コロコロのアート 見て歩記&調べ歩記

美術鑑賞を通して感じたこと、考えたこと、調べたことを、過去と繋げて追記したりして変化を楽しむブログ 一枚の絵を深堀したり・・・ 

■マルセル・デュシャンと日本美術:賛否両論の第2部 日本美術とデュシャン(備忘録)

マルセル・デュシャンと日本美術」デュシャンの生涯の活動を俯瞰して見ることができる1部に対して、日本美術と対比をさせた第2部への反応が、どうもよろしくない印象を受けます。第2部の日本美術とデュシャンについて考えたことをさみだれに記録。

 

 

■第2部「デュシャンの向こうに日本がみえる。」の評判

第2部の評判が、どうもよろしくない模様。ざっと見た反応は、「 無理やり感あり・強引 ・とってつけたよう・意味不明」2部は必要ない、見ないで帰った方がいい。ただ並べただけといった声が見られます。その一方で、よかったという声もあります。

私は・・・・ の部分は、後述することにして。

 

2部には、次ようなパネルが掲げられています。

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■問いに対する答えは?

ところで開催前、日本美術とデュシャンの関係を考える宿題が出されていました。あれこれ考えてはみたものの、「それぞれ水を入れる」ぐらいしか思い浮かばず、これといった答えが出せませんでした。まずは、その答えが気になります。

 

〇Q花入れと便器の共通点は?  

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利休の竹の花瓶とデュシャンの便器の共通性は・・・・
それまで、唐物重視の価値観から、「ただ」の竹(=レディーメイド)に美意識を見出し価値観を生んだという点で共通しているという解説。

 

賛否のあるこの展示ですが、私は意外にすんなり受け入れていました。

 

 

〇利休の竹の花瓶の意味は?

利休のこの竹の花瓶が、どんなものなのかイマイチわかっていませんでした。唐物から身近なものに価値を移行させたのが利休といういうことは、なんとなく知っている程度です。

身近などこにでもある「竹を選ぶ」ということを、どうとらえるのか。便器を横にしてアートにしたことと、竹を「花瓶」にしたこと。それまで花瓶は唐物の陶器などが珍重されていたところに、「竹」という素材に目をつけた利休。それは、利休のオリジナリティーだったのではないのか?と思いました。 

さらに、その竹に何がしかの手を加えて花瓶にしたのであれば、それはもう利休テイスト一杯のオリジナルで、レディーメイドとは違うのではないか。

 

〇花入れはレディーメイド? オリジナル?

そもそも、利休の花入れを、オリジナルととらえるのか、レディーメイドなのか。その前提をどこに置くかで、受け止め方が違うと感じました。開催前からそれについては指摘がされていたようです。そして開催されてからも、そこの部分に齟齬が見られるようでした。 

 

再度、パネルの解説です。

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利休は、かたわらにあった「ただ」の竹に、美意識を見出し、それまでになかった絶大な価値を生み出した。

この解説を見て、私は納得してしまいました。このコーナーを担当された方は、利休の花入れを「レディメイド」と捉えていることがはっきり理解できたからです。自分の受け止め方とは違うけれども、すんなり受け入れることができました。

 

私はこの花瓶を「レディメイド」だとは思わない。でもキュレーターの方は、竹の花入れをレディーメードと設定をした。

 

下記のような解説がHPでもされています。

利休は陶工など職人が精巧に作った器や花器ではなく、傍らにあった竹を花入に用いて絶大な価値を持たせました。これは、究極の日常品(レディメイド)です。

引用: みどころ | マルセル・デュシャンと日本美術 | 東京国立博物館・フィラデルフィア美術館交流企画特別展

 

 

〇アートは自分が思うように理解をすればいい

レディーメイドの《泉》もそうですが、デュシャンがこれをアートと思うなら、デュシャンにとってはアートなんだろうし、利休の花入れを企画者が、究極のレディーメイドと定義して捉えたのであれば、それはそれ。

「ただ」の竹に、美意識や価値を見出した。

という捉え方を提示したということ。それを私がどう感じて、どうとらえるかは、私の問題・・・・ 自分とは捉え方が違うけど、捉え方はいろいろなんだし、「何に対してレディメイド」であるかを、明確に示されていたことにある意味、心地よさのようなものさえ感じていました。

 

 

■前提条件の提示

うまく言えないのですが、美術に関する様々な捉え方を見た時に、あれ?と感じることがあります。「その根拠でそれを導き出してしまうの?」とか「それは、あなたの見解にすぎないのでは?」と思うことも・・・・

条件設定が曖昧。「こういう部分においてかくかくしかじか…」とか「〇〇については、このようなとらえ方が一般的だが、ここではこのように設定して考えた」という前提の提示が、されていない時、はてなマークが点灯します。

 

たとえば、科博において「人体」とは何か? を展示するとき、そのテーマはあまりに広範囲です。そこで「形態面」「機能面」「発生学的」「進化」の点からアプローチするというように、条件を区切って紹介しますということが、最初に掲げられます。個人的には、そこに心地よさを感じるのだということがわかってきました。前提条件が提示されていると、鑑賞の道筋も見えやすいです。⇒*1

 

「〇〇については、赫々云々と理解されているけども、ここでは〇〇〇〇というように捉えて考えます」

というイレギュラーな条件設定を行った上で考察することがあります。それがたとえ一般的な理解から離れた邪道な設定であっても「その条件の中で考えた」という前提でのお話ということで理解するという考え方の方が、自分には馴染みがいいのです。

美術の展示で、そこの部分が不明瞭と感じることがあり、消化不良をおこして居心地悪くなってしまうという経験をしてきました。

いつもなら、この展示を見たら、それは、あなたの見解では? 根拠が乏しくないですか? と思ってしまうところです。しかしここでは「この竹を企画者はレディーメードととらえた」と明示されているので、その方がそう思うなら、そういう仮定の話として、すんなり受け入れられたのです。

 

〇「レディーメイド」に定義はある?

「レディーメイド」とは何か? そこに定義はあるのでしょうか? 多分、答えはないはずです。(もしかしたら、デュシャンの考えとして示されているのかもしれませんが、きっと明確には示めさず、「考える」ことを促しているのではと思います。)⇒*2
 

だとしたら、それぞれに考え、定義して語ればいい。条件を変えて変化させながら語ってもいいのだと思うのです。

 

美術の世界で、いろいろな方が、いろいろな形で「レディーメイド」を語っているのだと思います。しかし、そこに正解はなくて、一つの見解にすぎないはず。

その中で、今回、「ここでは」「こう」捉えた。それを元にして比較を行った。また別のところでは、条件を変えて捉えてみる。その時の状況に応じて、設定を変化させて論じていいと思っています。

 

「レディーメイドとは、本来、〇〇〇〇 というように理解されることが多いけども、ここでは、かくかくしかじかと捉え直して、日本美術とデュシャンを比較展示した」そんなコーナーだと理解しました。

 

 

〇利休作 竹一重切花入 銘 園城寺

そもそも、利休の花入れとはどんなものなのでしょう。

天正18年秀吉の北条攻めにしたがった利休は、小田原滞陣の折、韮山の竹を以て尺八、一重切、二重切の竹花入を作ったと伝えられます。
一重切花入は正面に割れがあり、この景色を弁慶が引き摺った園城寺の釣鐘の割れになぞらえ園城寺と名付けたといいます。
花を入れる一重の窓と竹の節を生かした花入ですが、正面の割れ目から水が漏ったといいます。
利休が使用した折、客から花入から水が漏ることを指摘されたとき、利休は「この花入の水が漏るところが命です」と答えたといいます。利休の水に対する感覚と美意識を伝える話しといえます。この花入は少庵に伝えられ、後に松平不昧、そして松平家から東京の国立博物館に寄贈されました。 

 引用:表千家不審菴:利休をたずねる:利休の花入

 

この竹には正面に割れがあり、そこから漏れる水に価値を持たせているようです。となると、やはりただの竹ではなく、選んだ竹のようです。また花を入れる形状も、真竹の二節を残し、一重の切れ込みを入れた簡潔な作だそう。利休の他にこのような形状のものを制作した人はいるのでしょうか? 利休だけが制作した形であればれっきとしたオリジナルです。

 

 

〇条件や場所が変われば捉え方も変わる

以上のようなことを推しても、この花入れを「ただ」の竹から美意識を見出したと設定されたのは、竹を総体としてとらえるのか、利休が選び、手を加え花瓶となった竹と捉えるかの違いなのだと思いました。

 

単なる条件設定の違い・・・・  仮定をどこに置くかの違いと理解したので、個人的には無理やり感は、感じませんでした。竹をただの竹ととらえたというあくまで設定として。

 

実験の条件設定を変えて、考察した展示…

 

個人的には、今年行われた別のいくつかの展覧会の方が、無理やり感、こじつけ感を感じていました。しかし、こちらの展示に対しては、それを感じることが全くありませんでした。

 

 

■日本美術とデュシャンの関連性

第2部は下記のような5章で構成されています。

第1章「400年前のレディメイド」・・・・花入れ 茶碗
第2章「日本のリアリズム」・・・・浮世絵
第3章「日本の時間の進み方」・・・・絵巻
第4章「オリジナルとコピー」・・・・
第5章「書という『芸術』」・・・・本阿弥光悦

 

デュシャンと日本美術の時代と影響 

2部は、デュシャンの捉え方と日本美術の共通性を示した展示。紹介されている日本美術の作品は、江戸時代あたりの作品が主です。デュシャンは明治初期から昭和を生きた人。ここでいう共通性というのは、デュシャンが日本美術を参考にしていたという意味なのでしょうか?

第一部の展示を見る限り、日本美術を参考にしたり、ヒントにしてデュシャンの世界が構築されたというような印象は受けませんでした。

 

〇考えた先には同じ着眼点が

これまで歴史を見てきて感じていること。人が考えることというのは、時代の空気がその時代を生きる人に、同じようなニーズをもたらします。そこから発想や着想が生まれ、同時発生的に、同じようなものが作り出されることが多々あります。そして、切磋琢磨して発展してきた歴史があります。

しかし「時代」や「地域」が離れていても、似たような思考というのも見られます。

日本美術とデュシャンに、連続した関連性はあまり感じることはできませんでしたが、人は時代を超え、地域を超え、同じような視点で物事をとらえるものだというのは、歴史が語っています。⇒*3

 

着想の部分では、影響「ある・なし」にかかわらず、人は「考える」ことによって着地点が同じになることはままあるもの。西洋、日本と分け、それぞれの影響が語られますが、「考える」先にあるのは同じ・・・・ってことかな? と思いながら第2部の展示を見ていました。

この展示では、「日本」の美術と「デュシャン」の関係で展示されています。しかし、他の国の美術と比較すれば、同じような発想、着想はきっとみつかると思うのです。 

 

 

〇捉え方はいろいろ

デュシャンが「美術とは考えること」と提示したように、デュシャンと日本美術の関連性は、「こんなふうにとらえて考えてみた結果、こんなふうにまとまりました」という提示だと受け止めました。

それに対して、私は、ここはこう感じたし、こう思うと考えればいい。利休の花入れのことはよくわかっていなかったので、まずは調べてみようと思いました。

*4

考えたり、調べたりしたことが、全く違う方向に広がったり、またそれが戻ってきたり・・・・ デュシャンと日本美術も、一つのモノの見方を提示したにすぎません。それによって、「それはおかしい」と思ったり、「なるほど・・・・」と思ったり、それぞれが、考えるきっかけにすればいいんだと受け止めました。

 

そんなことを考えていたら、事前の問いかけや、このコーナーについて、キュレーターの方のリアルなトークが提供されていました。

 

 

■種明かしがされていた!

 

上記の中で次のように語られています。

「まさに自然を“美”に昇華したのが、利休でした。言わば辺りにあった竹をスパッ!と割ったら、たまたま割れ目ができた。その偶然の形、自然の形こそが美しいという発想でしょう。それは彼が愛用した茶碗も同じ。ろくろで成形すると均整の取れたシンメトリーな器になりますが、これは手びねりと言って手で形を整えているので、なだらかな歪みができる。光の当たり方によっては指の跡まで見えます」

竹は選んだのではなく、その辺のものを切り、カットしたら割れ目ができた。たまたまの造形。ろくろで作られ指跡が残っている。それでも、シンメトリーなシンプルな茶碗であると。それらは質素なものととらえ、それを持ち込んだ行為が、デュシャンが美術館に、既製品を持ち込んだとことと同列にとらえられています。

 

「花入然り、茶碗然り、彼は高価で華美なものが主流だった茶室という公家や武家の社交場に、質素な茶器を持ち込みました。それは、もとは王侯貴族のためにあった展示室に既製品を持ち込んだデュシャンと同じなのです」

 

利休の花瓶、茶碗は 、どう考えてもオリジナルにしか思えません。それが一般的な捉え方でもあるような・・・・ でも、それでもあえてそれらを既製品ととらえ直して考えようとしているようです。

 「どの竹を切ろう」とも「この竹をどう切ろうとも」とも意識せず、そもそも「どんな花入れにしよう」とか「イイ花入れをつくろう」とかいったことすら考えない。あらゆる邪念を徹底的に排除したずーっとずーっと先にあるかもないかも分からない。そんな「美」だ。

 利休って、竹選びや造形に、何か意図を込めているのだと思ってたけど・・・・ そうじゃなかったのかなぁ‥‥ そんなことを考えていたら、衝撃的告白(笑)

 

〇答えはなかったという事実が!

 「ポスターで《泉》と《花入れ》の共通点を問いかけたのは、何か決まった答えがあるからではなく、こういう風に自由に考えを巡らせてもらいたかったからなのです。

あれこれ、考えていたのに、はしごを外されてしまった感じです。

 

〇日本美術とデュシャンも関係がなかった!

ラジオ(荻上チキ・Session-22(2018.10,4日)でも語られたようです(視聴可能)

デュシャンと日本美術は全く関係ない」ですって‼

 

開催前に出されたお題。その答えはなし! デュシャンと日本美術、全く関係がありません! と断言までされています。生前、デュシャンを日本に…という話もあったそうですが、デュシャンはどうも、日本には興味がなかったなんて話まで登場しています。

あれこれ考えていたのに・・・・ 考えたって答えが出てこないわけです。いや、考えているようで、本当のところは、考えることができなかったのでした。

利休の花入れに関する情報を、ほとんど持ち合わせていませんでした。そのため関連づけるネタが足りなすぎました。事前情報を入れずに見ることの限界がここにあります。

もう少し、なにがしかの情報があれば、それらをこねくり回して、無理やり関連付けることができたように思うのです。それこそ「無理無理のこじつけ」ですが…(笑)

事前に、そこまで調べたいと思ったら調べます。しかし便器のことであれこれ考えて息切れしていました。事前情報を入れるかどうかは、知りたい気持ちが勝れば、おのずと調べ出します。自分の興味の赴くままに任せます。

 

 

〇作品を見て感じることの基準ってなんだ?!

日本人は“デュシャンだ”“利休だ”と言われると、拝まなければならない気持ちになってしまいがちですが、《泉》の感想が“白くてツルツルしていてキレイだな”でもいいのです。 

 私にとって《泉》は、てっきりツルツルの仕上がりだと思っていました。しかし、この時代の量産品の品質が気になって再度、見にいったら思った以上に、便器は凸凹していました。既製品と言いながら、手作り感、満載じゃない!って思ったのです。

 

ここに自分のものの見方の本質を見たようにも思いました。

 

「美」とは何か?と同様に、便器の表面が「ツルツル」とはどういうことなのか? を考え出しました。人によって違うんだなぁ‥‥ 担当された学芸員さんには、この便器はツルツルに見えた? でも私は、再度見た時には、ツルツルには思えくなっていたのでした(笑)

 

 

■展覧会で何を展示するのか?

展覧会で何を見せていくのか。それは「モノ」ではなく「考える」という行為を考えさせる「思考」の展示。しかしそれはデュシャンがすでに、実践したことでもあります。

先日の日曜美術館で紹介された 「毛利悠子 ただし抵抗はあるものとする」でも同じことが話されていました。自分の作品を通して、広い範囲に渡って「考える」きっかけとなれば・・・・ と言われていて、同じなんだなって思っていました。

 

結局、人の考えることの着地点って時代や経験の違いがあったとしても、いかに「考えるか」というところに帰結するのだと思いました。

 

〇意味の交換 

直島を実現した福武總一郎氏の「意味の交換」という言葉が浮かびました。

作品と出会ったその場で感じたことがすべてではない。
記憶に残り、ふとした時に思い出すこと。
自分がどのように感じたかという感触を思い出して、
それを意味のあることに変えていくこともある。

引用:https://tabelog.com/rvwr/000183099/diarydtl/141471/

 

上記は自分の中で、作品から得た意味を更新していくという意味ですが、「レディメイド」という概念も時代を経ながら、多くの人によって「意味の交換」が行われ、いろいろな解釈がされているのだと思います。他人が行った「意味の交換」を私たちは展覧会や書籍などを通して目にすることになります。それをもとに、自分自身の中でも「意味の交換」をはかり、新たな捉え方に考えていく。そうした循環の中に、同じようなことを考える人は、必然的に生まれてくるのだと思いました。

 

 

〇考えることを喚起させるのは  

「考える」ことを喚起する展示デュシャンの展示を見て、考えさせるきっかけをもらいました。しかしこれまで、いろんなアーティストからいかに「考えるか」を投げかけられました。「考える」ことを提示したのは、デュシャンだけではないのです。

たまたま、デュシャンが、モノではなく「考え方」提示するというスタイルの先鞭をつけていたということ。何をやっても「全てはデュシャンがやっている」と言われてしまうようですが、美術史の流れの転換期に、歴史に残る形で足跡をつけた先人がいた。先約があったということで、デュシャンがいなくても、誰かが同じようなことを考えたはず。

 

考えさせる島 直島 

 「考えるため」の場所としての直島
 「考えるため」のきっかけとしてのアート

「自分はどう生きるか」
 今の時代と社会自分はどうとらえるか、その中でどう生きるかを考える。
 それはベネッセの企業理念でもあり、それを象徴する場所が直島

「一人ひとりが、自分はどう生きていくかを考え続ける場所」である。

 

福武總一郎は、国吉作品がもつ、「考えさせる力」に強く引きつけられた。
アートというものは、こんなにも、人に対して、考えさせる力をもっている。
ということを感じさせられたのが国吉作品からだった。

現代アートは、自然の中でこそ現代社会の問題を考えさせる」

引用: https://tabelog.com/rvwr/000183099/diarydtl/141471/

 

考えさせるアーティストは、同時代にもいました。 


デュシャン: 1887-1968
国吉康雄 : 1889-1953 

 

■あなたの本質は?

 この展覧会の第一部の原題は、「The Essential Duchamp」 
Essentialとは「本質」のこと。ということでいろいろな方の自身の本質について語るインタビューが行われています。

 

人は本質というものをどのようにとらえているのか・・・・ ということについてとっても興味がありました。 

 

〇様々な方々の本質インタビュー

トーハク広報室 on Twitter: "【 #デュシャン展 】第1部の原題「The Essential Duchamp」にちなみ、様々な方のEssential(本質)を一言で言っていただきます。

第9回はラッパーの宇多丸さんです。

第8回は画家の山口晃さんです。

第7回は現代アーティストの藤本由紀夫さんです。

第6回は映画監督の細田守さんです。

第5回はアートテラーのとに~さんです。 

第4回は美術番組でもおなじみ、評論家の山田五郎さんです。

第3回は東京国立博物館長 銭谷眞美です。

第2回はフィラデルフィア美術館学芸員マシュー・アフロンさんです。 

第1回はフィラデルフィア美術館ティモシー・ラブ館長です。

 

 

〇本質てなんだ? と考えてみた

「本質とは?」私も考えていたことがありました。美術は考えるきっかけを与えてくれます。そのきっかけは、いろいろな美術展の中にも存在していました。

今回は、この「考える」ことをメインテーマに掲げ、始まる前から宿題が出されていました。(真剣に考えていた人、あまりいなかったように思いましたが…)しかし、その答えはなかった‼ というオチでした。でも、それによって「考える」ということが込められていたわけです。 

 

私がジャコメッティー展で、考えていた本質は、次のように書かれていました。

権威におもねらない。偉い先生が言ったからと言ってそのまま信じない。偉い先生もみんな同じ生き物。それは、生物はすべて同等…という本質的な考え方がベースにあるからだと思うのでした。 

 

昔から人の言うことは、最初から信じません(笑) アーティスト本人が語ったことさえも信じてなかったわけですから。今回はさらに加わりました。展覧会を担当した学芸員さんの言うことも信じちゃいけない(笑) (といってもすでに、学芸員さんの言うことも信じないという悟り?は開いていたのですが…)⇒*5

問いを投げかけておいて、その答えは実はない・・・・ そんなしかけもあるわけです。

ちゃんと、自分で見て確かめて、その上で考える。そしてその考えたことは、日々変化していくもので、決して、固定化してはいけない。そんなことをこの展示を通して考えたことでした。

 

 

■美術は考えるもの

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正直なことを言えば、そんなこと、当たり前のことじゃない? ずっと前からしてきたけどな・・・・ 考える内容は未熟かもしれないけど、デュシャンに言われるまでもなく、自分の身の丈の中で、やってたつもり!!(笑)

 

〇「美」とは何か? 美しくなければいけないの? 

便器を展示したデュシャンに、そんな汚いものは美ではないという反応があったといいます。「美」って美しくなくちゃいけなかったの? 醜、汚、悲、怒・・・・そんな中にも美はあるでしょう… ⇒*6

 

〇アートは、自分で作ったものじゃないといけないの?

そんな決まりがあったんですか? 私、初めて知りました。身近な生活の中で、既成のものを組み合わせて新たな価値を作るってこと、至るところにないですか? 

日本の技術はその最たるものと言われているわけだし… セレクトショップだって、バイヤーが選んだ目が、価値を作りだしているわけでしょ。それぞれのいいとこを集めて、組みあわせて、新しい価値を構築するのは、日常的にしていること。

美術だって同じようなものなんじゃないの? 既存のものからのアレンジや組み合わせによって、作品はできてると思うし。オリジナルなんてない。それは、美術を見ていて私が理解したことなのですが・・・・

 

〇サインをすればアートなのか 

サインをするということは、そこにサインをした人の目が加わるということ。その人の目が選んだという・・・・ 美術品も、本物かどうか、見極めた人が箱書きをしてるじゃない。その人は、作品を作ってるわけではないけど、サインをすることで美術作品を生み出しているってことでしょ。

しかるべき人がサインをするという行為は、その人が考えること、持っている価値感がそこに付加されるということ。 「しかるべき人」になれるのは、それを取り巻くギャラリー。ギャラリーが認めていなければ、価値にはなりません。ところが、ギャラリーは往々にして権威や肩書などに、判断を左右されてしまいがち。

 

私がサインをしたからって、そこに新しい価値は生まれません。しかし、個人のブランディングによって、価値は生まれます。サインをして価値が加わるのは、その人の背景になにがしかの実績があるから。デュシャンがサインすることの意味はそこにあったのだと思います。だから話題にもなったわけで・・・・ 一介の人がサインをしても何もおこりません。しかし、世間が認める実績がなくても、自分が選んだという、自分にとっての価値は生まれています。

生活の中でも、同様のことがあります。気に入った作家さんの手作りのご飯茶碗がありました。デザインは基本的に同じ。でも微妙に表情が違います。数ある中から、自分がいいと思うものを選びます。その時、微妙な違いに目を向けて自分の好みを選んでいます。それは、デュシャンが便器にサインをしたのと同じことだと思いました。自分の目で選ぶ。それが自分にとっての「美」ということ。だから、便器の表面がどのような状態なのか、気になったのでした。

 

〇美術鑑賞から考えていたこと

これまでのアート鑑賞や生活体験からそんなことを考えるようになっていました。そのため、デュシャンのなげかけたことに対する、周囲の反応の意味が、実はよくわかりませんでした。何を言っているんだ? そんなこと、当たり前のことじゃないの? と思っていたのです。

 

〇歴史を知ってわかること

しかし、デュシャンの前の時代は、美術は美しいものでなくてはいけなくて、自分の手でつくらなくてはいけなかったのです。そんな歴史があったことを今回、初めて知りました。この歴史的な変化を知らないと、デュシャン作品を理解することができないのです。

デュシャンによって作られた美術の新たな価値。私はデュシャンによって変革されたあとの美術の世界に浸っていて、そんなこと当たり前、わかりきったことと思っていたのだと思いました。デュシャン前の時代のことを知らないとそんな捉え方になってしまうのです。

 

初めて琳派に触れた時も同様でした。琳派の特徴を聞いても、そんなの当たり前のことじゃない? いろんな人がそれをやってるの、私、これまで見てきてるんだけど・・・・と思っていました。ところが、私が見ていたのは、琳派の流れを引き継いで形成されていた世界だったことにしばらくして気づきました。携帯電話が生まれた時から存在する時代に生きる人が、なかった時代をイメージできない。そんな状況と同じだったことが見えてきました。

 

(⇒【追記】2018.12.29 美術という世界の大前提として、「美術とは美しいもの」「自分の手で作るもの」ということを、私が知らなかったこととして、一度は受け入れましたが、この大前提は何によってもたらされているものなのかという疑問に変化しました。)

 

デュシャンの亡霊 

そんなの当たり前・・・・ と思っていたことは、実はデュシャンによって投げかけられ、それによって広がり浸透した美術の価値観。それを享受していた結果、自分の中に出来上がった捉え方だった?!

すべては、デュシャンが・・・・  

こんなところにもデュシャンの亡霊が表れました。 

 

 

 

■関連

■マルセル・デュシャンと日本美術:「見るんじゃない 考えるんだ」の足跡

■マルセル・デュシャンと日本美術:3回目の鑑賞で考えたこと、感じたこと、知りたくなったことなど(備忘録) 

■マルセル・デュシャンと日本美術:賛否両論の第2部 日本美術とデュシャン(備忘録)  ⇒ここ

■マルセル・デュシャンと日本美術:覚書メモ 

 

■脚注

*1:【追記】2018.12.24 〇科学と人文の世界の「研究」の捉え方より 

科学博物館の展示と、美術展の展示を見ていて、ここに大きな違いを感じていました。「これってどうこと?」と思った時、「われわれは、これについてはこうとらえて、考えていきます」この説を取り上げて考えていきます。ということが明確に提示されていると思いました。

 

*2:【追記】2018.11.28  レディーメイドに関するデュシャンの言及

図録「デュシャン 人と作品」p171 「レディ・メイド」について 1961年10月19日 シンポジウムにてデュシャンの報告あり。レディーメイドの洗濯がなにかしらの美的楽しみには決して左右されなかった。完璧な無感覚状態の反応に基づいていた。重要な特徴は、レディーメイドに書き込んだ短文。これによって鑑賞者の精神を言語的な領域へと運ぶ。これを手を加えたレディーメイドと呼んだ。また独創的な何者も持たない。既製品の絵具で描かれた絵も、手を加えられたレディーメイド。

 

*3:【追記】2018.12.06  突き詰めた先には平等、多様性、人の尊厳に

https://twitter.com/korokoro_art/status/1054532450917867522

 

*4:【追記】2018.11.28  三井寺 園城寺 弁慶の引摺りの鐘 

園城寺という名に聞き覚えがあります。確か、夏に訪れた三井寺のこと。あそこで見た釣り鐘とつながっていたのか・・・・ あの時は、スルーした釣り鐘でしたが、謂れや周辺の情報に目を向けさせてくれます。

山門との争いで弁慶が奪って比叡山へ引き摺り上げて撞いてみると ”イノー・イノー”(関西弁で帰りたい)と響いたので、 弁慶は「そんなに三井寺に帰りたいのか!」と怒って鐘を谷底へ投げ捨ててしまったといいます。 鐘にはその時のものと思われる傷痕や破目などが残っています。

引用:三井寺>三井寺について>伝説>弁慶の引き摺り鐘

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いろいろなものを私たちは目にしますが、その時々で見ているポイントが違います。この展示をきっかけに、埋もれていたことを発掘する面白さがありました。

 

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そのうち、汁鍋の話はこの百景と、何かがつながるかも・・・・

 

*5:【追記】2018.11.28  条件の設定というのは、あくまで仮定なので、ご本人の本心がそこにあるとは限らない。そんなふうに思っているところがあります。展覧会の運営、構成上の設定。そういう意味で、学芸員さんも信じない・・・・って思うようになっていました(笑) 

 

*6:【追記:2018.12.26】日本美術は醜も怒も合わせ持つ

不動明王、阿修羅、九相図… いわゆる美しいものばかりではありませんが、それらは美術として扱われています。(美術として扱われたのは明治期ということなのなのかもしれませんが)「美しいだけが美術ではない」の具体例が喉元まできていて出てこないもどかしさを感じていたのですが、最近、ポーラ美術館で見た岸田劉生の《麗子像》を見て、これこそが…って思いました。最初はなんでこんな表情で描くのかよくわかりません。それでも、こういう描き方も一つの表現で、美の在り方なんだろう…とどこかで受け入れて見てきたわけです。「美しいだけが美術ではない」ということは、知らず知らずのうちに、私たちの中にしみ込んでいたように思うのです。

岸田劉生デュシャンの生没年を見るデュシャンが9歳上ですがほぼ同世代の人。《麗子像》《泉》の制作年をみると、ともに1917年に発表されています。似たようなことを考え、作品にする人はデュシャンだけはなかったはず。でも、彼の演出効果もあって、歴史的に有名になった。(けども、知る人ぞ知る存在・・・・そういう存在にしておきたいという力もあるんじゃないかと穿ってみたり。)
 デュシャン ⇒1887 - 1968 1917年《泉》
 岸田劉生  ⇒1891 - 1929 1917-1929《麗子像》 

「美術は美しくなければいけない」という観念は日本においては、仏画などを通して知らず知らずのうちに受け入れてきた土壌を持っていたと感じています。しかし、そういう考えると、西洋画にも残酷なシーンはあるわけです。根本的な部分で「美術が美しくなければいけない」という考え方は、どこから来ているのでしょうか?