コロコロのアート 見て歩記&調べ歩記

美術鑑賞を通して感じたこと、考えたこと、調べたことを、過去と繋げて追記したりして変化を楽しむブログ 一枚の絵を深堀したり・・・ 

■光琳と乾山 ー芸術家兄弟・響き合う美意識― 恒例展示から見えてくること

 インターネットミュージアムにて根津美術館で行われている光琳と乾山 ー芸術家兄弟・響き合う美意識ー」のレポートが掲載されました。ご覧いただけましたら幸いです。

以下、レーポートでご紹介できなかった補足説明です。

*写真は主催者の許可を得て撮影、掲載をしております。

 

 

■恒例展示される作品鑑賞のススメ

毎年、季節に合わせた恒例展示が、各美術館で行われております。

1月は東博で《松林図屏風》、2月はMOA美術館の《紅白梅図屏風》、そして4月5月は、根津美術館で《燕子花図屏風》の展示が行われます。

 

毎年、同じ作品を10年続けて見たら、さぞや鑑賞レベル上がるに違いない。一年、一年の受け止め方の変化を追うことができて、新たな発見を記録していけば、鑑賞の成長記録になります。

音楽を聴くと、その時代や思い出がよみがえるように、絵画と思い出が結びつき心に刻まれていくというのもいいかも‥‥ そんなことを思いながら、恒例鑑賞を続けてみようと思いました。

 

 

■鑑賞レベルは段階的にはあがらない

実際にいくつかの作品を数年間、続けて見てわかったことは、鑑賞眼は思うようには向上しないということでした。

最初のうちは、わからないことだらけなので、いろいろ理解ができて楽しいのです。ところが、毎年見ていると、それなりに知識が蓄積されていくかというと、逆にマンネリ化してしまうということに気づかされました。

 

 

■絵画によっても違う

《松林図屏風》は、数年、定期的に見ていて、頭打ち状態になっていることを感じていました。それでも京博の国宝展では「場所が変われば印象も変わるかもしれない」といそいそ出かけました。

ところが、《燕子花図屏風》は、100年ぶりの里帰りと言われてもいいや・・・と思ってしまいました。また小学館の国宝シリーズ、自分が見た作品の時は、購入しているのですが、なぜか《燕子花図屏風》の号はパスしていたことにも気づきました。

昨年の根津美術館の展示では、ほとんど、見ておらず、全く鑑賞の記憶がありません。おそらくそれは私だけでないはず。展示会場にいた人たちも《燕子花図屏風》の前で、立ち止まっている人がいませんでした。遠目に見ていましたが、ちょっとかわいそうな感じ‥‥ みんな《夏秋渓流図屏風》に首ったけでした。

 

自分の中では、変化がなくて、つまらなく感じていました。それは、ここにいる人達も同じという妙な連帯感まで感じていました。結局、毎年、何度も見てると、飽きてきてしまう‥‥

それはブログの記録を見ても明確で、恒例の《燕子花図屏風》を見に行ったはずなのに、何も触れられていませんでした。

 

昨年、ほとんど見てなかったので、今年は、乾山のついでにちゃんと見ておこうかな。そんなつもりで訪れたのでした。

 

■いきなりわしづかみ状態  乾山はそっちのけ

会場に入るなり目に飛び込んできた屏風。なに、これ? この屏風ってこんな状態だった? 今まで見てきた屏風と全く違うんですけど‥‥ どういうこと?

 

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妙に立体的・・・・ 右上から流れるような対角線に配された燕子花。左の燕子花はそれを受けとめているようです。足元は見えていません。大地に根ざして力強く安定しています。右隻と左隻が作り出すV字。それによってできる遠近感。これまで、この屏風を右から、左から、何度も角度を変えて見てきたのに、こんな見え方は初めてです。正面から見た時の遠近感とは全く違う距離感です。

 

正面のアングルが作り出す遠近感 (平面的な遠近)

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燕子花図屏風 尾形光琳筆 紙本金地着色 日本・江戸時代 18世紀 根津美術館

右隻からは死角になってみえなかったのですが、中央部分(左隻一扇)の葉は、右隻から連続していたこと今年、初めて気づきました。 

屏風は、右、左で見え方が変化しますが、それだけでなく、右側のどの角度から見るかによっても違うことも知っています。いろいろな角度で見てきたつもりです。しかし初めて見るアングルによる構図と出会いました。

おそらく今回は、ベストポジションの角度を捉えることができたのだと思いました。それにしても、これまで何度も、角度も変えて見ていたのですが、なぜこのポジションをとらえることができなかったのでしょうか? 単に気づかなかっただけなのか‥‥

 

 

■展示場所が違うと、動線によって見る角度が変わる

その理由がわかりました! 展示ケースの位置の違いです(たぶん)。1階のフロアマップはこんな感じになっています。今年の展示位置は、これまで私が見てきた展示位置と違いました。(下図) 

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入口から入って、いきなりお目見えした《燕子花図屏風》。赤い矢印が今年(2018)の動線です。きっとこの入射角(?)が、ベストアングルで、ドンピシャとなったのだと思いました。

昨年(2017)の展示場所は、見るまでの動線は、いろいろなパターンになることが考えられます。この配置だと、今年と同じような角度から見ることは難しいこともわかりました。

そのため、今まで見たことのない、驚くような構図と遭遇できたのだと思われました。

つまり、展示の位置によっては、左右から見る角度に制限ができます。それによってこれまで見たことのなかったアングルができ、新しい構図の見え方が見つかる。そんな期待が生まれたのが、今年の発見の一つです。

 

 参考:■動線と空間の違い

動線によって見え方違うということについては、過去にも書いていました。

 

 

■燕子花の花が多彩

鑑賞前に今回の企画を担当された野口剛学芸第一課長よりレクチャーがありました。《燕子花図屏風》について、「花にはいろいろな色があり、群青の濃淡で表され、分厚く塗られている。葉は緑青で筆の勢いがあり、リズミカルに一気に描かれている」という解説でした。

その影響でしょうか、花に目が向かいました。

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この屏風の燕子花、こんなにも多彩だったとは! ずっと青のベタ塗りだと思っていましたが、こんなにも色が違っていたことに驚きました。塗り方もそれぞれの花で表情が違っています。そして花だけなくいろんな蕾があることに今更ながら気づいたのです。

 

葉の状態はどうかな? と思ったのですが、葉は単調のようでした。

f:id:korokoroblog:20180420214206p:plainと会場では思っていたのですが、こうして写真で見ると濃淡が確認できます。

 

考えてみたら、これまで、近寄って花や葉を単体で見ていなかったことに気づきました。「花もしっかり描かれているので注目して下さい」という学芸員さんの一言が、こんなに視覚の広がりをもたらすことにもびっくり。

マンネリ感に陥っていた屏風も、ちょっとした視点を提示していただくと新たな見え方に遭遇できます。

 

■パターンで描かれたという解説によって固定化される視線

 《燕子花図屏風》を理解する上で、「パターンで描かれている」ということがよく語られます。どこにそのパターンがあるのだろう・・・ と探す目線は、引きの視線です。また構図、バランスなどデザインとしてすぐれているという評価も引きのアングル
 
そのため、この作品は、遠くから見るという鑑賞を固定化しやすい力が働いていたかも? と思わされました。近くで見るという機会を失していました。
 
自分の鑑賞の傾向として、ヨリのアングルを好みます。ところがこの屏風に関しては、あまり近くで見ることをしていませんでした。そのため、こんなに花の色が違っていたことに今更ながら気づかされたのです。これは今年の鑑賞の大きな発見です。
 
 

■庭のカキツバタと比較

庭に出てみました。今はどんな状態なのでしょう… 

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開花は、まだまだ先のようです。
 
野口学芸員から「屏風の蕾は、庭の変化と同じようです」と言われた時に、ハッとしました。カキツバタの庭を身近で見ている方ならではの視線。日々の微妙な変化を手に取るように目にしているからこそわかること。今の状態から、初めて開花する瞬間にも遭遇したりできるのだろうな。と思っていたら数日後‥‥ 一輪の開花を捉えたお知らせが届きました。

ふっくらとした蕾もとらえています。

カキツバタの瞬間、瞬間がこの屏風に納められている。ということは、この屏風は、意匠化されたデザインとして語られることが多いけども、その背景には、綿密な観察があったはずだと思いました。

 
屏風の公開前日、今の花や蕾の状態は、どんな状態なんだろう…と庭に出たら、まだまだ先の様子でした。しかし、ヨリで見ていたら、きっと固い蕾がそこにあったはずです。
 
家に帰って、以前、訪れた時に撮影した写真を引っ張りだしてみました。

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(2015.5.13撮影)
 
花や蕾の状態を確認しようと思ったのですが、すべて引きのアングルばかり。ヨリ写真が全くありません。写真撮影をする時は、その時、気になった部分に近寄って撮影することが多いのですが、カキツバタの庭は引きの写真ばかりでした。
 
一方、カキツバタ以外の庭は、こんなアングルで撮影されています。
https://www.photojoiner.net/image/va8D4emN
(2015.5.13)
苔や草類、石、何でもかんでも寄って撮影しているのに・・・ なぜか、カキツバタは遠景だけ。
 
これは、絶対に《燕子花図屏風》の解説に影響されてる! って思いました(笑) 屏風の「パターン化した絵」という解説によって、庭の写真撮影まで、引きの目で見ていたのでした。
 
 

■見方を固定化しない

この屏風は意匠的で、デザイン、構成にすぐれているという見方を知ると、その方向でしか見なくなってしまうということがわかりました。無意識のうちの見るアングルも決まってしまい、屏風だけでなく庭を見る視線までも…
 
図録を見ると、《燕子花図屏風》の解説に(p117)
型紙を屏風絵に応用したものと理解されることが多いが、かつて宗達が関与して制作された木版による金銀泥摺り、それを横長の巻物に適用した作品がヒントになった可能性も考えてみたい。
とあるように、一般的な解釈があるけども、別の視点を加えて自分なりの見方や解釈ををみつけていくことで、恒例展示を鑑賞していく深みにつながっていきそうです。
 
 

■感想 まとめ

美術の鑑賞方法というのも、次第に慣れによるパターン化に陥っていることが見えました。屏風を同じ右隻から見ても角度が変わると見え方が変わるといった、わかっているつもりのことでも、ちょっとしたきっかけが、これまでになかった表情を見せたり、ベストアングルをもたらしたりするのです。さらにその奥に潜む姿があることがわかりました。
 
また、デザイン画と思っていた屏風は、実はしっかりとした自然観察のもとに表現されていたということに、学芸員さんの一言から感じました。ところがそのことも、図録の中で触れられていたのです。
燕子花の多様な描写の源には、写生があると想像されるが・・・
「蕾の様子は、庭の状態と同じです」という野口学芸員のお話を伺ったからこそ、この解説の意味をリアル感覚として受け止めることができました。もしそれがなかったら、言葉面だけで流れてしまっただろうと思います。
 
繰り返し見ていると、飽きる‥‥ そういう時期がどうしても訪れてしまいます。しかし、何か発見はあるはず。そのヒントがどこかにある。そして興味を感じなかったということも、重要な鑑賞記録なんだと思いました。
 
毎年、毎年、新しい発見があるわけではない。その時間は、次の鑑賞への熟成の時間。継続して鑑賞する中、なんで興味が湧かなかったのか。それはどんなことを知ると、新たな興味につながるのか。興味を感じなくなった時間は、次の階段を上がるための踊り場のようなもの。そこに大きな意味もあるように思いました。そんなことを、一つ一つ、みつけていきたいと思います。
 
美術品を「理解をする」ってどういうことなのだろうと考えてきましたが、いろいろな方向から、少しずつ新しい視点が加わることで深まっていくことがわかります。そして自分のモノの見方というのも、だんだん見えてきて、なんとなくこんなふうに見ているなと思っていたことが、明確にわかりました。
 
ズームで見るのが好き。これは顕微鏡を覗く時のミクロ、マクロの視点で見ることが影響しているのかも。経年変化、定点観測が好き。それは、中一の夏休みの自由研究、朝顔の観察に源流があるのかもしれない。その後、出かけた先々で日の出、日の入りウォッチグをしたり、夜景の経時変化の観察につながっているような。このような自分のこれまでの体験が、美術作品を見る時の見方に影響を与えているのだろうということが、はっきり見えたように思えました。 
 
国吉康雄展(2016)で、「写真撮影可」にしたのは、SNS効果を狙ったという点もあるけども、これだけの作品がある撮影可能エリアの中から、「何を選びとるか」「どのように撮影するか」は、その人のモノの見方が現われるという解説を最後にお聞きしました。撮影した写真を振り返ってみて、自分のものの見方が確かに見えてくるようになり、意識的になりました。その後、撮影した写真を見ることによって、自分の気づかなかった視線に気づくということを経験しています。
 
今回、過去の庭の写真を引っ張りだして見ると、いつもの撮影スタイルとは違った撮影をしていたことが判明。もしかすると、人がいっぱいで、悠長にヨリの写真を撮影できる状況でなかったことも考えられます。が、今度からは、花や蕾、そして葉にも注目して、屏風の中の花や蕾と比べてみたいと思いました。
 
 
■【追記】(3018.04.22)泉屋博古館の《燕子花図》を鑑賞
それぞれ似て非なるもの。しかし両者ともに観察に基づく描写がされていることは共通。比較を上記にレポートしました。

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その帰り「週刊ニッポンの国宝100」燕子花図屏風を購入。恒例の拡大図。原寸大図が掲載されていました。
 
 
そうそう、この部分の花でした。なんだか滲んでる‥‥ たらし込み? と思ったのですが、野口学芸員によれば、ニジミではなく、ちがう色が接したことによる混ざりあいのようなものだと説明していただきました。
 
蛇足
購入前、お電話で在庫があるか確認しました。「小学館のニッポンの国宝100というシリーズで、燕子花図屏風が掲載されている‥‥」「国宝ってどのような字ですか?」(ある日の紀〇〇屋書店にて) 他店で「琳派」を問い合わせた時、医学の?と言われたこともありましたが、美術界は国宝、国宝と大騒ぎしましたが、世間の認知度というものを目の当たりに‥‥
 
 
 

■関連:根津美術館の展示との比較

『燕子花と紅白梅 光琳デザインの秘密 根津美術館』2015/05/13

尾形光琳 《紅白梅図屏風》 鑑賞の変遷(2015年5月

MOA美術館:国宝《紅白梅図屏風》2年ごしの再会(2017/03/07)

鈴木其一:《夏秋渓流図屏風》 根津美術館にて2度目の鑑賞2017/05/15

鈴木其一:夏秋渓流図屏風2017/05/13

 

記録をしていないことも、記録のうち‥‥ 初めて見た時は《紅白梅図屏風》で手一杯。《燕子花図屏風》は、どの部分がパターンなっているのか確認しただけでした。そのため、それ以上のことが書けない状態だから記録がないのでした。