コロコロのアート 見て歩記&調べ歩記

美術鑑賞を通して感じたこと、考えたこと、調べたことを、過去と繋げて追記したりして変化を楽しむブログ 一枚の絵を深堀したり・・・ 

■没後50年 藤田嗣治展 フジタ作品の大集結 過去最大級の大回顧展

 今年は藤田嗣治、没後50年。節目の年に、奇跡のような展覧会が開催されています。藤田作品の初期から晩年まで130点、時系列に俯瞰できる最初で最後ともいわれる展覧会です。名前は知ってるけども、実際はどんな人だったの?そんな疑問を解消してくれました。

*写真は近代美術館の常設展で撮影したもの 掲載許可済み  twitterは慣例に基づき埋め込みで掲載しております。

 

 

藤田嗣治って?

藤田嗣治よりも先に知ったのは、レオナール・フジタの名でした。その後の藤田嗣治の名を知り、この2人は、同一人物ではないか?何で名前が変わったのだろう。また、「フジタの白」というのは有名だったのですが、私はずっと、東郷 青児の女性の絵を、レオナール・フジタの絵だと思い込んでいた時期がしばらく続いていました。

 

いろいろな美術展に行くようになり、東郷青児レオナール・フジタは違うことを理解し、レオナール・フジタ藤田嗣治も、同一人物だということもわかってきました。フランスに行った人だから、帰化して名前が変わったのかな?

 

そのうち、戦争画(作戦記録画)も描いていた人だったことがわかりました。国吉辰雄を見た時に、フジタと交流があったのだけども、国吉はフジタを嫌っていたとか・・・・ 白い女の人と、戦争画の人。という認識がしばらく続き、ポーラ美術館で子供の絵と出会いました。

こんな絵も描いた人なんだと驚いたり。パリに渡った初期の作品に触れ、パリってこういう歴史を経た街だったのかと知ったり。そのころ、藤田は見栄を張っていたらしいことも・・・・ 日記に、自分はパリで成功しているみたいなことを書いていたと聞きました。

戦争画を描いたのは藤田だけではないのに、なぜか、彼がスケープゴートのようにされてしまいました。美術界を守るためと内々に依頼が来たというのです。きっと藤田は日本を恨んでいるんだろうな。日本を見限っているのだろう。私の中ではそんなイメージで固まっていきました。

しかし、藤田の作品は、まださわり程度しか目にしていませんでした。いつか見たいと思っていた有名な戦争画は近代美術館の常設展で見ることができました。フランスに渡った初期のフランスを描いた絵をポーラ美術館で見たあとに、近代美術館でも、かつてのフランスを目の当たりしました。

  ⇒ ■知っている作品をどう見るか?

 

この頃はまだフランスで陽の目を見ていなかったけども、虚勢をはっていたらしい。という話を断片的に聞いていました。

有名な白い女性像も、噂には聞くのですが、見たことがありません。それなのにその白は、シッカロールが使われているという話は耳に入ってきていたり・・・・

 

情報はバラバラに散らばっていて、全くつながっていません。散乱した状態を、この展示を見ることで、整理ができるのではないかという期待を持っていました。

 

 

藤田嗣治からレオナール・フジタ

名前の変更は、洗礼によるものでした。1955年 フランス国籍を取得し、1959年にカトリックの洗礼を受けて、レオナールという洗礼名をつけたのでした。

この名前の由来は、レオナルド・ダ・ヴィンチによるものだそうです。万能の天才と言われたレオナルド。フジタも、挿絵、装工、写真、映像、舞台芸術、著作、陶磁器など、様々なものに才能を発揮しました。レオナルドにあこがれを持っていたそうです。

 

No88 美しいスペインの女

レオナルドのモナ・リザを思わせると解説がありました。 言われてみれば… という感じで、フジタのレオナルドへのリスペクトだったのかもしれません。

 

 

■軍との関係

嗣治は、1886年(明治19)、軍医の家に生まれた次男。13歳で画家になる決意をしたのですが、厳しい父に伝えたのは、言葉でなく手紙でした。意外にもあっさりOKが出たそうです。

そして父の上司が森鷗外。鴎外の勧めで東京美術学校西洋画科に入学しました。黒田清輝の教えを受け、外光派の画風で描いていました。1913年、26歳の時にフランスにわたります。

父が軍医で上司が鴎外。姉の夫も陸軍。軍部と深いつながりがありました。戦争画への協力などは、そうした環境も影響しているのでは?と思われました。ちなみに従妹が小山内薫だそう。

 

卒業制作のフジタの自画像と、父の肖像が並んでいます。父の肖像画の行方がわからなくなっており、やっと発見されたそうです。斜に構えた若き日の藤田。そして厳格な父。その人となりが伝わってくる描写力に驚きます。

 

 

■おしゃれな藤田

展示会場に入るなり、これまで抱いていたフジタのイメージが、ことごとく壊れました。オカッパ頭、丸目がね、ちょび髭。フランスに渡り、妙に背伸びして、フランスかぶれしてしまった。なんとか、現地になじもうと努力した姿に思っていました。

 

ところがエントランスから流れる映像を見たら・・・・  かっこいい!なじんてる。紳士… フランスの社会に溶け込んでいた人。受け入れられていた人。そんな印象に変わりました。

 

 

■藤田は日本を愛していた

日本を捨てた人。見限った人、恨んでいる人と思っていました。ところが、会場を歩くにつれ、日本への思いが突き刺さってくるのを感じました。

 

 これを見た時、決定的でした。 

 

藤田が持つ筆に「私は日本人だ」という主張を感じさせられました。私はこの筆で絵を描く!そして、それまで見てきた藤田のサインは、漢字と併記されていました。そのことも、ずっと気になっていたのですが、この絵を前にして、つながった気がしました。日本人であることのアイデンティティーのようなものがにじみ出てきているように感じたのです。

 

日本画と西洋画の違いは筆の違いでもあると聞いたことがあります。西洋画の筆が平たい筆なのに対し、日本画では、面相筆と呼ばれる、細い筆で、この細さが絵に繊細さを加えていると聞いていました。

白の肌が特徴と言われていますが、そこに加えられる細い輪郭線。それこそが藤田の生まれ故郷、藤田が生きた日本という国を象徴しているのだと思いました。さらに、硯まで置くことで決定づけているように感じました。

細い筆を持ち、それを見せつけるように持ち上げて、私の魂は、この筆を使って描く。私は日本人なのです。と語っているように見えたのです。藤田の本質がこの絵からにじみ出ているように感じた一枚でした。

 

 

■セルフプロデュースにもたけた藤田嗣治

講演会では、この絵は、自分自身のセルフプロデュースの意味もあったという解説がありました。乳白色の肌の秘密は語らず、描いているところに人も入れなかったといいます。まだこの時期は、過渡期ではありますが、そんな嗣治が、どのように絵を描いているかを手の内を見せているのです。

 

この当時、オカッパ頭にめがね、ちょび髭、ピアスとくれば、パリでも藤田嗣治のトレードマークとして、誰もが理解するほどの知名度を得ていました。嗣治ここにあり。といった自信に満ちた表情のようでもあります。

そして私は、こんな絵を描いているというサンプル画を、画中画として2枚、上部に描きました。それらをどのように描いているのかノウハウを知らしめました。自分の売り込みを、自らの絵画を通してしていたわけです。

油絵と違って、墨画は一発勝負です。画力が求められます。墨で線画を描いていることをわざわざ絵にしたのは、自分の実力がいかほどであるかをアピールしたかったのでは?と思いました。(かつて北斎の一筆がきの漫画が、西洋をとりこにしたように、藤田の使う筆を見せてアピールしフランス人を虜にしようとしたのではないでしょうか?)

 

また、画中画にもサインが添えられています。おれは藤田だ!という声が、ここからも聞こえてきます。しかも漢字と併記です。日本の藤田なんだぞ!という心の声。そして「私は日本が好きなんだ・・・・」絞り出すような叫び声が聞こえててくるようでした。ひょうひょうとした表情とは裏腹に、しめつけられるようなような感覚に襲われました。

傍らに置かれたマッチ・・・・ 藤田はここからも何かを伝えようとしたのだと思います。藤田がここで生きた命の灯をともす。そんなことを表現しようとしたのでしょうか?

 

 

■裸婦の白い肌へのあゆみ

「乳白色の肌」へどのようなプロセスを経て確立されたのか。その萌芽ともいえるような作品から、画風を確立しつつ、白い肌の背景が変化していく様など、変遷をたどることができるまたとないチャンスです。

 

〇《タピスリーの裸婦》

 

藤田は、白い肌については一切語らず、弟子もとらず、描いている時に誰も部屋に入れさせなかったそうです。速水御舟の発泡している紫陽花を思い出しまし重曹かな?と思ったりしたのですが・・・・) 

近年、修復の際に、成分が分析されたそうです。ベビーパウダーと一般的には言われていますが、その中のタルクという成分によるものだとわかったそうです。

 

〇乳白色の肌の秘密 (wiki phediaより)

藤田は絵の特徴であった『乳白色の肌』の秘密については一切語らなかった。近年、絵画が修復された際にその実態が明らかにされた。藤田は、硫酸バリウムを下地に用い、その上に炭酸カルシウム鉛白を1:3の割合で混ぜた絵具を塗っていた[8]。炭酸カルシウムはと混ざるとほんのわずかに黄色を帯びる。さらに絵画の下地表層からはタルクが検出されており、その正体は和光堂シッカロールだったことが2011年に発表された[9]

タルクの働きによって半光沢の滑らかなマティエールが得られ、面相筆で輪郭線を描く際に墨の定着や運筆のし易さが向上し、での箔置きも可能になる。この事実は、藤田が唯一製作時の撮影を許した土門拳による1942年の写真から判明した。以上の2つが藤田の絵の秘密であったと考えられている。ただし、藤田が画面表面にタルクを用いているのは、弟子の岡鹿之助が以前から報告している[10][11]

反面、藤田の技法は脆弱で経年劣化しやすい。水に反応し、絵肌は割れやすく、広い範囲に及ぶ網目状の亀裂の発生が度々観察される[12]。また、多くの藤田作品には地塗り表面に特徴的な気泡の穴が多数散見され(贋作にはこの気泡は無いという)、これは油絵の具に混ぜた炭酸カルシウムと油が反応して発生したガスの穴だと考えられる[13]

 

藤田作品には気泡が見られたとのこと。炭酸カルシウムと油の反応によるガス。御舟の有名な《翠苔緑芝》は炭酸水素ナトリウム(重曹)による発泡。なんとなく似てるけど非なるもの・・・・

  

◆講演会の解説より

キャンパスの布張りは自分でしたそう。そこにベビーパウダー(タルク)を使って布地にしみこませる(?)と透明で光沢がでる。その上から墨で描く。旅先ではそこにあるもので代用。配合については、化学の知識があったわけではなかったので、定量的ではなかったそう。

 

参考:オレンジのR+ // 藤田嗣治・乳白色の肌のひみつ

 

タルク: wikipedhiaより

滑石(かっせき)は、珪酸塩鉱物の一種でフィロケイ酸塩鉱物に分類される鉱物。あるいはこの鉱物を主成分とする岩石の名称。別名として英語名talc(タルク)、フレンチチョーク、ステアタイト、ソープストーンなどがある。

水酸化マグネシウムケイ酸塩からなる鉱物で、粘土鉱物の一種。

色は一般に白でろうそくの真珠のような光沢を持っている。滑石はモース硬度1の基準。鉱物の中で最もやわらかいもののひとつ。爪で傷つけることもできる(爪の硬度は2.5度)。純粋なものは安定した硬度を示す。不純物が含まれる場合は硬度が高くなる。

チョーク、黒板用、裁縫の時に使うチャコ、工事現場などでのマーキング用、熱で消えないため溶接製鉄の現場で使用されている 。
その他に、玩具、ベビーパウダーなど化粧品類、医薬品、上質紙の混ぜ物など。

 

〇フランス更紗で引き立てる

 背景の柄の布は、ジェイ布と言われるフランスの更紗で、藤田は職人的手仕事に興味を持ち、それが廃れていくのを憂いて、画中に用いました。それは、白い肌をより引き立てる役目を果たしました。

フランスの更紗・・・ 織物。しかしこの模様が織物には見えません。ツルリンとした質感で、藤田が評価した織の技術を感じさせないと思っていました。

講演会の時に、フランス更紗にはプリントもあったようです。それで納得ができました。この布の模様はプリントされたものだったのでしょう。

 

 

〇《五人の裸婦》1923年 東京国立近代美術館

 

白い裸婦の作品を見ていないと思っていたのですが、近美で撮影した写真を探していたら、出てきました。この頃、戦争画の方に興味があったため記憶からも消えてしまったようです。

 

「五人の裸婦」は五感を表現しているといいます。どの人がどの感覚なのかちょっと考えてみてから答え合わせをしてみてはいかがでしょうか?答えは・・・・

説明を見ながらあてはめていくと、言葉に誘導されて理解しているように感じます。まずは、何も説明なし理由とともに考えると、意外に、いろいろな解釈ポイントが見つかります。解説を見る前に、考えてみるのも、物の捉え方のパターンが見えてきたりします。

 

 

答えは左から

 「触覚」布を持つ

 「聴覚」耳を触る

 「視角」絵画にとって一番重要な視覚

 「味覚」口を指す

 「嗅覚」犬を伴う

 

こちらの布の柄は、描かれなくなりました。

この絵を左から、そして右から見ると、奥行き感が変化します。5人の女性の配置がどこか屏風のような効果が醸し出しているように感じられました。

 

 

〇《舞踏会の前》 

 

こちらは布はなくなり、中央に置かれた黒いマスクが目を引きます。その後ろにいるのが藤田とのかかわりのあった女性。雪のように白いのでユキと読んだ女性。中央で一番引き立つ形で描かれています。 

 

裸婦像は、浮世絵のような平面的な画面区政に日本の特徴が見られ、第二のジャポニスムを起こしていました。

 

 

 

〇《坐る女》西洋美術館

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《坐る女》1929年 西洋美術館・・・・今回は展示なし

 

この背景の金。かつて尾形光琳の《紅白梅図屏風》金屏風が金か、金でないかという真贋が話題になったことがありました。この絵の金箔表現。何も知らずに見たら、本当に金箔がはってあると思ってしまうほどの表現です。

そこで、描いたものだとわかっていますが、それをリセットして、あえて「金箔が張られたもの」という仮定の元見た時、「これは金箔ではない」と判断できる部分はどこかというシュミュレーションをしながら見ていた藤田の絵です。

 

〇《エミリー・クレイン=シャドボーンの肖像》

《坐る女》とよく似た構図です。背景は黒いマス目。当然、これは、描かれたもの・・・・とみていました。ところが、銀箔が張られていて経年変色をしたのだそう。

金は描いたはずなのに・・・・ と思っていたら、いくつかこの手の作品があるそうですがこの作品だけ、実際に銀箔が張られたそうです。

 

 

 

 

■作戦記録画を描いた藤田

〇《 アッツ島玉砕》

 アッツ島玉砕 東京都国立近代美術館

 

 

〇《サイパン島同胞臣節を全うす》

サイパン島同胞臣節を全うす  東京都国立近代美術館

 

初めて近美で見た時の印象と、2度目の印象が全く違ったことに驚きました。いきなりこれを目の当たりにしてしまった時の衝撃。最初、向き合うことを拒む時間があって、次第に何が描かれているのかが浮かび上がり、さらに見えていなかったものが突然、目に飛び込んで、息を飲んだり・・・・ つかみどころのない得たいの知れないものから、時間をかけて全貌を把握するというプロセス。

 

ところが、2度目は、そのプロセスなく、全貌が見えてしまいます。時間を経て理解するプロセスが飛ばされてしまいました。

意識は、まだ見ぬ、藤田作品へと興味は向かっていたのでした。 

 

 

参考:藤田嗣治 アッツ島 - 新地のドゥルーズ

 

戦争画については、軍から依頼があったそうですが、藤田は自ら描いたそうです。出自によるところの影響など、横山大観に通じるものを感じました。

 

 

〇《争闘(猫)》1940年

よく目にした猫がいっぱいの絵。じっくり見ていなかったので、藤田の好きな猫がじゃれあっている楽しい絵だとばかり思っていたら違っていました。

戦争のことを比喩しているように聞きましたが、画壇のことであるという話もあるようです。

 

参考:伊藤卓美の木版画ブログ » ⑦ 藤田嗣治の猫「闘争」の話

 

 

■晩年に向けて 

以前、ポーラ美術館で見ていた藤田作品は、どの位置付けになるのか・・・・ そして晩年の画風の変化も著しいです。 世界を旅した藤田は、行く先々で作風が変わり、また女性によっても変化しました。

 

最後、フランス国籍をとり洗礼を受け、宗教画を描いていました。その中に自分自身を描き混んでいました。

 

フランスの地に骨をうずめましたが、最後まで、日本を思い、日本人であることの誇りを持ち続けていた人という認識に変わりました。配られていた号外には・・・・

 

 

この言葉に尽くされていると思いました。

 

■関連

藤田嗣治 アッツ島 - 新地のドゥルーズ

オレンジのR+ // 藤田嗣治・乳白色の肌のひみつ

伊藤卓美の木版画ブログ » ⑦ 藤田嗣治の猫「闘争」の話 

東京藝術大学大学美術館 藤田嗣治資料について - akihitosuzuki's diary

戦争画リターンズ

 

 

【追記】2018.09.09 藤田の乳白色の秘密

いろいろ書かれているけども、どうも府に落ちませんでした。ああそうかと、解説が納得できないのです。それぞれの物質の特質を調べて、自分で仕組、原理を考えてみたのですが、タルクは白い肌に直接的な影響を与えていない気がするのです。

(タルクがどうも一人歩きしている気がする・・・・)

あの白を構成しているのは、タルクというよりも・・・・  ずっと、そんなひっかかりがあって、講演会を聞いたり「美術手帖」を見たり、調べてみたりしていて、図解が欲しい!と思っていたら「美術の窓」に図解がありやっとわかってきた感じ。

昨日の講演会で登壇された林洋子氏の著書に、色の秘密が詳しいことがわかりました。

帰りに、西洋美術館に行って、再度、「坐る女」を見てきました。これまで全く気付いていなかった面相筆で描かれた女性のスカートのしわ。線でそれを表すことがいかに画力があることが理解できるようになっています。

最初は、この金はどうやってえ描いたのか。すっとそれが気にかかって見続けていたのですが、それがわってきた気がしました。

 

また、乳白色はこれという決まった方法をとっていたのではなく、タルクもいろいろな形で使ってました。

基本的な水と油。それをなじませるには、その中間の性質の物質の媒介が必要。

これ、組織標本のパラフィンブロックを作製する時の方法を頭に思い浮かべていました。脱水 脱アルコール パラフィン固定。水から油になじませるプロセスで使ったエーテル。それに値するのタルクかと思って調べていたのですが、どうも性質が違います。

藤田は科学を知らないと聞いていますが、科学の基本原理というのは知っていたんだなと思いました。