コロコロのアート 見て歩記&調べ歩記

美術鑑賞を通して感じたこと、考えたこと、調べたことを、過去と繋げて追記したりして変化を楽しむブログ 一枚の絵を深堀したり・・・ 

■海北友松展:作風の変遷 流れる血は武士ですが… 

 海北友松展のみどころの一つは、初期から最晩年までの画業の変遷をたどる大回顧展であること。武士の家に生まれ、それゆえの因果な運命の中で出会った絵師という生業。その画業の変遷、境地を時代や、交流をする人とともにたどる展示です。角が次第とれ丸みをおびていくその変化は驚愕でもあり、心を穏やかにさせてくれます。

 

 

 ■刀のような筆さばき

〇《松竹梅図襖》

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 出典:来春、京博で‘海北友松展’!: いづつやの文化記号より

 

もう、この空を切るような梅の枝は、なんなんだ・・・という感じです。見ていて痛い! 痛い! と切り付けられたかのようなような気分になりました(笑)

 

しかし友松は、武家出身でしたが、幼い頃に父をなくし、浅井家が滅亡すると東福寺で禅を学び、お茶をたしなみ、公卿との交流をしながら絵を描いていました。,41歳で還俗(げんぞく=僧が僧籍を離れて、俗人にかえる)しますが、刀を持つことはありませんでした。「自分は画家に成り下がってしまった」という言葉を残すほど。体に流れる血は、武家に生まれたプライドで、いつかは武士に戻るという強い意志を持っていました。

 

そうした体に流れる血が、このような切り付けるような絵を描かせていたのかもしれません。

 

 

■ 作風の変遷

  重文 花卉図屏風(右隻)(部分) 海北友松筆 京都・妙心寺

出典:開館120周年記念特別展覧会 海北友松(かいほうゆうしょう) | 京都国立博物館 | Kyoto National Museum

フライヤーに掲載されていたこの絵を見てびっくり! 建仁寺墨画しか見ていなかたので友松はこんな絵も描いていたの? とその画業の変化も楽しみにして訪れました。

 

 

 

■初期 狩野派の影響(50代) 

〇《山水図屏風》

 

出典:永徳、等伯、山楽に並ぶ桃山の絵師 “海北友松” ただものではなかった!!

                | ARTことはじめライターブログ

 

山水図屏風(左隻) 海北友松筆 桃山時代 16世紀 通期展示

出典:特別展覧会『海北友松』が4月より開催 京都国立博物館の開館120周年を記念して | SPICE - エンタメ特化型情報メディア スパイス

 

狩野派の影響が色濃い《山水図屏風》 友松、50代の作品です。直線的な斜めの鋭角な打ち込み、鋭い線が描かれているのは狩野派の特徴フラット面のある円形テーブル状の土坡。岩のラインが特徴的でこれは友松の特徴とありました。

 

こちらの絵は、混雑していたので最初、とばしていました。制作年を戻るかたちであとから見ることになったのですが、先に友松の後期の絵を見ていたため、それまで見てきた絵と共通点があり、当初からの特徴であったことを感じていました。

 

それがが解説によって狩野派の特徴であることがわかりました。また、フラットな面の岩が特徴的で、あちこちで散見されると思っていたのですが、これが友松の特徴であることを、最初に戻ったことで理解しました。

 

 

このフラットな岩。其一の《夏秋渓流図屏風》を思い浮かべていました。山中を描いた岩の上面がフラットな円形。同じ岩の描き方をしているなぁ・・・と。其一は、友松の影響を受けているのでしょうか?

 ↓                 ↓               ↓

出典:没後300年を迎えた江戸時代前期の絵師・尾形光琳の生涯と作品

 

 

■ 八条宮智仁親王との交流による変化(70代) 

〇「網干図屏風」

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出典:海北 友松 ( その他文学 ) - 枕草子-まくらのそうし - Yahoo!ブログ

 

  

近代の日本絵画を思わせるような斬新さを感じさせる構図です。何も知らずに見たらまさか桃山時代に描かれたとは思わないでしょう。大胆にして繊細。左隻に描かれた網目の緻密さといったら・・・ 草間彌生も真っ青です。

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 《No. AB》 (出展みどころ | 草間彌生展「わが永遠の魂」国立新美術館

 

描いた面積、範囲では負けているかもしれませんが、緻密さで言えば友松の方が優れています。正確な四角の編み目と結び目の繰り返し。白く塗られていると思った部分にも、細かな網目が描かれていました。また、網を結び付けている棒の先の網の部分も網目が描かれています。

 

それまで、メモなどはとらずただ見るだけに徹していたのですが、思わずノートを出してメモを初めていました。

 

右隻:芦は、友松独特の筆致、実際には刀を持つことはなかったのですが、武家の出を彷彿とさせ、手にしていたのでは? と感じさせる鋭さがあります。よくよく見ると、緑の葉の色の下に、薄く影のような葉も描かれておりそれによって奥行き、遠近の効果を出しているようです。葉先は様々な方向を向き、かさなりからみあう。金地の土坡の向こうに海?(琵琶湖?)が見え、舟がうっすらと絵がれています。金の雲はやまと絵の手法でしょうか? 青の水とのコントラストが効果的。

 

左隻:の芦には、枯れ葉が目立ち、胡粉による露? 霜? が描かれています。右隻から左隻へと季節の移ろいを表しています。芦から飛び出した穂の部分が紺碧の海にかかりキラキラ輝いています。季節の変化による芦の形態変化も重層的。また近影に置いた網も、サーカスのテントのようでもあり、デザイン的で近代絵画をイメージさせます。当時としては斬新な構図だったのでは? と想像されます。

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出典:期待を上回る‘海北友松展’!: いづつやの文化記号

 

 

解説:によると、白い網の部分は胡粉で描かれており、網の乾燥した質感を表現しているとのこと。

 

 

京都国立博物館開館120周年記念 特別展覧会「海北友松」

| オフィスアイ・イケガミ アートブログより

 大和絵の主題と技法による洗練された作品で、前者は曲線を、後者は直線を大胆に使用。友松は晩年、天皇や宮家、公家衆との交流をもつようになるが、本作は友松が1602年頃から出入りした、桂離宮の創建者として著名な八条宮智仁親王のために制作した作品だ。《網干図屏風》をよく見てみると、濡れた網と乾いた網の描き分けや上方の船の描写など、細部にも巧みの筆が光る。

 

 

【追記】2017.05.30  デジャブ感の原因判明

この網を見た時、これと似たような絵をどこかで見た気がする・・・ なんだかサーカスのテントみたい・・・ とずっとひっかかっていたのですが、それは国吉康雄の《安眠を妨げる夢》だったことに気づきました。しかしこうしてみると似ても似つかないのですが、白、グワッシュ 白 胡粉 テントが張りだしている・・・ とイメージが共通していました。そんなあたりも近代の絵画を思わせる理由だったのでしょう。

 1948年《安眠を妨げる夢》

出典:国吉康雄展:④日本初公開 修復された《クラウン》 より

 

 

〇浜松図屏風 

 出典:日曜美術館・海北友松 老いてますます自在 - チャンスはピンチだ。

 

1605年 73歳の作品です。やまと絵の古典的題材浜松を主題にしています。

 

最初、見た時はよくわかりませんでした。昼食休憩の際に1階で上映されていたビデオの中で解説があり、それを踏まえて再度、鑑賞するといろいろなものが見えてきました。

 

汀の曲線が遠近感を出しています。なだらかに湾曲し、金地の柔らかな曲線と細かな波の文様の反復。金は雲でなく砂浜。汀を表しており、水の部分にかかるぼんやりした部分がやまと絵にみられる霞表現? 右隻から動きながら鑑賞するといろいろなものが目に入ってきます。緑で描かれた松も、よくよく見ると下に木が描かれています。

 

右隻

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出典:海北友松「浜松図屏風」 - 足立区綾瀬美術館 annex

 

鳥の群れが視線を誘導します。汀の曲線と屏風の凹凸が相まって奥行きを広げます。鳥の動きも屏風の凹凸によって彼方に飛んでいくように構成。苔の表現が其一の表現と同様な印象を受けました。

 

左隻

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左隻に移動すると、千鳥が弧を描いて飛んでいます。こちらに向かってきてまた彼方へ・・・これもまた屏風の凹凸を利用し、空間の広がりを感じさせられます。千鳥の向きが急に逆転しているのも一興。 

 

上記は、友松70代の作。画風は一変します。その原因は、八条宮智仁親王(はちじょうのみやとしひとしんのうてい)との交流が影響していると考えられます。友松の交流関係は広く、それは武士であり教養人でもあったこと。宮中からの要望にも応えて絵を描いたことが、これまでの作風をがらりと毛ました。大和絵風の金の霞がみられるようになったのは大和絵の学習をしたことによるものだったようです。それでも大胆な余白をいかした構図は、以前からの友松らしさを踏襲しています。

 

ちなみにこの2点は前期、後期でいずれかしか見れなかったようですが、閉幕前、両方、展示されている期間があったようでラッキーでした。

 

 

建仁寺障壁画作成中のバラエーティーに富む作風(67歳)

〇《竹林七賢図》

出典:「海北友松展」 京都国立博物館 - はろるど

 

67歳の頃の作品。建仁寺の障壁画、雲龍図とも同じ時期に描かれた作品です。鋭い刀のような筆致ばかりでなくこのような柔らかい筆さばきも見られました。雲龍図のような勢いのある画風と同時、このようなテイストもこなしていました。これらは「袋人物」と言われる描き方で友松の特徴とされています。衣服が膨らんだように描かれ丸く風船のように膨らんでいます。

 

 

〇《放馬図屏風》

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やわらかな曲線は、上記の馬の表現の中にも見られます。

 

 

 

妙心寺時代(晩年期)

〇《花卉屏風図》

www.museum.or.jp

 ↑ 上記の左列 中央あたり

 

建仁寺で50枚に渡る襖絵を見ていたので、海北友松=墨画 というイメージを勝手に持っていました。しかも墨だけでそれぞれに作風が顕著に違いが表れていて、墨絵だけでもバリエーションに富む作風を見せていました。遅咲きの絵師ということを聞いていたので、墨画だけで多才な絵を残したのだと勝手に思っていました。

 

ところが、フライヤーに掲載されたこの極彩色のこの作品を見たら、ひっくり返りそうになりました。友松はこんな絵まで描いていのかと・・・・ ということは、彩色画でも様々なバリエーションを残しているに違いない。留まっている人ではない。その画業の幅は想像を超えるものがあるはずだと思ったのでした。

 

そして、《花卉図屏風》を見た時に、其一のフリーア美術館所蔵《椿図屏風》を思い浮かべていました。

出典:特別講義 『門外不出の日本美術史 フリーア美術館の秘宝』 | 弐代目・青い日記帳

 

 

ということは、このあとに続くのは、速水御舟の《名樹散椿》です。

出典:作品紹介 - 山種美術館

 

 

破壊と想像を繰り替えした速水御舟ですが、御舟の絵には鈴木其一とのつながりを感じさせるものが見えかくれしていました。さらに今回は、海北友松とも繋がりを感じさせられていました。御舟も友松もそれぞれに画業の変遷が、著しいと思われますが、速水御舟はオリジナルによる破壊というよりも、どうも、鈴木其一が裏に見えかくれしてしまう面があります。そして、今回はさらに海北友松まで重なってしまったという・・・・

 

ただ、実際に、《花卉図屏風》を見ると、「其一」も「御舟」の作品とも、全く違うように見えました。フライヤーの絵そのものとも随分違った印象でした。牡丹の花一つ一つが違うのですが、妙に横にのびたボタンだったり・・・

 

なんとなく色使いが似ているから、共通性を感じてしまっただけ? ちょっとこじつけかな? とも思ったのですが、《花卉図屏風》に速水御舟を見ている人はいらっしゃるようです。

 

 

「海北友松展」 京都国立博物館 - はろるど

 解説に「近代絵画」と記されていましたが、私は鈴木其一を通して、速水御舟の作品を連想しました。

 

特別展覧会 海北友松 京都国立博物館 : 川沿いのラプソディ

これらを見ていると、遥か後世の速水御舟まで思い出されてくるではないか。

 

 

妙心寺屏風について

特徴:通常の屏風より背丈の高い屏風があり妙心寺屏風」と呼ばれています。全六双あり、うち三双を海北友松が制作しています。実に標準サイズより約25cm弱大きい高さ。一双並べれば7m50㎝を超えます。しかも、いずれも絵画としての充実度が高く、近代絵画史上、きわめて重要な作品郡とされています。友松作は《 花卉図屏風》の他に、下記の作品があり、今回、展示もされていました。

 

 

友松作

▼「花卉図」  出典:桃山文化 - Wikiwand

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▼「琴棋書画図」 出典:海北友松展 - the Salon of Vertigo

 

 

 

▼「寒山拾得・三酸図」 出典:開館120周年記念特別展覧会 海北友松

| 取材レポート | ミュージアム(博物館・美術館)情報ならインターネットミュージアム

 

 

 

 

狩野山楽:「龍虎図」「文王呂尚・商山四皓図」「厳子陵・虎渓三笑図」

 

建仁寺とともに、妙心寺は友松にとって一時代を築いたお寺と言えます。

 

参考:妙心寺屏風 ~特別展「妙心寺」より~ 於;東京国立博物館

        |行事案内|京都花園 臨済宗大本山 妙心寺 公式サイト

 

ちなみに、日曜美術館《 花卉図屏風》が映し出された様子がこれ。

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出典:日曜美術館・海北友松 老いてますます自在 - チャンスはピンチだ。

 

年に一回行われる重要な法要のために、屏風が描かれ、平に伸ばして襖の前に設置されていたそう。その様子を合成して再現したのが上の画像です。友松と山楽の作品が隣り合わせで連なるように設置されていたことがわかります。

 

以前、この山楽の屏風を、東京国立博物館で行われた「禅のこころ」の展示を見てあれこれ考えていました。「山楽作」という紹介を元に見ていたのですが、あとで図録の解説に、妙心寺では、友松の作品と伝えられていたとありました。なぜそんなことがおきたのか? と思っていました。(最初に見た時、友松の龍の方がすばらしい! と思いながら見ていたので)その理由をこの画像を見て理解することができました。このように友松の屏風と並んで描かれていたら友松作と思ってしまうのは無理もないことかもしれません。

 

禅 こころを形に 《龍虎図屏風》狩野山楽 (ブロガー内覧会後 再訪)(2016/11/21)

 

 

【追記】(2017.05.30) 画業の変遷について

画家の画業の変遷」についてどうとらえるか・・・・について、これまでもいろいろに思うところがありました。

 

山楽の虎を、最初から友松作だと言われていたとしたらどう感じたでしょうか? 私の知っている友松とは違う。と思ったかもしれません。しかし「バラエティーに富み作風が変化した友松の作品の一つ」と解説されたら納得してしまうのだろうな・・・と。山楽の《龍虎図屏風》を見た時は、友松の作品は建仁寺の襖絵しか見ていませんでした。しかし墨画であれだけのバリエーションを描けるなら、こんな龍も描いのかも・・・

 

酒井抱一の《風神雷神図屏風》もお茶目、ひょうきんだと思いました。しかし、これまでの先達とは違うものを描こうとしたら、こういう路線になるのかもしれない・・・なんて理解をしてました。

 

伊藤若冲の後期の作品のテイストの違いにふれ、あまりの違いすぎる後期の作風を、これまで伊藤若冲作にしてしまったら、これから新たに出てくる目新し描き方も、全部、伊藤若冲だってことにしてしまっても、画業の変遷したということで、何でも通用してしまうんじゃない? と思っていました。

 

このように過去に見る絵師の画業のバリエーションは、ともて広くて、こんなにも変化してしまうのか・・・・と感じさせられていたのですが、同じように

 

速水御舟が「破壊と創造」と語られることについては、どうしてもこの程度で、画業が広いと言えるのだろうか? と思ってしまうのでした。

 

きっと山楽の龍や虎が友松だと言われても、これだけのいろいろな作風の絵を描いてきたのだから、こんな絵も描いたかのだろう・・・・ こんな龍も描いたのかも・・・ でもその分、虎のすごみが尋常じゃない。そこに友松らしさが出てる! なんて思ったのだろうな・・・・と、見る想定を変えて、いろいろに想像してみるのも面白いと思ったのでした。

 

 

【追記】2017.05.30  草間彌生の生まれ育ちと画風に共通するものが・・・

がらりと変化した《花卉屏風図》ですが、左隻は、冒頭で紹介した《松竹梅図襖》を彷彿とさせる筆致が見えかくれしているように感じさせられます。

重要文化財 花卉図屏風 友松筆

出典:桃山画壇と海北友松(ももやまがだんとかいほうゆうしょう) | 京都国立博物館 | Kyoto National Museum

 

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出典:来春、京博で‘海北友松展’!: いづつやの文化記号より

 

 

ここに絵師の生まれ、そして育った環境、それによって培われてしまって、振り払おうとしても振り払いきれない画家の本質的なものを感じさせられました。それは武士の血です。

 

草間彌生の絵でも同じようなことを感じさせられました。種苗問屋に生まれ育った。家族関係がうまくいっていなかったという話もありましたが、その育った環境には逆らえない何かを宿す。それば植物に毎日触れていることによって「生」というものを身体の中に潜在化させられてしまう。「雄蕊」と「雌蕊」によって受粉されて生命が連なっている・・・それによって人類の今があるという生命の根源的なことを、無意識の中で体の中にしみ込み、それがそこかしこに潜在化されて、作風の中に滲みてできてしまうのだと・・・・

 

画家の作風のというものには、そうしたいつまでたっても避けようのない生まれ、育ちによるものが埋め込まれているものなのだと・・・ たとえ刀を持たなかったとしても、先祖代々流れてきた血は濃いのだと。

 

 

そして、クライマックスの4つの龍と、《月下渓流図》へと続きます。

 

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