落合陽一さんの写真展「質量への憧憬 ~前計算機自然のパースペクティブ~」が開催されています。彼が見ている世界観を、写真というメディアを通し覗ける絶好の機会。そこには何が見え、何を感じさせられるのでしょうか。「質量」に着目したという写真。写真上で、どんな質量を体感できるのでしょう?
■落合陽一氏が撮影した写真 その展覧会
私事になりますが‥‥
アートを理解するには? 感性を磨くには?
その答えを探している中で出会った思いがけない言葉。それは・・・・
自分の好きなものの写真を100枚撮る。
それによって自分は何が好きなのか、嫌いなのか。何を美しいを思うのか。
それを考えていけば、次第に磨かれていく。
そんなことを語った落合さんの写真展。一体、落合さんが好きなものってどんなものなのでしょう? 展覧会を楽しみにしていました。
落合さんの「好き」は、魑魅魍魎としていそう。興味を抱くことができるのか。「好き」や「美しい」だけでなく、心を動かされたものを写真に留めることにしました。落合さんが集めた「好き」の中から、私が感じたことを集めてみます。それらの写真が100枚になったら、何かが見えてくるでしょうか?
■会場外観
天王洲アイルアマナスクエア IMA gallery。夜の光が素敵なウォーターフロントです。
ギャラリーの外から
■会場内観
天井まで張り巡らされた写真の数々
散りばめられれた書籍や写真 、オブジェ
■何が好き?
〇電気
会場入って、すぐの部屋。天井まで伸びる写真。これらは、 いったい何をみつめているのでしょうか? また、配置には何か理由があるのでしょうか? 作品のタイトル、キャプション、解説を見ずに、まずは、感じてみることにしました。
中央部に「光」の写真が集中しているようです。その光は丸くてぼんやりしています。また重なりあっています。中心を占めている大きなパネルも、丸い光が幾重にも重なり乱反射しています。
「光=電気」 わかりました!
落合さんの名前は、プラスとマイナスで陽一。だから子どもの頃から電気が好きだったと語っていました。きっと、子どもの頃から、そして今でも好きな「電気」を「光」として写真に納めたのではないでしょうか?。落合さんの一番好きなもの「電気」。それを光に変化したイメージとして。丸くていくつも重なった、ぼんやりとした光景。それが好きな世界観なのかも。
解説には…
心象の原風景・・・・
〇配管
この写真の暗さから、災害を思い浮かべました。そこからの復興?
キャプションには「配管」自然に返る機械美 とありました。そういえば、配線も好きと言われていたことを思い出しました。「配線」も心象風景の一つなのかもしれません。
■デジタルと自然
〇動く自然、動かない自然
「自然の草」と「画像の草」。画像を埋め込んだことに意味がありそうです。映像は風にそよいでいます。一方、枯れたように見える草も風にそよいでいました。この草に吹いている風は、人工的に起こしているのでしょうか? それとも空調によってゆらいだのでしょうか?
私たちは、風は自然としてとらえています。しかし、デジタルによって、そよぐ風も起こすことができます。これが、デジタルネーチャーの世界?
しかし、解説は全く逆でした。
「風にそよぐことのない」という設定の「ギャラリーの草」でした。しかし、展示会場では、空調の風で動いていたのでした。そして私はデジタルな風で動く草に心が動いていました。
面白い! タイトルや、解説を見ずに鑑賞する面白さってこういうところにあると思います。その時の会場が作る状況によって、いろいろなとらえ方に変化します。
〇絵のような写真
右下の菊。なんか変・・・・
この菊は写真です。写真は、なるべくリアルな描写をするために作られた機械。しかし、この菊、本物のようでいて本物でないような違和感がありました。立体に見えるようでいて平面的。この感覚って、いったいなんなんだろう。
少し寄ってみました。
これ写真じゃないみたいです。絵で描いたみたい。写真に限りなく近づけて描こうとしたボタニカルアートのように見えました。
さらに寄ると・・・・
ルドゥーテが薔薇を点描で描いたようなボタニカルアートです。
もっと寄ってみると・・・・
これ、まさに点の集まり! どういうこと? ドットに見えるんですけど・・・・
背景の黒を撮ってみました。ドッドになると予測したのですが、点は見えません。どうなってるの? わからない。菊のドッドは、もしかして点に見えているだけ? 視覚のトリックにごまかされてる?
〇段階的な階調の空
スカイツリーのてっぺんに太陽。光の放射。雲で作られるグラデ―ションが美しい光景です。
太陽は、突き刺さりそこからも放射状の光が放出。このタイミングは、計算によって導き出されているのでしょう。
ところで、私の目を引いたのは、太陽の周りよりも、地平線と空の両端の境界部分。色のグラデーションが、版画の板目を出して摺った状態に見えます。
空の色、階調に連続性がありません。まるで木目模様。版画みたい。
菊やスカイツリーの空の写真から感じさせられるこの違和感。これだけ引き延ばすことができる解像度を持ちながら、その一方で、ドッドや、階調の不連続が、同居しているギャップ。
デジタル画像だから、修正、補正は可能。高解像とは逆方向へ補正をかけることによるアンバランス効果を狙っているのでしょうか? デジタルの修正は、どの方向へどこまで許容されるのでしょうか。
〇写真の正体
こんな記事を見ました。
デジタルで撮影し、ソルトプリントで現像
今回はデジタルで撮ったんだけど、ソルトプリントで現像して、すごく質感のある写真ができている。デジタルのめっちゃ高解像度の写真をソルトプリントする。これって変なノスタルジアで、ある種、不思議な感覚ですよね。でも、いまの世の中はこういう感覚に近づいてきている気がしていて。
引用:落合陽一──デジタル世代のノスタルジア。質量への愛着を追い求めて。(4)|ライフスタイル(カルチャー・旅行・インテリア)|VOGUE JAPAN
ソルトプリントをまだ理解していないのですが、何か変という感覚が確かにありました。高解像度のデジタルで撮影しているのに、たぶんプリントは、古典的で粗さが残っているのでしょう。そのギャップが、何時も見慣れた高解像度の写真、高品質のプリントとは違う何かを感じさせたのかもしれません。おそらく背景の黒バックは、映像がないから、粗さが見えてこなかった?
〇波
海に囲まれた日本。日本人が表す波の形は多様。最近見た「新・北斎展 HOKUSAI UPDATED」落合さんのトレンドワード、アップデートがタイトルに。
葛飾北斎のgreate wave。落合陽一のGentle waves(?)
波の連作から気になる部分を切り抜いてみました。なんだかデジャヴ感が・・・・
これです
自然の中にあるモチーフが、別の物質によって形作られた物体の中で投影されています。これ、フラクタル構造?
ここにも波の写真・・・・ と思いきやこの中にイルカが存在しています。イルカが同化して波と一体化。ところで、ソルトプリント使われているのは、こちらの一連の写真だった!?
■光の中で
おびただしい写真の中から、気になる写真を探します。最初、いくつかピックアップしていましたが、やっとテーマがみつかりました。
〇この光が好き
沢山の写真の中からくぎ付けになったのがこちら。この空間に差し込む光、好きだな。私の目をつかんで離しませんでした。
学校の教室。夕暮れ時。ノスタルジーを感じさせます。でも、私はこんな光に包まれた経験はないはず。なぜなら、この時間、部活で体育館にいたから。教室にいたことはないから。なのに懐かしい。心惹かれます。
中央にコロイドディスプレーをみつけました。これ落合さんの最初の頃の研究装置。院時代の思い出と教室を重ねているのでしょうか?
そんなことを想像していたら、コロイドディスプレーをとらえた写真が、他にもいくつか目に入ってきました。落合さんを代表する研究装置。それがどんな光に包まれた時、シャッターを切ったんだろう。追いかけてみたくなりました。
モルフォチョウの映像が映っています。
こちらの写真は、見る角度を変えると、コロイド膜の状態も変化します。ある場所では膜が消え、まるでそこに蝶が存在しているかのようです。
外からの自然光と、デジタルの光によって見える蝶。しかしいつの間にかその境界がなくなってきました。
垂れる粘性を持った溶液。それは自然界のさらりとした雫に見えました。
そしてこのあと目に入ったのが、この写真。クスっとしてしまいました。「深作眼科」の看板です。この病院には、眼科の世界的ドクターがいます。
写真を包み込んでいる光。自然光。そしてデジタルで自然のような映像。それらはみんな視覚によって認識されているってことなんだよと言われた感じ。*1
そして看板の横に添えられた「世界で最も多くの場所で使える」の文字。
確かに目は、世界で最も多くの場所で使える・・・・と思いながら見ていました。撮影した写真を戻って見返したら、それはマスターカードの看板でした(笑)
コンテクトはいかようにもなりえる。自分の理解の文脈をいくつも持てばいい。
〇光の透過 内から 外から
モザイクガラスを通して、中から外へ、外から中へ
〇光と影が作りだした格子模様
ある一瞬の角度が作り出す光の格子模様。パネルの厚みの影と、パネルに充てられた光の角度。そして眺める側の見る角度によって浮かび上がる視覚。
私はこの写真に「パースペクティブ」を感じました。しかし解説は・・・ またまた違ってました。それでもいいんです。自分の文脈でとらえていけば・・・・
ちょっと一旦、小休止。次は「パースペクティブ」の予定。 (続)