コロコロのアート 見て歩記&調べ歩記

美術鑑賞を通して感じたこと、考えたこと、調べたことを、過去と繋げて追記したりして変化を楽しむブログ 一枚の絵を深堀したり・・・ 

■うるしの彩り―漆黒と金銀が織りなす美の世界(自分用メモ)

 

 泉屋博古館分館で行われている「うるしの彩り」で、講演会「漆器で愉しむ京(みやこ)の文化」が行われました。そのお話で気になったことや、調べたこと、過去の鑑賞とつなげた関連などランダムにメモ。

 

 

■近代化の波 「京都」と「東京」の違い

講演者は、前京都国立近代美術館学芸員で、現東京の近美の中尾優衣氏。京都の方が語る京都の近代について。そのお話は、浅井忠展でも耳にしていました。京都の方が語るそのお話は、そこに暮らした方の温度が感じられます。

 

日本が明治となり「近代」を迎え、日本国中が近代という時代を迎えます。しかしどこも同じように「近代」を迎えたわけではありませんでした。

特に京都にとっての近代化は、別の意味を持っていました。文化基準がそれまで京都だったのですが、東京へ移りました。

それに伴い天皇は東京へ、同時に公家も東京へ移動。京都の工芸の買い手が東京に移動してしまいました。それまで文化の担い手で、伝統を支えてきたというプライドを失ってしまいます。それが京都にとっての近代化のスタートだったのです。そこからの復興が、京都にとっての近代化でした。

東京における近代は、西洋から学びでしたが、京都の近代化のモデルは、過去にありました。

  ⇒関連:■浅井忠の京都遺産:都の遷都の影響

 

京都にとって近代化は、よいことばかりではなく、そのような状況の中で、明治初期、どんな人たちが京都を支えたのかをこの展示では紹介されています。「近代以降」の漆芸を中心となります。今回の展覧会は「住友コレクションの漆工芸品が東京初上陸」でもあり、「漆作品だけの企画は東京初」なのだそうです。   

 

 

〇産業の近代化における方向性

・焼き物:釉薬の開発
・染色:新染料の開発
・漆芸:技術はすでに確立 海外の目標もない。 ⇒図案化

 

蒔絵の図案‣・・・作家に図案、デザインの意識はない

・漆芸におけるプロデューサー的存在 ⇒神坂雪佳 浅井忠 迎田秋悦
・いろいろなジャンルができる職人のつながり

 

職人の意識向上・・・自分たちもデザインを磨かねば

 

漆器関連の美術展のつながり 展示品の違い

根津美術館「はじめての古美術鑑賞 漆の装飾と技法」が行われており、こちらの展示で技法について理解することができました。そのあとに泉屋博古館分館「うるしの彩り」を見ることによって理解もより深まります。

 

展示品を見るなり、根津美術館で見た漆と全く違うことが見てとれました。つやつやとしていて、新しさを感じさせられます。技術がさらに高度に洗練された時代のものにに感じられました。

 

最初は予備情報なく見ていたので、いつの時代のものであるかを認識をしていなかったのですが、今の時代に近いものだということが見てとれました。

根津美術館で見た漆器の技術も、時代が下がるにつれ素晴らしさを感じさせられる漆器でした。が、それをさらに上回る技術の粋を見せつけているように感じられました。同じ漆器ながら、似て非なるものように見えたのです。

ツヤツヤ輝いていて、新鮮な躍動感のようなものがあるように思いました。このつややかさは、もしかしたらライティングによるものなのかも? とも思ったのですが、時代経た表面のくすみのようなものが一切なく、真新しささえ感じさせられたほどです。表面のなめらかさによって光が反射しているため、さらに輝いているようでした。

時代を経た漆器を代々受け継ぎながら、保管されたものなのかもと考えたりしたのですが、そうではなさそうな気配が漂っていました。 

制作されたのは、大正9年、春翠が京都の漆器商「像彦」に特注したものであることがわかりました。

 

これと同じような感覚「典雅と奇想―明末清初の中国名画展」の時にもありました。明、清の時代の絵画作品。静嘉堂文庫美術館所有作品と、泉屋博古館分館所有作品が明らかに違うと感じられたのも、時代の違いだったのです。

関連:■「静嘉堂」と「泉屋」の作品は似て非なるもの
 
  ■中国絵画の認識がくつがえる   

 

技法については、東博の本館の漆コーナーにも、技法の解説とともに、各種展示がされているので、合わせて参考にするとより理解が深まります。

関連:■資料:蒔絵技法  (東京国立博物館 常設展にて撮影) 

  

 

 

■展覧会の展示について

本展では、住友家に伝わった日本、琉球、朝鮮、中国の漆工芸品の中から、茶道具や香道具、そして近代に製作された華やかなおもてなしのうつわを紹介。茶道や香道能楽などの伝統文化の世界で重用された作品や、京都で作られた雅な会席具や書斎を飾る硯箱など、おもに賓客をもてなす場で使われた華やかな調度を紹介するとともに、文人たちが愛玩した中国や琉球の作品もあわせて展示する。変化に富んだ華麗な漆の世界が楽しめる展覧会。(HPより)

 

展示構成は次のとおりです
 〇能とうるし ―楽器と衣桁―
 〇宴の器
 〇伝統文化とうるしの美術
 〇中国から琉球、そして日本へ
 〇伝統と革新 ―明治時代の漆芸家たち―

 

 

■住友春翠について

今回、展示されている作品群は、「住友春翠」という目利きによって集められた道具であるということを、強く感じられる展示となっていました。特に能楽などの伝統に基づく漆器類は、実際に使うためのもてなし用の揃えです。その発注において、春翠の公家という出自と、そこで育った環境、受けた教育が色濃く反映されていることが、解説から伝わってきました。

 

春翠は、住友家15代。実は、直系ではなかったことを今回の展示で知りました。平安時代から続く清華家徳大寺公純の第6子で、子供のころから日本の伝統文化、茶の湯能楽を嗜んでいました。1892年に住友家の養子となり、家督を継ぎます。

住友家に入ってからは、幼少から親しんでいた、茶の湯、能に関する道具類を収集。能で使われる楽器、鼓や太鼓、笛なども蒐集されそれらも展示されています。

それまで住友家は、関西の国賓を迎える迎賓館の位置づけも担っていました。そこで行われる招宴の余興は、歌舞伎でした。ところが春翠の代になって、に変わったのだといいます。

 

能をたしなんだ春翠は、自邸に能舞台を作って能を催したあと、もてなしをするのですが、その会席の道具は特注オーダーしたものでした。自らも能を学び演じ、謡の会も開くほどで、それは趣味を超えるほどだったといいます。

 

住友コレクションにおいて、15代春翠という存在は、その後のコレクションの方向性と基礎を築いたともいえる存在だったのでした。

 

 

■宴の器

謡曲をテーマに制作された漆器

能の会が催されたあとの宴で使われた謡曲蒔絵会席具」が展示されています。これらの漆器の統一テーマは「謡曲」(能の謡)でした。

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写真は図録の表紙部分のアップ

開いた扇子と閉じた扇子が描かれています。扇が「謡」を意味しています。閉じた扇子には観世水という独特の文が描かれていることからそれを伺うことができるといいます。

 

◆観世水:渦を巻く水の模様。扇面謡本の表紙などに用いられる。

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引用:光琳観世水 | 京唐紙 山崎商店

この水文、光琳派と似てるなぁと思って見ていたのですが、時代を考えると観世水を光琳が自信の特徴として「光琳波」にしたようです。

 

〇意匠は春翠の意向によるもの

開かれた扇には舞台で使用される象徴的な作り物、能装束、小道具、あるいは曲を連想させる、自然、風物、動植物などが描かれています。これらは熟考の上でデザインされたものと考えられ、中には難解なものありました。それらは能を楽しむ人たちが宴席で会話の糸口となるよう、春翠が意図したものと考えれています。

さらにお椀の外側には観世千鳥内側には観世水描かれています。

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(図録p11)

 お椀の観世千鳥は、観世流謡本の表紙や見返しに使われて親しまれていたらしく、謡の嗜みがある客にはすぐにわかるという趣向でした。

 

こちらが、観世流謡本の表紙で観世千鳥が描かれています。 

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引用:【檜書店】::能・狂言の本棚::観世流・謡本

 

〇京都名所膳

真っ黒けっけ・・・・の何の変哲もない黒い漆器がガラスケースに。ところが、ある角度のところで突如現れた景色に、はっと息をのみました。一瞬、ただの漆塗りに見えることから、闇蒔絵、夜桜蒔絵ともいわれているそうです。

これらは、明治時代活躍した京都の画家が描いた京都の名所を、漆で描いた膳盆です。本人ではなく蒔絵師が再現しており、画家の筆跡なども真似ているというから驚きです。

金閣寺》今尾景年・・・・ (前回の展示、木島桜谷の師匠だ! 知ってる! あとはよくわかりません。)

この盆は、どうやって制作されたのでしょうか? 漆を厚塗りして彫った? 彫ったあとに炭で研ぎだしたらしいです。

また、描いた画家の筆致までも再現されているとのこと。

 

〇客をもてなす心

能舞台まで作り、自らも演じる。その宴席でふるまわれる道具にまでこだわり、意匠の工夫までこらして発注。これらの細やかな配慮は、宴の趣向や客の好みを考慮しながら提供されていました。

春翠の公家としての育ちからくる素養、嗜みとして身に着けた能の趣味が作り上げた美意識がここに結晶となって展示されています。

 

〇時代を担う人たち

住友家のコレクションの基礎を築いた人物と言われる所以が、これらの作品だけでなく、この時代に生を受けて、財閥として生きる人者としての役割。

日本という国を支えていくという気概のようなものを感じさせられます。数寄者として、日本の伝統文化、技術を守り発展させた横顔がうかがえました。

 

関連:■中国絵画に高い評価を与えた日本の財閥

 

泉屋博古館の住友春翠」「根津美術館根津嘉一郎」「 静嘉堂文庫美術館の岩﨑彌之助」らの美意識によって集められた美術品を、これまで機会あるごとに、いろいろな作品を通して触れてきました。

その時代の日本がおかれた状況において、自分たちに課した使命を担っているようです。根底ある思いは同じながら、蒐集された美術品の違いなど、面白く感じられました。

 

住友家は、いろいろな形で作家を支援していましたが、蒔絵の発展にも尽力していました。資金を共同出費して有限責任浪華蒔絵所」を、原材料の漆が入手しやすい神戸港に近い大阪で、大阪の実業家・芝川又平と共に設立しました。

それは1900年のパリ万国博覧会で、すぐれた漆工芸を紹介するため、技術を育成することを目的とした有限責任日本蒔絵合資会社の設立もしています。

 

 

■「内国勧業博覧会」から世界へ 

日本から万国博覧会に出品された美術工芸品は欧米で人気を博し、1873年のウィーン万博ではジャポニズムが起こり、柴田是真は「ZESHIN」として有名になりました。

下の作品は是真の弟子、池田泰真の額絵です。

野菜盛籠図蒔絵額  明治35年 池田泰真(柴田是真の高弟)第5回内国勧業博覧会出品作。

第5回内国勧業博覧会にて、工芸を「美術」作品とするために考案と解説されています。まるで絵のような漆画ですが、日本において、工芸は海外と違って下には見られていなかったはずです。なぜ、美術作品と張り合うようなことをしたのでしょうか?

 

それは、ジャポニスムの衰退が見られ、1900年、パリ万博ではアールヌーボーの時代となっていました。西洋ではガレなどが工芸品の地位向上に尽力していましたが、復権はしていません。

海外に輸出するためには、工芸を美術としてとらえてもらう必要があったのでした。明治時代の漆芸家たちは《野菜盛籠図蒔絵額》で様々な質感を漆で表現しています。是真の高弟らしい作品 。

 

参考:■内国勧業博覧会について

 

 

■技法について覚書

うるしについて  堅牢性、接着性の他に耐熱性もあり

高蒔絵:高く盛る素材はなんだろうと思っていたのですが炭粉や錆漆

梨子地:金属粉を蒔いて「透明漆」を塗り込む

研出蒔絵:蒔粉のあとに漆を刷り込んだのは、昔、金の質が均一でなく定着しにくいため、漆の接着性を利用して安定させた

彫漆赤と黒が主流だが、緑、白、黄がある。黄色は皇帝用。  

平蒔絵:平滑面に漆で文様を描き、蒔絵粉を蒔いたあと磨いて仕上げ。平易な技法と言われ、安土桃山時代に流行。戦国時代、発注を受けても明日のわからない時代。迅速に納品ができるためよく使われた。

 

〇中国で発展した「彫漆」の彫は、玉や象牙を加工する技術があったから

〇中国と日本の螺鈿の違い 中国は全面、日本はちょろっとさりげなく、ポイント的に効果的に使われている。下記のような使いこなしを見ると、中国のように全面にちりばめた螺鈿が発展しなかった理由がわかる気がします。

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《秋草蒔絵硯箱》(図録p20より) 

 

〇唐子図螺鈿長方盆

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《唐子図螺鈿長方盆》(リーフレットp25)

唐子に使われた螺鈿の輝き。この部分が螺鈿の技法の解説写真にも使われていました。この子供に使われた貝の発色が、何とも言えず妖艶。虹色の発色が曜変天目茶碗そのものを感じさせられました。

中国では虹色を好まないという話があります。しかし螺鈿は、夜光貝や鮑貝の虹色光沢を真珠層を加工して用いられます。しかも、漆器、全体に散りばめることを好んだのに、なぜ、曜変天目の発色を好まなかったのか、謎に感じられました。

 

 

清朝皇帝の好みの共通性

 中国で独自にに発展した漆の技術が「彫漆」や「螺鈿。皇帝や貴族のステータスシンボルとして発展。漆を幾重にも重ね、その上で堅牢な漆に文様を彫るという作業と技術。高価な漆を削り落してしまうという贅沢さ。玉や象牙などの加工技術が発展の背景にあったといいます。

元、明、清の時代に渡る作品が展示されています。清王朝といえば、サントリー美術館で、「清朝皇帝がのガラス」の展示が思いだされます。

清の時代のガラスは分厚く、はっきりとした色の発色があり、彫刻のような彫り物や造作が施されていました。ガラスを重ね彫るという作業は、大変な作業に思えますが、玉などの彫り込みと比べたら容易だったといいます。堅牢な漆の加工も、ものともしなかったのは、同様の技術によるものなのだと思いました。

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(サントリー美術館「ガレも愛したー清朝皇帝のガラスにて 撮影・転載自由)

 

清時代の漆器も、清朝皇帝の好んだガラスと似たテイストに思えます。彫の深い「堆朱」などの作品があり、趣向の共通性を感じさせられました。

過去に見た明清絵画などとも重ね合わせると、明清という時代の皇帝の好みが浮かび上がってくるようです。

 

文化の発展において、世界に共通していると感じられていたこと。平和な時代になると文化レベルやその技術、表現が飛躍的に進むということです。中国の明から清時代しかり、江戸中期から後期の文化の熟成もまた同様です。そしてエリートだけない文化の広がりもみせるようです。

 

 

■つながり デジャブ感のあった作品

柳橋柴舟図屏風  

写真がないのですが、画面の川は和歌で詠われる宇治川で、江戸時代に好まれた題材。右隻の柳の新緑から左隻の雪景色で季節の筒り替わりを表現しています。江戸時代前期に描かれた復古作と解説。

 

右隻の一部の柳が、逆向きに風にあおられています。突然、一部に風が吹く・・・・ これMOA美術館で見た記憶があります。舟への波が描かれています。4・5・.6扇のところで視線の角度が変わっていて上から俯瞰した視界に。

右から左へと季節が変わり、左隻では田んぼの稲が刈られたあと、雪が降り冬景色です。籠があってそのあたりにカットされた木が描かれていますが、何の木でしょうか? これも季節を表しているのかもしれません。舟に何か乗せられていますが、これは何でしょうか?

 

この屏風を見て思いだされたのが、MOA美術館で見たちらの作品 

柳橋図屏風》作者不明の作品 

 

このモチーフは、長谷川等伯も描いています。

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出典:七尾美術館 長谷川等伯「柳橋水車図屏風」 : 英四郎

 

等伯の時代から描き継がれたテーマだそうです。

柳橋水車図屏風」は桃山時代後期から江戸時代初期の比較的限られた期間に、一定のパターンに則って描かれた作品22作品あるといいます。泉屋博古館にもあるのを見つけたぞ~! そういえば、岡田美術館でも、同様のモチーフで描かれた屏風を見ました。

 

参考:■MOA美術館:《柳橋図屏風》 あの等伯も描いていた!

 

 

高砂蒔絵文台  

高砂蒔絵文台》(リーフレットp31)

 

この文台、実に見事。松の葉の部分に、松の幹と根元。もりもりに盛り上がって松の根は生きて動いているかのようなリアリティー。技極めり! といった感じです。そして台の側面の細い木の部分の細工もぬかりがありません。そして足にも蒔絵が施されサインが・・・・

 

文台の松は、謡曲高砂の舞台となった播州高砂神社の相生の松

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こちらが蓋。底面の金の散らし方がなんとも言えず絶妙です。 

 

蓋の裏は、松の化身、翁と媼。蓋の表と裏が連動しています。

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高砂蒔絵文台・硯箱、大正10年。

 

謡曲高砂」を意匠化したものです。 

謡曲の「高砂」は知らなかったのですが、しかしどこかで聞いた記憶があります。サントリー美術館で行われた鈴木其一展で、能を題材にした軸の中にがあったような気がします。図録を確認してみると、確かにありました!

(図録p146)高砂

 

《猩々舞図》も観たような図柄だったなと思っていたらやはり・・・・ 

 

(図録p148)《猩々舞図》

 

古典題材にアレルギーを持っていて、これまでスルーしてきたかに思っていたのですが、見ていないつもりでも、記憶のどこかに留まっていて、こうして何かの拍子に出てくるものなのだなぁ…とちょっと驚きでした。

 

謡曲について 

(wikipedhiaより) 

の詞章のこと。 演劇における脚本に相当する。本来、「」と言われていたものが、大正昭和初期から「謡曲」とも称するようになった[1]謡曲は「謡の曲」という意味

 

尾形光琳 《紅白梅図屏風》は謡曲が元になっている説があると聞いたのが3年前。謡曲とはなんぞやと思いつつも、それは私の手に負えない世界の話。そういう芸能(?)文化が日本にはあるんだ…と思って遠ざけていました。

先日の日本美術のつながりでも、謡曲が題材になっているということは目にし、何度となく傍らを通りすぎていたのですが、調べるという腰があがらず今に至りました。

今回、やっと調べる気にになったら、なんのことはない、能の世界の話だったという・・・・ 同じ調べる行為なのに、雲をつかむ状態のときは、調べようという気がおこらないのだということがわかりました。わからなければ調べればいい。と思うのですが、調べることにもハードルがあって、自分の手中に入ってこないと3年も放置されてしまう。ということが、今回面白いと思ったことでした。住友家のこれらの道具を見て、春翠が工夫をこらした謡曲って何だろうと、やっと知りたいという気持ちが芽生えたのでした。) 

 

 

紫式部・黄蜀葵・菊図

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紫式部・黄蜀葵・菊図   狩野常信 江戸時代 

古典由来と思われるこのような作品。いつもなら、素通りするところなのですが、真ん中の絵が何を表しているのか、これまでの経験から、何かわかりそうな気が… 考えてみました。 

月が水に映っています。この水は琵琶湖ではないでしょうか? そしてこの場所は石山寺? 中にいるのは紫式部紫式部源氏物語を書くにあたって石山寺にこもったという話ではないか‥‥

と思ったら、当たり~

 

この逸話は、琵琶湖に映る月がキーポイントだったはず。それがどう関係していたのかあやふやになっていましたが、琵琶湖に映る月を見て源氏物語を着想したのでした。

古典が関係する作品に苦手意識を持っていましたが、少しずつ読み解けるようになってきたのを感じます。最も、石山寺に訪れたことが、一番影響しているわけですが‥‥ 

 

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(左)石山寺の源氏の間
(右)石山寺から望む琵琶湖方面

 

 

作者は狩野常信狩野探幽の甥にあたります。

  【美術評論の手法】、流派、狩野派 より

 

この軸の前に置かれた硯箱が、前出の秋のモチーフが描かれた《秋草蒔絵硯箱》で、紫式部が、硯から筆をとり思案する様子と連動しています。

硯箱のモチーフは古典文学や留守文様が暗示として用いられ、蓋の表裏、見込みにまで描かれ、実用だけでなく書院の調度品としても、用いられました。

 

  

〇十種香

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《秋草蒔絵十種香箱》

春翠のコレクションは、香道の道具にも及びます。茶道・華道・香道が、上層の公家や武家の文化として発展香道歌道、古典文芸とも結びつく高度に洗練され、世界に類をみないほど高尚なお遊びとなっています。

 

香道で使われる源氏香というものに触れたのが、箱根のハイアットの浴衣の柄でした。聞いたこともなかった「香道」という日本文化を知り、その奥深さに触れ、いかなるもののかを知りたいと思いながらも、その全容はなかなか現れてこないもどかしさがありました。少しずつ、少しずつ、香道の道具が展示されているのを見ながら、概要をつかんでいくという感じでした。

 

参考:■香道に関する予備知識

 

実際に道具を見ながら技法や香道のアイテムについて少しずつ理解

■吉野山蒔絵十種香道具

 

このような経過を経ながら、見ては少しずつ理解してきました。「謡曲」というのもこのような「道」の世界で、どんなものかすらつかみどころがなく、理解への道は長いと思っていたのでした。

 

 〇大正天皇からの献上品

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枝垂桜蒔絵絵手箱 戸蔦光孚 大正時代  リーフレットp31より

大正天皇から春翠が賜った手箱。作者のお孫さんがご覧になりご連絡があったそう。確かに桜の表現など、祖父の作品の痕跡があるとおっしゃっていらしたそうです。

 

実は、この作品、あまり気にとまりまっていませんでした。「菊の紋がある」ということも目には入っていたのですが…  すべて見終わってから、あの天皇に賜ったという桜の手箱はどこにあったっけ? という状態。

 

その前に展示されていた《高砂蒔絵文台》のインパクトの方が強く印象に残りました。《枝垂桜蒔絵絵手箱》は、どうもキンキラしすぎていて、さらりと通りすぎてしまったのでした。

日本人が中国にのように前面に施す螺鈿をあまり好まないというのも、わかる気がしました。

 

 

■その他 覚書 

〇能の楽器  

太鼓の上下に革をつけ、調緒で胴を挟んで固定して楽器として使います。革の部分がはずされているため、胴の文様の素晴らしさがわかると解説があったのですが、私が着目したのはその内部でした。
 
内部はてっきりなめらかに加工されているのだと思っていたのですが、削り跡が残っています。これらの削り方が音の反響や共鳴に影響を与えているのだろうな。かなり小さいのですが、この形からどんな音がでるのか。蒔絵の技術も去ることながら、音作りに道具をどう形作ったかに興味をもって見ていました。

 

 

■京都の近代漆芸を支えた人々

・神坂雪佳

・迎田秋悦

・戸島光孚

・象彦

・住友春翠

 

〇産業の近代化における方向性

・焼き物:釉薬の開発
・染色:新染料の開発
・漆芸:技術はすでに確立 海外の目標もない。 ⇒図案化

 

蒔絵の図案‣・・・作家に図案、デザインの意識はない

・漆芸におけるプロデューサー的存在 ⇒神坂雪佳 浅井忠 迎田秋悦
・いろいろなジャンルができる職人のつながり

 

職人の意識向上・・・自分たちもデザインを磨かねばという危機感

 

神坂雪佳《月之意蒔絵硯箱》余白を大きくとったデザイン

引用:そうだ 京都国立近代美術館、いこう。 : 而今(平成徒然草)

     

これらは、本阿弥光悦など琳派の作品を参考にしながら製作されました。

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(左)東博にて撮影 撮影OK
(右)MOA美術館にて撮影  撮影OK

 

京都の近代化は、東京が諸外国に学んだのに対し、過去の琳派を題材に学び新たなデザインを作り上げていきました。

 

本阿弥光悦が名プロデューサであったように、300年後にも名プロデューサーが現れ、いろいろなジャンルの人たちの力を結集させて新たなデザイン案を作り上げました。

それは、海外でも同様な状況が見られ、同時期に展示されているジョルジュブラックなども、自身の生まれた塗装業で培った様々な技とともに、いろいろな職人との交流によって晩年、新しい作品を作り上げていったことに共通しているのだと思いました。

 

 

■感想

これまで泉屋博古館分館の展示を何回か見てきましたが、住友家伝来の品々というとらえ方でしか見ていませんでした。そのコレクションの裏に隠されていた美意識や、蒐集したり依頼する審美眼。それを支えるバックボーン、素養。そして来客者へのおもてなしの心。さらには時代や国の発展、技術者の保護なども担っていたということを知り、漆だけてなく、住友コレクション全体の見方が変わりました。

 

個人的には、今回の展示を通して、過去に見た、展覧会のと関連付けて見ることができ、苦手意識のある古典由来の作品も、少しずつ理解できるようになってきているのを感じさせられていました。

また、以前こちらで行われた「浅井忠展」で見聞きしていたことが、漆という工芸品の側から見ることができ深まったように思います。当時の京都の危機感やそれを乗り越えようと尽力した住友家をはじめとする京都の人たちの模索。

そして万博と内国勧業博覧会がいかに影響をしあっていたか。幕末から明治となり、世界の情勢を見越しながら、明治の超絶技巧へと流れながらも、変化をよぎなくされた世界と日本の潮流。そのあたりの全体の流れを把握したくなってきました。

「〇〇博覧会の時に〇〇〇」「第〇回 内国勧業博覧会時に〇〇〇」といった断片的にこれまで見てきたことを、ジャンルをボーダレスにまとめたら、時代の空気がより理解できて全貌が見えてきそうです。

 

中国から入ってきた漆なのに、なぜか、ジャパンと称されるようにまでにしてしまった職人たちの技術の高さにも頭が下がります。