建仁寺に展示されているレプリカの《風神雷神図屏風》を見に行きました。本物とレプリカの見分けがつけられるのか? という目的を持って。ところがそれは、それは陶板でできた複製品で屏風状の折り畳みはなく平板でした。見てすぐにレプリカとわかってしまいました。
【2016.03.21記】 ↓ 下記よりリライトしました。
*写真は出典が記載されていないものは、自ら撮影したものです。
■建仁寺 本坊から入館
建仁寺は日本最古の禅寺で、開山は、鎌倉時代の1202年、建仁2年。だから建仁寺だったんですね。
境内はこのようになっていて 出典:境内見取り図 より
本坊の入口から入って受付で入館料を支払います。
この中に入って、小上がりのような階段をあがると、案内のビデオが流されている部屋が目の前にあります。
■突然現われる《風神雷神図屏風》
その部屋の前に立ったとたん、いきなり目に飛び込んできた風神雷神・・・
あまりに突然すぎます。
もう風神雷神のお出ましですか?! 心の準備ができていません。
そういえば、入ったらすぐに風神雷神があるって言ってましたっけ。
そして、見た瞬間に思ったこと。
これなの~ やだ~
〇屏風でなく平面
それは、絵画のように平面でのっぺり。屏風のように折がなく直線的な平板でした。
屏風を実際に見る醍醐味は、立体で見ることです。私はそのためにわざわざ、ここまで来たようなものです。
そして坐位で、風神、雷神を見たら、どんなふうに見えるのか。目はどこを見ているのか・・・・それを立体の屏風として見たらどうなのか確かめるために来たのです。
屏風として設置された風神雷神を、座って見てみたかったのです。
それに、この色の再現も、べったり塗られていかにもな感じ・・・・
ボディーはなんだか、妙なモリモリ感があって、筋肉隆々・・・・ちょっとわざとらしい・・・ 本物は、こんなんじゃなかったんですけど・・・・
〇本物かを見極めるつもりが
こちらのレプリカを見て、「本物」か「レプリカ」なのか。どれだけ騙されるのかを楽しみにしていました。迷って、迷って、あれこれ考える・・・・というシーンを想定していたのですが、悩むどこか、見た瞬間に、レプリカだとわかってしまいました。
でかける前は、本物かどうかを、誤魔化されずに見抜けるか、屏風と向き合って、真剣勝負! みたいに思っていたのですが、勝負もなにもありませんでした。
なんだか原色に近いコテコテした色・・・・もっと、表現のしようがあっただろうに・・・あまりに違いすぎるから、悩む余地もありません。
ちょっとがっかり・・・・・
でも気を取り直して、屏風の前で立ったまま鑑賞タイム。
■《風神雷神図屏風》観察
風神・・・ なんだか楽しそうです。目は、どこを見てるのでしょうか?
やっぱり胸は、片乳だわ・・・・
宗達の父は白く色分けされてる!
腕の筋肉、モリモリ、絵具が盛り上がってます!
髪の毛は、風になびいてサラサラヘア。
足には、アンクレットみたいな輪がはめられています。
指が5本。ちょっと出っ張りがあるけど、外反母趾ぎみ?(笑)
いえいえ、親指らしき部分が、ちょん切られてるようです。
ということは、指は6本あった?
もやもやした雲にのって移動するのでしょうか?
左足の角度、なんだか妙なひねりが入ってます。
こちらの指は5本です。足の筋肉も、モリモリ・・
この足の状態からすると、アンクレット入らないよな・・・
どうやってはめたのでしょうか?
赤い紐が雲の中に隠れて、奥行き感が出ています。
トレードマークの風袋は、年季が入ってる感じでは・・・
雷神は、歌舞伎の「見得」を切っているみたいです。
足の指から気を噴射してる?
雷神さんは、何を見ているのでしょうか?
雷神の胸も片乳・・・ ちょっと流れてる
〇雷神の手の先に持っているものは何?
雷神の左手には、鉄アレーのようなものを持っています。その先に白い、炎のようなものがあります。これはいったい何なんでしょう。
その話を伺ったのは、大正硝子に風神雷神の絵付けをしていて、下記のようなワイングラスを作っている作家の方に教えていただきました。
出典:ワイングラス「風神雷神」
最初、「この手に持っているものは、なんなんだろう。蝋燭かな?」と思いながら描いていたそうです。ある時、この先端は、何かを持っているのではなく、腕と顔のまわりを取り巻いている紐のようなもの(天衣)の先だと気づいたそう。
ひらひらした紐(天衣)の先の形状と、鉄アレーのような先に見える蝋燭の火の形状が同じだということに気づいたそうです。「首」の回りに巻き付いて背中を回った部分は隠れて一旦、足の方までおりてからまた上になびき、鉄アレーの先の背景となっていることに描きながら気づいたというお話しでした。
しかし、この蝋燭の炎みたいな部分、他のものだったりするのかもしれません(笑)実物やレプリカで、自分でも確認してみることをお勧め。
その時に、「風神雷神が、片乳だったってこと気づかれました?」と伺ったところ、それには気づかなかったと言われていました。模写している人も気づいていないこと、私は気づいたぞ~と、ちょっとご満悦。
〇座って屏風を見る
京都国立博物館で風神雷神の本物を見てきました。しかし、屏風の中央に座り、坐位の高さで見たらどんなふうに見えるのか。その位置では、風神、雷神の目は、どこを見ているのか・・・ という疑問を持ち、それを建仁寺で確かめたいと思いました。
実際に座って見ても、屏風の折がないため、わかりません。
う~ん・・・・ 何かが違う・・・・・平面になっているため、本来見ているはずの方向とは違う方向に視線が向いているように見えてしまいます。なんだか、ピントを外してしまっている感じがします。
屏風の状態で確認しないと、本当の目線はわかりません。でも、このレプリカではどう見えるのか確認してみました。
〇風神は何を見てる?
私は、中央に座って見たら、風神も雷神も、自分を見ているように描いていると、ほぼ確信に近いものを持っていました。モナリザとか有名な絵画って、どこから見ても、自分を見ているように見えると言われています。遠く離れて見れば、それぞれに、いろいろに見えるのかもしれませんが、中央のしかるべき場所で坐位で見たら、風神雷神は自分を見ているように描いているはず・・・と、勝手に決めつけいたのでした。
だから、目の前のこの風神、雷神があちゃらを向いている状況に、裏切られた感じ・・・(笑) というか、屏風のように立ててないわけですから、そういうふうに見えないのは当たり前。屏風の形状、飾り方に対して心の中で、ブツブツ言っていたのでした。
〇これは本物なの?
こんな原色みたいな色で、「今、作りました~」みたいな作り方されてもな・・・(笑)本物かどうかなんて、すぐに見抜けちゃったわけし・・・・
ところが、立ち止まって見たり写真を撮っている時に、何組もの人たちが通りすぎていきました。そして「へ~、これ、本物って言われたら、本物って思っちゃうわよね」そんな会話をしていました。
しかし、私は心の中で、「一度、本物見てさえいれば、偽物だってすぐにわかっちゃうわよ・・・」とつぶやいていたのでした。(笑)
そして、「本来あるべき場所に展示される」ということは、その場所が「建物の中でどんな光を受けている」のか。自然光の中で見る風神雷神も楽しみにしていたのですが、そこには窓はなく、しっかりライティングもされていました。
■販売用の風神雷神
〇販売用の方が本物みたい
部屋を出たあたりに、ガラスケースに入った、販売用の風神雷神図屏風が展示されていました。
こっちの方が、よっぽど、本物っぽいく再現がされている・・・・・と思いながら、はたと気づきました。
陶板の風神雷神は、今の時代を経て保管されている屏風の状態を再現したのではなく 描きたてのできたてほやほやの状態を再現したのかもしれない・・・・ だからこんなに鮮やかなんだ・・・
筋肉も隆起してモリモリなのは、最初は、こんなふうに描かれていたとか?! 年月を経て、盛り上がりがとれてしまい、ある部分ははげてかすれ、全体に退色して、あんな状態になってしまったけど、もともと、こういう状態だったということを再現したんだ・・・・
と理解をしなおしたのでした。
〇陶板は、描かれた直後を表現した?
販売用の屏風でこれだけ、本物に近づけた状態のものを制作することができるわけです。だったら、展示の屏風だって同じように作ることだってできるはず。それをあえてしなかったのは、そういう意図があったからなんだ・・・・と。
【追記】2017.05.22 ケースが本物、偽物を分ける?
2017年5月 海北友松展があって、その後、また建仁寺に訪れました。そこでかわされていた会話。「これ、本物じゃないんだって」「な~んだ、本物じゃないんだ」と陶板の《風神雷神図屏風》を見て出てきた女性3人組のグループ。
出口の付近にあった、ガラスケースに入れられている販売用の《風神雷神》を見るなり、「こっちのケースのが本物なんじゃじゃない? ケースに入っているし・・・・」に対して「そんなに小さくないでしょ・・・・」と連れの方。「でも、ケースに入っているんだもの。きっと本物よ」といって、その隣の売店の方に聞きに行っていました。
売店の方から、「ここには本物はないんです」という話を聞いて、えらくがっかりした様子でした。「ここには本物、ないんですって」ととっても不満そう。
その他の見学者の様子を見ていても、「これらは本物」と思って見ていたのに、あとで違うと知ってがっかり・・・という様子の方が多かったようです。ここには「本物はない」ということを知らない方も多いようです。一方、最初から「偽物」とわかっている方は、そういうものとしてちゃんと見ていなかったり・・・
ここで面白いと思ったのは、「ケースに入っていたら本物」という判断基準です。私自身もそうでしたが、真贋を考える上で、とても大きな要素になることが見てとれました。
■屏風の正体は・・・
この平板の屏風の正体は、大塚オーミ陶業の陶板性の複製品でした。
徳島にある大塚国際美術館に展示されている陶板の作品を手掛ける会社です。私がこの陶板を初めてみたのは、比叡山のモネの庭でした。
【京都・花・比叡山】 私達(猫の置物)はいつも 天空 の #庭園美術館 で互いを 見つめあって 時を過ごしています。 ・・・ #花 と #絵 に囲まれながら・これからも一緒に!#恋人の聖地 #kyoto #比叡山 pic.twitter.com/99Oaseom82
— ガーデンミュージアム比叡 (@garden_museum) 2017年6月3日
このような屋外で、雨や日差しの影響もうけず、モネをはじめとする印象派の絵画を陶板で庭に設置し、同じような景色を再現したりしていました。
当時、大塚製薬の関係者から、「なぜ製薬会社が陶板の開発?」といういきさつなどを聞いていました。1998年、大塚製薬創立75周年事業として「大塚国際美術館」を設立し、最近、いろいろな意味で注目され始めた美術館の絵を支えている技術だったのでした。
そんな作品を作成をしているところが手掛けているのだとわかり、大元の最初に描かれた状態を再現する技術を持った会社が、当時を再現したのだと確信に至り納得しました。
何で、屏風を平板にしてしまったのだろう。きっと屏風に成型する技術ぐらいはありそうです。そうか・・・陶板だと重さもありそうでし、屏風型にしたらしまうのに場所をとってしまいそうです。だから平板にしたとか? 宗達の《風神雷神図屏風》は大塚美術館にもあるようです。
■風神雷神のあとに待ち受けていたのは・・・
陶板性の《風神雷神図屏風》を見てから、「方丈」に移り、始めて耳にした海北友松という絵師に出会いました。
〇名も知らない絵師に心動く
《雲龍図》の筆致の力強さに衝撃を受けたかと思えば、《山水図》の茫洋な中に広がる繊細な世界に驚かされ・・・・
■海北友松:《雲龍図》 建仁寺の襖は****だった
■海北友松:《山水図》(建仁寺) 間抜けな襖絵かと思ったら・・・
〇モチーフの力と時代の経過
「法堂」の小泉淳作筆《双龍図》を見て、見る時の先入観や、時代の経過などについてあれやこれやと、思うところがあって、考えさせられたり…
〇知識のなさを目の当たりにし
そのあと、秀吉ゆかりの茶室「東陽坊」を見たのですが、何にもわからない… この世界はこれから、オイオイ… と思ってまた「方丈」に戻りました。
さらなる友松の障壁画のバリエーションに圧倒されながら、気づくと「方丈」から「小書院」へと建物を移動していました。
〇新たな時代性を取り入れ
「小書院」には、これまでとはガラリと変化した現代版の襖絵が描かれています。
こういう新しいスタイルも受け入れながら、時代を重ねていくわけか・・・と、移動するたびに、あちからこちから、様々な刺激が、矢のように飛んできて突き刺さってくるような状態。次々に覆いかぶさってくる情報量にお腹いっぱいであふれんばかりです。
〇目的の《風神雷神図屏風》を忘れる
《風神雷神図屏風》は屏風というシチュエーションで見ることはできませんでした。しかしそんなことはすっかり忘れてしまって、そのあとに、目にしたものがそれ以上のものを投げかけてくれます。
〇本物とは? レプリカとは?
海北友松の障壁画が、本物とは何か、レプリカとは何か。そしてレプリカがなしえる可能性のようなものまで感じさせてくれて、充分すぎるくらいの満足感を得ることができていました。
また、友松のレプリカから自分で発見した数々の構図のしくみ。きっと、多くの人は気づかないで過ぎ去ってしまっただろう秘密や、空気の中に描かれているものを見つけ出したりして、充実感に満ち満ちていました。
すでに自分のキャパを超えてあふれ出してしまいそうな状態だったため、もう一つの《風神雷神図屏風》があることなど、すっかり蚊帳の外状態になっていました。
〇文字であらわされた風神雷神
「小書院」の襖絵を見て「大書院」へつながる渡り廊下を進むと、彼方向こうに見えるあの文字は・・・・・
「風神」「雷神」を書で表現した女性の屏風ではないでしょうか?
ここで一気に、忘れていたもう一つの《風神雷神図屏風》のことを思い出したのでした。
もしかしたら、この先に屏風の風神雷神があるかもしれない・・・・忘れていた期待が呼び戻されました。自然光、畳の部屋、座位で見る・・・ 私は、それが目的で来たことを思い出しました。
(続)