての当たりは、当たり前ではなかったようです。

原因と結果が明確になっていくことが、面白いと感じます。ここが源流かと思っていたことが、もっとその先に、芽があったことの発見。それが小学校の時の体験につながることも・・・・ 

 

〇自分を相対化・客観視してみる

ところが、なぜそう感じたのか、そう考えるかを考えることを、めんどくさいと感じたり、あえて言葉にせず、感覚的にあいまいにとどめておくからこそいい。という考え方もあることを知りました。

そういう受け止め方は、私の中には全くなかったので、目からウロコというより、青天の霹靂に近いものでした。

 

〇常に理由、根拠を求める性格

解説で、〇〇の最高峰と言われても、どうして最高峰なのかの理由が説明されていないと納得ができません。あるいは、それは個人の考えではないかと思っていたり(笑) とにかく理由や根拠を求めるというのは、長年の間に染み付いてしまった捉え方のようです。

 

〇周りは自分と同じではないことに気づく

やっと、個人が学んできた世界や、属した環境によって、物事の捉え方の違いがあることを理解できるようになりました。美術鑑賞で得た一番大きなこと。それは、人はそれぞれに違う考えを持っているということ。

当たり前と言えば、当たり前のことなので、そんなことぐらい誰もがわかっていることだと思います。でも、表向きに理解は示しているけども、どこかで、自分とは違う考え方を、遠ざけようとしてない?と思うことがよくあります。

 

〇言葉の上では認める多様性 心の中は? 

美術に限らず、考え方は人それぞれ。表向きは、多様性を認めた言葉を発します。しかし、現実の部分で、心の中は、自分とは違う考えをどこかで拒絶していたり、心理的バリアを作ってしまうことがあるように感じられるのです。

 

これは私自身においても、気づくとそうなっていることがあります。今回、「情報あり、なし」スタイルで見せる美術展として企画されていました。そういう見方は自分の中では、当たり前にしてきたことで、鑑賞体験のある人なら、していることだと思っていました。

ところが、新たな視点として受け止めている人がとても多いのを見て、ちょっとびっくり。このような見方は当たり前ではなかったのかと認識を新たにしました。また、見ての感想も、楽しい、面白い、発見、新鮮、だけでなく、その先に個々の人が、何を見てるのかを知りたいと思います。また右左の見方も、提案される方法のほかにも、いろいろアレンジしてみることもできると思うのです。「視点を変えてみることが大事」とこれだけ言われている中で、両方を見てから、また見るぐらいしかないかな?もっと違う見方、感じ方を知りたいと追っていました。

そして、右脳左脳の捉え方を問題にする人がいないないということが意外でした。これが似非科学というこを知らないのか、知っていてもそういうことはスルーするのが大人の対応なのか。モノの見方をいろんな視点から加える。という割に狭くない?と思ってしまいました。

右脳左脳も、語る人の背景によって、許容できたり、できなかったりします。デザイン系の方が、右脳左脳をテーマに企画するのは問題を感じません。立ち位置が違うからと納得できます。今回、企画された方は、デザイン畑の方だと思っていたから・・・・ ところが、理工の建築と聞いてしまうと、また受け止め方は変わります。そっちに行ってしまったのか・・・・と。これ、心の奥でバリアを作ってしまっているということなんだなと感じているところです。

物事の捉え方は人それぞれ。展示の見方、受け止め方もいろいろ・・・って大義名分を言います。しかし心の中では、拒否している・・・・

そして、そんなことを言うと、疎まれるわよ。めんどくさい人、うるさそう、粘着って思われるから・・・・と言ってくるもう一人の私がいます。人それぞれ、多様性・・・・と言いながら、心の奥にバリアを貼っているということに気づかされます。これが、メタ認知というやつなのかな?と思いながら、

 

【追記】2019.05.09

デザイナー佐藤オオキが語る「原点は似顔絵と学生起業」:日経ビジネス電子版

googleがクリップしてきた記事。こちらを読んだら納得。個の背景、どんな経歴、経験から生まれたかによって、受け止め方が変化。

 

 

 

多様性については、私は生物から学びました。しかし美術のそれは、心を持ち、考える人の機微を含んだ多様性を教えてくれています。自分自身が多様性を認めながら、排除する方法に向かっていないか。自分を客観的に見つめなおし、それに気づかせてくれる。それが美術なのかもしれません。

 

金子みすずの言葉  みんな違って、みんないい・・・・


 

■参考

「絵の見方がわからない人」が知らない真実 美術館の売り文句に流されていませんか?

ある絵をいいと思うのはその人が素の自分に帰るときだ。だから相性がある。なぜその絵がいいと思うのか。実は自分が過去に体験した出来事、出会った人とすり合わせて考えていたりする。記憶や体験は、その人そのものを作っていて誰も否定できない。それが絵の批評に反映する。

 記憶や体験は、その人そのものを作っている

これだと思いました。絵を見て感じたことと、その感情をもたらした源泉を鑑賞と一緒に私はしてきたのだと思いました。

 

自分なりのモノの見方、とらえ方を提示したいと思うのようになりました。そして、それぞれの鑑賞者にも、その人のバックグランドならではの、独特のモノの捉え方があると思うのです。私はそういうものを求めていきたいと思っています。

 

私がいいなと思ったのが、

中田敦彦さんは、コルビジェを知らずに入りました。待ったく知らなくても、そこから何かを得て、自分の感覚で捉え、自分の言葉で伝えてくれています。

美術展の紹介って、知っている人が、知ってる立場から知識で紹介するのではなく、わからないよね。でも・・・・・ というアプローチがあっていいと、兼ねてから思っていました。

 

いろいろな専門家が、自分の立場から美術展を語るという企画が、時々、テレビでOAされます。すると、知識が知りたい。技法が知りたい。〇〇の意見はいらない。そういう声が、必ず登場します。

立場の違う人の捉え方って、とっても面白いと思えないのかなぁ?美術の見方はいろいろ、何を求めるのかもいろいろ。とわかっていても、自分と捉え方の違う人見ると、う~んと思ってしまうのは、表向き、認めているくせに、やっぱり自分と違うことに対して、避けようとする心理が働いているということを自覚しながら・・・・

 

美術鑑賞は、「他人が自分とは違う」ということを、きれいごとやお題目ではなく、ちゃんと受け入れられるようになるためのプロセスなのかなと思うのでした。

 

*1:■モネ・印象派

〇(2006)地中美術館:直島 地中の庭など
〇(2007)国立新美術館国立新美術館開館記念「大回顧展モネ 印象派の巨匠、その遺産 
〇(2007)ポーラ美術館:「花の絵画 - モネ、ルノワールから梅原龍三郎、横山大観など
〇(2012)ポーラ美術館「印象派の行方」 
〇(2012)ポーラ美術館:【企画展】「印象派の行方」 
〇(2013)西洋美術館:「ポーラ美術館×国立西洋美術館 モネ、風景をみる眼―19世紀フランス風景画の革新」
〇(2013)ポーラ美術館:【企画展】「ポーラ美術館×国立西洋美術館 モネ、風景をみる眼  ―19世紀フランス風景画の革新」 

 

*2:■植物・庭関連

〇  (2005)東京庭園美術館庭園植物記 (2005年9月3日―11月6日)
〇  (2006)比叡山山頂 印象派画家の庭園と絵画 ガーデンミュージアム比叡

〇(2008)重森三玲庭園(10月)
〇(2008)東福寺 方丈庭園 八相の庭  分陀院
〇(2008)大徳寺 瑞峯院 龍源院

 

*3:■科学&人体&美術の中の科学

〇(2005)東京国際フォーラム:「人体の不思議展」(東京国際フォーラム
〇(2005)森美術館:「レオナルド・ダ・ヴィンチ展」レスター手稿 2005.9.15-11.13
〇(2006)ポーラ美術館:「美術の身体表現」 
〇(2007)国立科学博物館:「レオナルド・ダ・ヴィンチ -天才の実像」
〇(2007)ポーラ美術館: エミール・ガレ - アール・ヌーヴォーのガラス工芸
〇(2008)国立科学博物館ダーウィン展  (03/18~06/22
〇(2009)「1970年大阪万博の軌跡」2009 in 東京(上野) (01/22~02/08
(2014)「医は仁術」(東京国立科学博物館

 

*4:■仏像

〇(2009)東京国立博物館 - 展示 日本の考古・特別展(平成館)
      興福寺創建1300年記念 「国宝 阿修羅展」(2009.3.31-2009.06.07)

〇(2007)三十三間堂
〇(2007)東寺
〇(2007)永観堂
〇(2007)金閣 銀閣

 

*5:■建築・建築家

〇(2011)東京都庭園美術館アール・デコの館―東京都庭園美術館建物公開― 
〇(2011)ブルーノタウト 日向別邸