Sheageに、ポーラ美術館で行われている「エミール・ガレ 自然の蒐集」の記事を書きました。ガレは晩年、海の生物に興味を持ち、それらをモチーフにした作品を制作しています。海の生き物にスポットをあててレポートしていますので御覧いただけましたら幸いです。
ガレ展とは別に、ポーラ美術館では、「アトリウム ギャラリー」を新設し、現代美術作家の活動を紹介するコーナーがあります。 第3回目として、流 麻二果の個展『色を追う/Tracing the Colors』が開催されています。ガレ展と絡めたちょっとディープな見どころを紹介します。
*写真撮影は自由にできます。
■流 麻二果の個展『色を追う/Tracing the Colors』
15周年を向かえた ポーラ美術館では、公益財団法人ポーラ美術振興財団の助成を受けた現代美術作家の活動を紹介する「アトリウム ギャラリー」を新設しています。
2階のエントランスを入って、エスカレータを降りる時、下を注目。上記のようなペイントが床に施されているという仕掛けが・・・・(しかし、多くの人は、そんなことは知らないので、視線はこちらには向いておらず、エレベータはすぐに下まで降りてしまいます。気づかない人も多いようなので、左手を注意しながら降りることをおすすめ。シャッターチャンスも、一瞬です。せっかくの絵が離れてしまいました。)
現代アートの作品の所蔵も増やしながら、芸術表現と美術館の可能性を「ひらく」という趣旨の「HIRAKU PROJECT」を開始しています。 第3回目となる今回は、流 麻二果の個展『色を追う/Tracing the Colors』を開催。
↑ 流 麻二果さんのレクチャー
■ デジャプ館のある作品
1階に展示された作品で、妙に気になったのがこちらの作品。緑で埋め尽くされた画面なのですが、どこかで見た記憶のあるような気がしていました。しかしそれが何なのかよくわかりません。段々近づいていくと…
画面の目の前に立つと、色彩は妙に明るくなり、いくつもの色が重ねられていることがわかりました。 遠くで見るのと、近く見るのとでは全く違う表情に驚きました。キャンパス地が見えるほどの透明感を感じる部分もあり、実にたくさんの色の重なりによって構成されていたことにも驚きました。
↑ この色合いとか… ↑ この色 どこかで見たことある・・・
解説をお聞きして納得しました。モネの作品を元に描かれたのだそうです。確かに、言われてみれば「モネ」です。
■ガレとモネの競演
今回のガレ展では、ポーラ美術館所蔵「モネの睡蓮」と「ガレの作品」を組み合わせて展示するという、ポーラ美術館ならではの展示がされています。
心憎い演出。粋なはからいです。対面には椅子が置かれ、どっぷりガレとモネの世界に浸ることもできます。
■流 麻二果さんの作品とモネ
さて、流 麻二果さんの「作品の部分」と「モネの睡蓮の部分」を並べてみると‥‥
デジャブ感を感じたのもわかるような気がしました。
モネのどちらの絵を、参考にされたのでしょうか? あるいは両方混合されているのでしょうか? 答えは最後にあります。
2017年の新春名物「ギャラリートーク駅伝」に参加して撮影していたのがこちら。
この時の記憶なども重なったのでしょうか?
■額にも注目
さて、もう一つの見どころは額です。流 麻二果さんのモネの作品。
「こちらのモネの作品については、
そしてこちらは、複製された額です。本物のモネの作品は、複製の額に入っていたのでした。オリジナルと複製の額の違いを比較してみるのも、見どころの一つです。
額を部分アップして比較してみました。
上が複製の額、下がオリジナルです 。
流 麻二果さんに「オリジナルの額を使うにあたり、それに合わせるようなことは考えられたのか」伺ってみました。特に額に合わせるためにということは考えられたわけではなかったようです。モネの絵の色を見て、そこからわいたインスピレーションのようなものを載せていかれたようでした。同じ絵から湧き上がる色のイメージなので額ともあっているのでしょうか?
解説に「視覚像は解体され、経験された色彩が残像のようにカンヴァスの上で構成されていく」「視覚の残像は物質的な重なりとして、我々の前に現れてる」とありました。
おそらくこの緑を見てデジャブ感を感じさせられたのは、モネの絵画の色を分割して見てきた自分の記憶と重なりあったのではないかと思いました。そして、美術に興味を持ったきっかけの一つが、ここポーラ美術館にありました。
モネの絵というのは、筆の色跡を網膜内で混合しているということを、ポーラ美術館で知りました。そのことがきっかけになとなり、絵画が、人体の解剖学的な目の機能を利用して、描かれているという面白さを知り、その後、美術への関心が高まったという経緯があります。視覚を解体し、色を解体する。時を経て、自分が興味を持った着目点と同じ部分に着目して描かれた絵とここ、ポーラ美術館で出会い、興味がわいたことに、何か繋がりのようなものを感じました。
解体された視覚の残像。解体によって経験された色彩の残像。そんな視覚の残像が、目の前に現れる。
自分のモノのの見方というのが、解剖(=解き剖く)というところに根差しているということを、人体展を見てより強く感じていたところでした。「色を解き剖く」ということにつながっているようで、この作品と何かが響き合えた気がしました。
↑
参考にされた睡蓮はこちらでした
近づいて見ると、モネの筆触とは全く違う、細かい細かい筆あとの重なりが見えてきます。技法の基本は同じでも、全く違う世界が、筆の重なりによって生まれています。しかしそこにはデジャブな感覚が残されていて見ていて飽きません。