コロコロのアート 見て歩記&調べ歩記

美術鑑賞を通して感じたこと、考えたこと、調べたことを、過去と繋げて追記したりして変化を楽しむブログ 一枚の絵を深堀したり・・・ 

■2017年:[7~ 月] 鑑賞記録・メモ

展覧会や講演会に行った際の、直後の感想メモ。ファーストインプレッションを忘れないうちに記録しておくためのメモ帳なので、ほとんど記憶だけで書いています。調べたり、まとめていると印象が変化してしまうので直後の記録。

 

作品名の確認やメモを見返したりせず書いているので内容はあてになりません。ブログにするためのメモ的なものなので、情報はかなり曖昧なのであしからず。あまり公にしたくない話などはこちらに記載。日記がわりに利用 (新しいものを上に記載)

 

  ■2017年 鑑賞記録・メモ リスト

  ■2017年 訪れた美術展 講演会の記録 (行きたい)

 

 

 

■(2017/07/16)  /  [07/13] サントリー美術館《浮線陵螺鈿蒔絵手箱》蓋裏

再訪 展示の高さが低くなっていたみたいです。内部まではっきり見えました。内部に光の筋が見えました。上部二方向から光があたって交わった重なりのようです。底板の湾曲が、前回よりも緩い。湿気によって変化するということ? 蓋がひっくりかえっているので表面の螺鈿の観察はできませんでした。が、かがんでみると観察可能。

 

 

■(2017/07/15)  /  [07/11] 東博 常設展 びょうぶとあそぶ

〇本館 1階 長谷川等伯 《松林図屏風》

畳の上に坐って見ることができる設定。屏風と全く同じ目線。屏風が小さく見えます。松のあの表現は再現されているのでしょうか? 近づいて見たいところなのですが、みんな遠巻きで見ているので近づきにくい雰囲気。4分の休憩、インターバルがあるのでその時間を利用して近づいてみました。結構、リアル。そして、紙質は? 暗いため、光の反射もなく良い感じ。紙質が和紙なのかどうかもわからない状態。

 

松林図はどのような場所にあったのか。それを映像化したという触れ込み。これについては調べ尽くして私なりの答えが出ています。今はどうなっているのか、過去、どうだったのか、そして観光協会にまで問い合わせて・・・  結果、等伯の心象風景であると。実在はしていない風景。それを、こんな景色ですよ・・・って見せられてもな・・・というのが見る前の正直な印象でした。

 

ところが・・・・ 考えられうる可能性が全て盛り込まれていました。そして、観光協会の方から聞いたあのお話も、ちゃんと盛り込まれていました。そして、季節も春夏秋冬、移り変わりが盛り込まれていて・・・・  なかなかの力作。

 

〇群鶴図屏風 

最近のマイブームは、屏風などの金箔の部分を、先入観を持たずにいろいろに仮定して見ること。これが印刷だったら? 手書きだったら? 本物だったら? 拡大写真を撮影したりして・・・ 本当に何も知らずに見たら・・・  高精細画であるということに影響されてしまうかも。本当に何も知らずに見たら、これが印刷だという発想にならないということがわかりました。

 

屏風の構造の模型が展示。またどうやって使われていたかを過去の絵巻などから展示。(この画像がほしかった)以前、サントリーで受けた美の扉と同じようなアプローチ。

 

横山大観の屏風《柳陰》(りゅういん)

金は金泥?  左右、中央から見る景色の違いを見せる工夫がされていました。

 

〇《夏秋草図屏風》酒井道一 

日本画家、山本素堂次男。幼少より父並びに鈴木其一琳派を学び、酒井鷺一の養子となり、雨華庵四世を継ぐ。日本美術協会・帝国絵画協会会員。大正2年(1913)歿、69才弟子が書いた右隻が展示。

 右隻のみ展示。本物とはどこが違う?

 

〇刀剣コーナー

先日、名刀礼賛を再訪したので、基本情報を再確認。刀剣の作り方と思っていた情報は、鋳造品の情報でした。やっと刃文がなんとなく理解できてきたので、資料写真として写真に納めようとしたのですが、カメラのズーム写真で強拡大にするとピントと距離の関係がうまくいかずピンぼけ写真ばかり。東博の刀の刃文、丁子などより強調されてものが展示されています。

 

ショップにあった「刀剣関係の基礎」とう本をざっと見てみました。刀剣における「基礎」とは何か? 私が基礎だと思うことと、提示される基礎が違うことに気づ課された。私が知りたい基礎がまとめられている書籍がない。歴史とか伝来とかがまとめられていました。そういえば、展示を見ていて一切、それらの情報を見てなかったな・・・と。やっぱり、歴史には関心がないんだなってことがよくわかりました。

 

どうやって作るのか・・・ 刀を折りたたんで作る。その意味がいまいちわからなかったのですが、縦方向、横方向にどうやって切り込みを入れるのか。どうやってたたむのか。それによって違う素材が混合し、その割合などでさまざまな状態に。

日本刀の出来るまで

 

〇蒔絵コーナー

再度、見るといろいろ新たな発見あり。硯箱の中に丁寧な蒔絵。墨で汚れない? 上手な人は回りを汚さずきれいな仕事をすると言うけど・・・  鏡入れの内装。ピシッと張られた布地。木目込みに人形のような作り。蓋の裏の細工、表面の金の加工。秋絵の共通性、御所車の意匠。

 

■(2017/07/15)  /  [07/08] 泉屋博古館美術館別館:名刀礼賛

技法を理解しようと思ったけど、然るべき写真がないとよくわからない。刀の作り方がいまいち理解ができない。

 

刀の置き方。きっさきが右のもの左のものあり。(もん)

本阿弥が鑑定。正宗・真宗の大手は注意が必要

 

■(2017/07/15)  /  [07/02] サントリー美術館:見どころトーク

〇 5章 神宝と宮廷工芸

人型で神を表す。人と同じ生活を想定し、生活に困らない道具を奉納。

 

〇浮線陵文螺鈿手箱  技法は沃懸地( 一番金を使う) 最も高い位 手箱の中の手箱。伝来は不明。北条政子という記載があるけども、それが本当かどうかの確認はされていない。 沃懸地→厚梨地→梨地

 

〇模造・模写:できるだけ同じ材料、工程で金の輝きなど当時を想像しながら

 

〇浮線文螺鈿玉手箱の内部

布は膠で貼った。張替の形跡はなし。

修復:螺鈿沃懸地の汚れをどこまでとるか。 感性と複数の目でチェック。

最新CTスキャン データ量 次元が違う

浮線陵文:3.5cm 木の厚さ7.5㎜  目の細かい木  0.4~0.6㎜ 樹齢280~300年。

 

〇本物と模造品の違い 

文様は忠実に転写するわけではない。本物の修復の際、側面下部の文様が消えている。が模造品では再現されている。本物の螺鈿の光具合が、模造品で近づいているわけではない。輝き弱まっている。 

 

底板が本物は湾曲している。模造品はまっ平。他の玉手箱は平ら。

対面の模様は基本、対象。しかし、螺鈿の模様の崩れなどは再現されていない。

螺鈿の輝き方も再現されてているわけではない。

135 秋野鹿 螺鈿の形を模写し図を作成して再現。一つ一つ糸鋸でカット。

 

布張りの手箱はいくつかあり

137 籬菊螺鈿蒔絵手箱(1996) 内部布貼り 模様つながっている

120 牡丹蒔絵手箱(1390)

121 唐花唐草蒔絵手箱(1390)

 

 

■(2017/07/15)  /  [07/02] そごう美術館:司馬遼太郎

【正論】司馬遼太郎の「明治」とはなにか 今日の日本は「圧搾空気」が抜けてしまった 文芸批評家・都留文科大学教授・新保祐司(1/4ページ) - 産経ニュースより

 

日本人の仕事は、その分野が政治であろうが、実業であろうが、はたまた言論であろうが、かくの如(ごと)く「日本という国に抱いている深い愛情」が中心にあるものでなくてはならないのではないか。

 

明治という時代、あるいは国家は「世界史の中の一つの奇跡」

この「圧搾空気」とは、道徳的緊張感によって「圧搾」された時代の気風であり、その硬い精神的強さというものが、明治という国家を支えていたのである。(略

 日本人の心の故郷といえば、侍の自らを律する精神、節度であり、これは江戸時代の武士道から来ている

 

絹と米だけの国、そんな日本が短期間に資本主義国家をよく作った。

薩長土肥 を初めとするバラエティーに富む大名。4つだけでも全く気質が違う。江戸時代の無形遺産は一色ではない多様性。これらがまとまったのは役人、教師、百姓、どんな人たちの間にもあった規範、武士道。貧しいことを誇りとし、自らを律する。汚職はしない。これらは江戸時代の侍社会の節度。それらの人達によって作られた圧搾空気の上に国家が成り立っていた。その後、明治の心がひからびる。豊潤さもなくなる。

 

〇 [06/30]21世紀に生きる君たちへ

二十一世紀を生きる君たちへ 司馬遼太郎: 生きる言葉 :名言・格言・思想・心理

ただ、私に言えることがある。それは、歴史から学んだ人間の生き方の基本的なことどもである。

 

歴史から学ぶ・・・・  このあと史実に基づくことが、書かれるのだろうな・・・ 私はついてけないや・・・ やはり歴史小説を書いた人は歴史に学ぶんだ・・・

 

昔も今も、また未来においても変わらないことがある。そこに空気と水、それに土などという自然があって、人間や他の動植物、さらには微生物にいたるまでが、それに依存しつつ生きているということである。

自然こそ不変の価値なのである。なぜならば、人間は空気を吸うことなく生きることができないし、水分をとることがなければ、かわいて死んでしまう。

 

結局、文学者もここに帰結するってことなんだ。「歴史」というものをどうとらえるか。命の循環。これもまた長い目で見た人類の歴史・・・・  自然に学ぶ。視線も歴史というとらえ方ができることを知りました。

 

 

 

司馬遼太郎の問いかけ より

坂の上の雲」は日本が飛躍的に発展した明治という時代を見事に描いた傑作だ。近代日本の成立を祝福している。彼は戦後の日本が復興しえたのは、明治時代の日本人の精神が残っていたからだと考えていた。一方、乃木希典陸軍大将を扱った「殉死」は、たくさんの兵隊を死なせ、最後は明治天皇の後を追って自殺する不器用な人間を非常にうまく描いている。この二つの系統、複眼性が司馬作品の魅力ではないかと思う。斎藤道三を描いた「国盗(と)り物語」もいい。若いときの短編も見事だ。

 

幕末と今は似ていると思います。社会に閉塞(へいそく)感が漂っていて、その中で若者は目隠しされています。ボクと同世代の友だちもみんな薄給でヘトヘトになって働いています。このままでは心の中まで貧しくなってしまいかねない。でも幕末の長州には、貧しいながらも大義と気概を持って生き抜いた男たちがいた。そういう姿を知れば、今の若者も何か夢が持てるのではないでしょうか。歴史を勉強する意義は、過去から学び、よりよい未来を作ること。若い人たちにこそ司馬さんが描く男たちと出会ってほしいですね。今、悩んでいることが「たいしたことないな」と思えるようになると思います。

 

 

■(2017/07/11)  /  [06/26]  そごう美術館:司馬遼太郎展 本物とレプリカ

〇本物と偽物
2つの屏風が露出展示されています。司馬遼太郎展に屏風? と思いながら、これは本物なんだろうか? そんなわけないわよね。むき出しのまま、展示されているし、司馬遼太郎展は、美術展ではないのだから、わざわざ本物なんて借りてこないわよね。きっと複製品・・・
 
これが、ぱっと最初に見た時の感想でした。
 
屏風の表示を見ると・・・・
関ケ原の合戦図屏風》 「複製」の表示はありません。
ということは本物? まさかねぇ・・・
大坂夏の陣図屏風》「 複製」と表示
 
今現在、私が本物かどうかを判断する手がかりとなっているのは、「ケースに入っているかどうか」ということが大きなポイントになっています。むき出しだったら、本物であるはずがない。本物を露出展示することは、作品保護の点から考えてありえないこと。ケースに入っていた場合は・・・ 判断は微妙になります。
 
光にかざして角度を変えて見ました。あっ、反射してる! 《大坂夏の陣図屏風》は紙のツルツル感で、わかっちゃいました。そんなところで本物かどうかの判断をしていました。
 
最初に見た時の感想
関ケ原合戦図屏風(大坂城天守閣蔵)
この屏風見たことあるような気がします。 真田丸展の時に見たような?  複製画とは書かれていません。ってことは本物でしょうか?  いや、そんなことはない。と打ち消していました。
 
大坂夏の陣図屏風関ケ原歌仙図屏風(大坂城天守閣蔵)
こちらは「複製品」であることが明記されています。その記載がなくても「複製品」であることは見てわかりました。これは印刷によるもの。光があたっていたのですが、ツルンとした紙の質感、平面に反射する光が直線的でレプリカであることを感じさせられあす。
 
 
真田丸展で見た屏風
関ケ原の合戦図屏風》 真田丸図録p94
大坂夏の陣図屏風》 真田丸図録p164
 
そして2度めに見た時、
関ケ原合戦図屏風(大坂城天守閣蔵)
こちらを再度見た時にわかったのは、この屏風はプリントではないこと。はっきり描かれたあとが認められ、その筆致がはっきり確認できます。という点では、もう一方のプリントとは明かに違います。じゃあ本物?  でも複製の記載はありません。細かく見ていくと、家康の本陣の背景の龍が雑な気が・・・・ でも、家康は描きこまれています。水の表現、近景、桐の葉・・・ 描かれた複製ってことでしょうか?
 
どうしても、本物なのかどうかを見極めたくて確認していただきました。かなり前に「描かれた複製」とのことでした。なんとなく当たった。でも、やはり本物をむき出しには展示しない。それが判断の基準となっています。
 
大坂夏の陣図屏風関ケ原歌仙図屏風(大坂城天守閣蔵)
プリントであることは明らか。このあたりは、次第に見分けられるようになってきました。双眼鏡で確認すると、今度は、逆にわからなくなります。それは、画面内が暗くなってしまうから。その後、《松林図屏風》の高精細複製画を見ました。ライトの当て方も判断の材料なることがわかりました。暗いと、紙質の光沢感が見えなくなってしまうのと、光の反射も弱いのでわからなくなります。
 
この屏風、真田丸展で見たものと同じものであることが判明。(所蔵も同じ) 真田丸展の時は、高精細画像と言われても、わからないな・・・と思いながら見ていました。その判断ができるようになっているので進歩したかに思ったのですが、真田丸展ではガラスケース内の展示でした。近寄れないため、屏風の質感を見極められなかったことと、ガラスによる反射などの影響があったかもしれません。
 
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〇掛け軸の本物、複写の判断
ガラスケースに入った織田信長をはじめとする武将の掛け軸がケースに入って展示。
これ、本物なの?!  本物、わざわざ借りてきたんだ・・・・と思いきや
 
織田信長・・・模写
斎藤道三・・・模写
明智光秀・・・複製
 
模写と複製の違いは????
 
ケースに入っている。それだけで、一瞬、本物だと思ってしまいます。でも、そごうの司馬遼太郎展で本物まで借りてきて展示をするのかしら? とそれを打ち消しています。結局、展示状況から、本物かどうかを判断している感じでした。

 

 

ケースに入っている。それだけで、一瞬、本物だと思ってしまいます。でも、そごうの文学者、司馬遼太郎の展示で、本物を取り寄せる手間をかけるものだろうか? とそれを打ち消しています。結局、展示状況から見るということしかまだできていない状態。

 

 

豊臣秀頼 自筆神号

豊国大明神 豊臣秀吉神号 8歳

 

以前、真田丸展で秀吉、幼少期に書を見たけど、それと同じものでしょうか?

   ⇒一行書 龍虎梅竹 真田丸図録p133

物は違いましたが、文字は人となりを表すと言います。

「私はこの文字から、堂々とした文字を書く人だった」と学芸員さんの言葉。

再度、見てどんな印象を受けるかチェック。図録と照らし合わせてみたのですが、共通性を見出せませんでした。

 

秀頼 8歳  豊臣秀吉幼少の時期・・・ 秀頼8歳のフレーズがどこか頭の中に残っていて、司馬遼太郎館の館長さんによるギャラリートークが行われた時、この秀頼はどこにでもありますから・・・と言われてはっと思い出しました。MOA美術館の黄金の茶室にかけられていた軸 豊国大明神でした。これと同じだったかは、わかりません。ところで「豊国大明神」は、死後、翌年に〈豊国大明神〉の神号と正一位の神位が宣下されたとあるのに、なぜ、8歳でこの文字を書いているのかが謎。

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