脳研究の歴史を知りたくなり、科博の「人体」展、神経情報を整理。神経細胞は、当初、見ることができませんでした。医師のゴルジが染色方法を発見し、神経細胞の構造が次第にわかってきました。しかし全貌を知るには電子顕微鏡の力が必要でした。その経緯を写真メモとしてまとめて紹介します。
*写真は主催者の許可を 得て撮影しています。
(エミールガレが「海馬」という作品を制作。脳の海馬との関係を知るために、脳研究の歴史を探ってみます。⇒【付記】タツノオトシゴの海馬、脳の海馬の関係について)
■神経系について
上記から気になるキーワード抜粋
〇中枢神経・・・脳・脊髄
〇抹消神経
└体性神経(知覚・運動)
└自律神経(内臓・血管)・・・交感神経 副交感神経
〇神経系の働きは長い間わからなかった
〇20世紀 構造と機能の理解がすすむ
【脳の構成の主体】神経細胞(電気信号を発して情報をやりとりする特殊な細胞)
〇日本語の「神経」という言葉は、解体新書を著した杉田玄白による(1774年)
*海馬という名称は、もしかしたらこの時にされていたかも…
■脳神経細胞の観察
〇医師ゴルジにより、1873年ゴルジ染色の開発。
〇脳の神経細胞を観察することを可能に
〇脳の神経細胞の「網状説」と「ニューロン説」
〇シナプス(隙間)は、スイッチ・・・信号伝達の制御
〇電子顕微鏡の発明までわからない(1955年)
■網状説:ゴルジ
〇「脳細胞説」が提唱、普及する中、ゴルジ染色の開発で脳組織を染色。
〇「樹状突起」「細胞体」「軸索」からなる神経細胞の形態を明らかに
〇神経細胞は、切れ目なくつながる「合胞体」で核が複数存在。
▼神経細胞の模式図
■ニューロン説:カハール
〇脳の神経細胞同士がつながっているかわからない
〇「網状説」⇒連続的につながる網状(ゴルジ)に対し
〇「ニューロン説」⇒神経細胞は非連続的に配置、隣接した細胞間で情報伝達
〇電子顕微鏡で、シナプス間隙発見 ⇒「ニューロン説」証明
▼網状説とニューロン説の説明 ▼運動神経、知覚神経の経路
■3000枚のプレパラート作成して観察したカハ―ル
動物や疾患を持つ患者の脳の構造を染色法に改良を重ね脳の構造を解明
▼スケッチの数々
▲脳の研究に使った顕微鏡(左から2台) ミクロトーム(右)
■技術の発達がもたらすもの
〇顕微鏡の登場
脳の組織の染色は特殊。硝酸銀を使ったゴルジ染色や、それを改良したカハール染色で染め出します。遠い遠い昔の記憶がよみがえってきます。ゴルジ染色って、これを開発した人の名前だったのか‥‥ 確かに脳の組織の染色というのは、特殊だったという記憶があり、染色が難しかったはず。
昔は染まらなかったから、神経がどんな形をしているかもわからなかったわけだ。工夫して、染め上げ、そしたら、神経細胞と軸索が見えてきて、ニューロンという単位がみつかった。神経ってこういう形をしているというのは当たり前に思っていました。しかし、細胞が見え、繊維が見え、それがどうつながっているか… それがわかるまでに観察器具の進歩や、染色技術の向上などが手助けをしていた。
〇染色技術の発見と改良
顕微鏡のない時代から、顕微鏡の発明によって、見えないものが見えだしたけども、それでも見えない細胞があった。通常の染色では染まらない。それを染め上げる技術をみつけた人がいたから、その全貌が次第に見えてきた。
それをスケッチして素晴らしい記録を残したカハール。「近代科学の父」と言われ神経解剖学で傑出した研究を残しました。今のニューロンの考え方を確立。脳の可塑性という言葉の広まりのきっかけも作ります。(神経細胞の形態が順応すること)物理学系の物質の性質を表す言葉だと思っていました。
■科学と芸術の融合
緻密なスケッチは、芸術的才能と科学的洞察の融合であったことはあまり知られていないそう。美しいだけでなく、普遍的な概念を表現。これらの展示は忘れられない芸術体験となり、科学と美術は手を携えて旅をする素晴らしい道連れであることを理解してもらえると思うと語られています。この展覧会が、芸術的インスピレーションの源となり、神経へ関心を呼び起こすと確信すると言われているように、神経細胞の歴史を知りたいと思い、振り返ることになりました。
初期の顕微鏡、ミクロトーム、切り出し用の刃を見ていると感慨深いものがあります。実習で実際に使ったことがあって切り出しが難しくて、苦労したことがよみがえってきます。しかし、この時代によくこんな構造の切り出し方を考えたものだと感心。その後の機器の基礎が出来上がっています。刃は、ほぼ完成形と言えます。
〇芸術的表現が科学を発展させる
染め上げる技術開発だけでなく、そのあと芸術的な表現力で緻密にスケッチすることが科学の進歩の後押しをしました。胎児の模型のところでも型作りの技術者による、好奇心と技術革新が、胎児の成長の解明を促しました。科学の分野外の人が、卓越した科学芸術家の力が、人体の解明にも、大きな貢献しました。
一方、カハールは科学者でありながら、卓越した芸術的表現力を持って、真実を明らかにしていきます。このようなジャンルを超えて活躍する人は、博物学的な知見が飛躍的に発展する歴史的背景によるものと思っていました。エミール・ガレも同時代を生きた人です。当初、芸術家が科学の知見を持ったのかと思っていたのですが、自然科学者が、芸術という手法を使って自然科学を表現しようとした人だったことを、現在、行われているポーラ美術館「エミール・ガレ 自然の蒐集」で知りました(⇒■科学とアートの融合)
〇いつの時代にも表れる
そしていつの時代でも、こういう方は存在しているのかもしれません。
岡本太郎などもその一人なのでしょう。縄文という土器の写真を芸術的に切り取り、考古学の標本的な資料の世界に、違う価値観を提示しました。カハールに対して「芸術的な解釈だ」と言われたのと同様、岡本太郎が縄文土器を撮影すると、違ったものに見えると考古学者に言われていたという話を思い出しました。今や、縄文がアートの一つのジャンルとして認知されるに至りました。
科学とアートを融合させることのできる存在。両方の能力を持ち合わせ、さらに広い知見を持って物事に取り組む。何年かに一度、そういった人が現れるように思います。今でいうと、落合陽一さんや、猪子寿之さんなども、そんなお一人なのかなと思いました。
〇肉眼的視野から顕微鏡的視野との出会いの戸惑い
「肉眼的視野」から「顕微鏡的視野」を始めて見た時の戸惑い。解剖学者の養老孟司さんが何かの本で語っていました。これまで見たことのない視野に「医学生」は戸惑いどうみたらよいか立往生すると。ミクロとマクロの世界との遭遇。そこにはこれまでの概念をひっくり返す世界が存在しています。
レーウェン・フックの言葉
「新たな視界」が決してそのまま人間の新たな「自然」理解にむすびつかなかった。顕微鏡の世界を始めて見る体験は、今でもそれを追体験しているのかもしれません。
【参考】『「顕微鏡」「写真」「電球」の発明と美術への影響(覚書)』
【付記】ガレが表現した海馬と、カハールの神経細胞と繊維の写真が同じ?
▼《花瓶「海馬」》(1900-1903年)
花器の内部が神経細胞と神経線維のよう‥‥
科博「人体」図録p71 右は左の拡大(1899年頃)
カハール作成 ウサギの臭球の組織標本
ガレはカハールの脳細胞を見ていたのでしょうか? 1899年発表。好奇心旺盛のガレのこと、もしかしたら、この写真を見て、海馬の作品の内側に転写したのかも‥‥ 私がみつけた科学と芸術の融合の発見でした。もし、そうだとしたら、ガラスでこんな模様にしたいと思って、それを実現してしまう技術というのもまたすごい!
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